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古く懐かしい友人



どうしてこうなった、眼前に広げられる現実を前にしてはそう思わざるを得なかった。頭を抱えそうになるのはこれが初めてである。


「なー白仮面ー、修行付き合ってくれよー」


「袖を引っ張るな。伸びる」


「相手してくれねぇからだろケチ!」


足元できゃんきゃん喚くのは幼少期の彼女だった。と言ってもあいつは俺と同い歳なわけで、当然ながらこんな子供であるはずがない。正しく言うなれば敵の術中にまんまと嵌ったあいつが、子供の頃に戻ってしまったというわけである。同郷かつ幼馴染であるあいつのことは子供の頃からよく知っている、故にあいつが子供になったと聞いた時、まとわりつかれるのも不服だが気づいていた。案の定戻ってきた彼女はあれ以来ずっと脚にへばりつき修行に付き合えと騒いでいる。うるさいことこの上ない。


「だいたいここはどこなんだよ、薄暗くて気味悪ぃ」


こんな所に住んでっと頭の中にまで黴が生えてきそうだ、と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。女と言うのに彼女には子供の頃からそれの欠片もなかった。今でこそ少しばかりの女らしさはあるが、それも昔馴染みの俺からすれば雀の涙程度。地面であぐらをかくんじゃない、立て。


「白ゼツにでも付き合ってもらえ」


「嫌だね!だって避けるだけで全然強くねぇもんあいつ。それにアンタの方が強いって聞いたんだぜ、だから私はアンタに修行付けてもらいたいんだ。なっ?頼むよ白仮面師匠!」


まず白仮面と呼ぶな馬鹿め。だがそれを口にせず好きに呼ばせているのは名を明かすわけにいかないからだ。俺がオビトだと知ることは必然的に今までのこと、彼女が術中に嵌っていることも話さなければいけなくなる。手間以上にきかん坊なこいつに真実を話したらきっと意地でも帰郷することだろう。それは避けたい。


「断る」


「なんだよケチ。あーあ、もういい! 私帰る!」


痺れを切らした彼女はようやく脚を開放してくるりと背中を見せた。仮にも忍を目指している奴が容易く他者にそれを見せるとは、警戒心がまるでないのか、それとも単に抜けているのか。いや、こいつに限ってはその両方もありそうだな。


「帰り道は解るのか」


呆れた声に彼女は進める足をぴたりと止めた。やはりな、解るはずもない。俺の深い溜息に彼女はこちらを振り返ってまた騒ぎ始める。こいつがひとりで目的地に辿り着けた試しなどついぞない。それはもはや一生付きまとう才能の一種とも呼べるもので、大人になった今でも誰かが居ないと簡単に路頭に迷う。こいつは天性の方向音痴なのだ。


「しっ、忍が他人に道なんて聞くかよ! 自分で探す!」


「やめとけ、お前じゃできない」


「うるせぇ白仮面! 修行付けてくんねぇなら私だってここに長居する気はねぇの! 私は、私には、強くならないといけない理由があるんだ」


顔を赤くして怒ったり影を落として塞いだり、こいつは感情が顔によく出る。昔の俺を見ているみたいで何かが湧き上がる錯覚がした。愚直で一辺倒。変なところで頑固。目の前に居る子供は、大人になった彼女の幼少期なんだと、しみじみ伝えてくれる。あの頃はお互いに真剣に強くなることのみを考え修行に励んだものだ。青い木が生い茂る山の中で日が暮れるまでずっと組手をした記憶がゆくりなくも呼び起こされる。懐かしい、と思う。


「忍組手なら付き合ってやってもいい」


このままこいつをあそこへ帰すわけはいかない。俺と共に抜けた以上、戻ればこの術が解けた後必ず尋問される。どうにかして足止めしようと逡巡した結果が忍組手だった。お前が守ろうと必死に頑張るものはあそこにもう何も居ないんだよ。それを知らないこいつは瞳を輝かせて破顔する。


「三本先取したら術の修行に付き合ってくれよな、白仮面師匠」


「一分で片がつくがそれでいいのか?」


「舐めんな!」


今の俺と昔の彼女とじゃ力量の差異は広く、明確だ。術の程度おろか組手さえお前は俺に一本取ることすら敵わない。戻るまでどうせ何度も付き合うはめになるのだ、組手なら無駄なチャクラ消費も抑えられる。背負っていた瓢箪の形を模した団扇を傍らに置いて彼女と向き合う。ふふんと彼女は意気揚々に俺と対峙する。その眼差しを浴びるのは久しいな。己でも気付かぬうちに何かが焚き付けられていたようで、開始と合図したと同時に突っ込んできた彼女を避けることをせず片腕を掴み上げて放り投げた。意表を突かれたのか、驚いていた彼女も空中で受身をとって綺麗に着地する。地面に降りた彼女は目を瞬かせていた。


「アンタ、あいつと同じ返し方をするんだな!」


好奇心に身を乗り出した彼女に、しまったと我に返る。らしくもなくあの頃の彼女と対峙していた時と同じ返し方をしてしまった。ずっと真似ていれば嫌でもこいつは訝しむことだろう。気を引き締めなければ。構えを一旦解いてもう一度構える。同じ轍は踏まない。今度も彼女から仕掛けてくる。分身の印を結びふたりになる。片や右へ、片や左へ、俺を挟み撃ちにする算段のようだ。案の定片方は飛び蹴りを、片方は俺の足元に攻撃してきた。体勢を崩し蹴りを食らわせるつもりのようだが。


「甘いな」


己の実体を解き背後へ飛ぶ。最中で踵を返し、壁に向かって拳を振り被りチャクラを込めてそれに向けて殴打する。変哲もなかった壁に音を立ててヒビが入る。だがそれだけじゃない、その音は壁が壊れる音のみならず「いってぇ!」と子供の悲鳴も混ざっていた。お湯をかけた氷のようにみるみる姿を現した彼女。頭頂部を抑えて座り込んでいるが、心無しか双眸が潤んでいるようにも見える。


「変化の術か。ふたつの影分身を陽動に使い、気を許した隙を見計らって背後から突く奸計のつもりだったかもしれんが、俺にその手は通用しない。まだまだ砂利だな」


「くっそっ!いけると自信満々だったってのに。なんで解ったんだよ」


分身を囮や陽動に使うのはお前の常套手段だからな。ガキの頃はよく引っかかっていた俺だが、万華鏡写輪眼まで開眼させた今の俺には全てが筒抜けである。悔しさを噛み締める彼女を横目で見下ろして、これで仕舞いだなと結論づけた。彼女の計画は全て見抜かれたのだ、俺に挑む必要も手段もないだろう。じゃり、踵を返そうとした刹那。


「隙ありィ!」


それまで痛い痛いと喘いでいた彼女がクナイを片手に、俺の顔を目掛けて突進してきた。避けるか、いや、避けてもう一度突っ込まれても面倒だ。一気にカタをつけよう。クナイを持っている手を掴んで引っ張り地面に叩き伏せた。仰向けに伸びる彼女は衝撃によって得物を手放す。それを俺は空かさず奪い、片手を抑えたまま馬乗りになって首にその切先を宛がった。ひゅう、彼女が息を呑み込む。


「終わりだ」


そう短く告げると、彼女は唇を噛み締める。めげない、と反論すると思ったがそうではないらしい。悔しさ満々といった面持ちでありながらも「私の負けだ」と白旗を挙げたのだ。持っていたクナイを放り投げれば床に当たってかしゃんと金属音を響かせて転がる。静まり返った空間で口を開いたのは彼女だった。


「なあ、アンタはなんのために強くなったんだ?」


泣きっ面な彼女はそこになく、ただ平静に、真剣に見つめる彼女が居た。俺の心を見透かすような強かな眼光。俺はそれを疎んだ時も救われた時もあった。腐れ縁で馴染み。彼女に全てを暴かれてしまったのはひとえに長年の付き合いがあるからかもしれない。だが目の前のこいつは違う。隣合ってきたあいつじゃない。昔に止まったままのあいつだ。今の俺の心までは見通せやしない。


「強いて言うなら世界を平和にするため、だ」


けれどもこれは嘘じゃなく、また取り繕った偽りでもない。本心であり目的だ。言われたことを反芻していた彼女も莞爾と微笑んだ。


「あいつと同じことを言うんだな、師匠は」


そうだな。俺はお前の言うとおり、お前が見ているそいつと同じかもしれんな。だがお前はまだ俺を知らないからそう言えるんだ。変わったのさ、お前の知っているそいつと違って。しかし昔のお前が今の俺を知る必要はない。昔のお前では俺の隣に立つことも後ろを歩くこともできない。昔のお前では、力量不足だ。


「頑張れよ師匠!」


だから早く戻ってこい馬鹿、どこをほっつき歩いているんだ。こつん、と額に感じる固い感触。けれどそれは皮膚の柔らかさが勝っていた。慌てふためく彼女の声が耳元で大きく聞こえてきた。小さく折れそうなほど柔い肩。鬱陶しいまでに昔の彼女だ。すると突然爆発音を立てて彼女の身体が白煙に包まれた。どうやら術の時間が切れたようだ。立ち上る煙も次第に収まりを見せ、中から姿がぼんやりと現れた。首筋や鎖骨がくっきりと屹立した肩。奥ゆかしくも凹凸のある上半身。腰部まで伸びた筋肉質な腕。それは紛うことなき今のあいつを象っていて、首筋の傷はそれを確証づけた。切れ長な双眸が眦を吊り上げて俺を射抜く。真一文字に結ばれた口から発せられた声は地の底から這い出でるようなほど低いものだった。


「おい。何馬乗りになってんだこの野郎」


「誤解するな、これには」


「退きやがれくそオビト!」


言い分を聞く前に岩石のように硬い拳が頬に直撃して、その勢いで飛び退く。物の見事に食らってしまった。殴られたところに指を当てるとぴりっと鋭い痛みが走った。仮面は割れていないがその下は間違いなく腫れていることだろう。実体を解き忘れるとは我ながら責めたくなるような失態だ。自分の身体に何かされていないかと己の身体を見渡す彼女を見て、どこか軽くなるものを感じた。事の顛末を言い聞かせれば今度は彼女に青い顔をされた。


「ガキの私に馬乗りになるなんて、どんな趣味してるの。変態だわ、見損なった」


「組手だと言っているだろ」


それもこれも全てはお前が敵の術中に嵌るのが悪いだろ。さすがの俺も理不尽だと思った。