画像

それを幸せと呼ぶなら



人ひとり寄らない森の最奥。避けるだけで憂鬱となるほどの木々に隠れて、それは佇んでいた。小さな石碑。雑草生い茂る中にそれは寂しそうに見えた。丸く削られた石に刻まれた名は「うちはイタチ」。その名前の持つ肢体が瞼に鮮明に浮かび上がった。揺蕩う黒い髪、何も語らない静観した黒い双眸、窶れた顔の輪郭。全てが生前のままに有り体で呼び起こされる。その姿を見ていたら次第に声まで聴こえてきそうだ。人は声から忘れていく生き物だとどこぞの誰かが言った。けれどあんたの声も容姿も、いずれも記憶から消えてくれないんだ。別のことを考えていても考えさせないと、あんたの顔が過ぎってしまう。それはまるで催促のよう。

あの時伝えられた言葉。あんたは死んでも尚その返事が聞きたいんだね。暁のメンバーが次々に亡くなっていく中それでも私達は何かをするでもなくいつもように尾獣探しをしていた。鬼鮫が席を外した月がよく映える晩。あんたはゆくりなくも言ったな。「伸ばされた手を拒むな」と。あの時はまるで解らなかったが、今になってようやく理解する。あれは暗に私を追い掛ける同じ里の忍のこと、そしてお前自身のことを指していたのだと。どこまでいっても損な生き方をする奴だなお前は。呆れたような失笑で肩を竦める。けれどマダラが創造する世界こそ闘う理由とし頑として脇目を振らなかった私は、ついぞお前の言葉に共鳴を示すことも追い忍の手を掴むこともしなかった。だがなぁ、イタチ。


「今更なことなんだけど、寂しいだろうな。あんたがいない明日は」


己の弟に死体を晒して以降感じたことのない寒さが心臓を凍らせる。ひゅうひゅうと隙間風が止まないんだ。石碑の前に持っていたものをそっと添えた。一輪の白い薔薇である。花弁は開いていないまだ蕾の状態のそれは、お前に吐露する初めての無様だ。ふと瞼を下ろす。瞼の裏に浮かんだ姿は泣いてしまうくらいに優しく笑っていた。先に死んだくせになんとも幸せそうなことだな。その幸せは私も味わえるのだろうか。いや、あんたがそこに居るならそれだけでぽっかりと空いた風穴は埋まるかもしれない。問いかけても石碑はうんともすんとも言わず木の葉は風に揺れた。葉擦れが鼓膜を包み込んだ。見上げた顔を射抜くのは天の柔い陽射し。

人の泣き声も血の匂いもまるであれこそ悪夢なのではと錯覚しても可笑しくない平和な世界。私はずっとこれを求めていた。ようやっと手に入った平和。こんなにも暖かくてこんなにも虚しい。喉の奥が締め付けられるように痛い。望んだ平和にあんたが居ない。それだけでこんなにも虚しくて苦しくて、寂しい。だけどそれも今におさらばだ。なあイタチ、私は最後まであんたの言うことは聞けそうにないよ。言い付けるあんたが居ないんだからな。手のひらは硬い殺傷武器に歪む。その切っ先を首筋に宛てがう。願わくばあんたのところに行きたい。あんたが居る、それだけで穴は埋まる。人はそれを愛と呼び、幸せと微笑むのかもしれないな。そんな世界も悪くない。そう思った時、何かがふつりと事切れたのだった。