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落ちこぼれの反撃



群青一色に塗られたような清々しい快晴。朝だというのに宴会よろしく和やか且つ清々しい熱気立つ街は、うちはの者も千手の者も互いの氏など気にする様子もなく親しげに談笑している。それはふたつの部族が昔から切望してきた平和を体現していた。そういう私もこの景色のために血で血を洗う苛烈な戦場にて術を繰り広げてきた。だから今の私に瞳を翳らす理由などないはずなのだが、間違いなく今の私の心には影を差していた。


「ああどうしよう」


蚊の鳴くような声が大衆の大笑に溶けて消える。笑いの中私は肩を沈めてとぼとぼと歩いていた。気を許せば往来の真ん中で泣くかもしれないほど。理由はひとつ、初代火影の側近を勤める扉間さまから仰せつかっていた巻物を紛失してしまったのだ。しかも超、超、超大事な巻物をだ。昼までに届けろと言われていたのだが、手持ち無沙汰で会おうものなら冬の鉄よりも冷たく鋭い眼光で説教した後、首を落とすことだろう。やってしまった。だめだ、家に帰って遺書を作ってから逝こう。細心の注意を払い決して油断するなと再三言われたのにやってしまうなんて私きっと忍向いてないんだろうなあ。鉛色の気分は深みを増していきついには目の奥が熱を持った。自決したい気分に物凄く駆られているが、だからといってこんな往来の激しい場所で醜態は晒したくない。そうだ! 今はまだ朝だ。昼までに見つければいいんだ。そうだ、そうだよ自分。まだ諦めちゃダメだ。一点の希望が胸に灯り、べそをかく自分を入れ替えるべく両頬を叩く。肌を打つ乾いた音が鼓膜を劈いた。


「よし、頑張ろう!」


自信のない自分の記憶を頼りに巻物探しに着手したのだった。そして時刻を改めて気にした頃には鴉が天高く鳴いていた。見上げた空は太陽が沈む方向は橙色に、その逆は紫色に染まりきっていて、公園で小休憩をとっている私の視界に映る子供たちは親に手を引かれぞろぞろと家路に着くのであった。携帯している竹筒の蓋を開けて一気に呷る。潤い一点すらも残っていない乾燥地帯さながらの喉がみるみる潤いを取り戻していく。喉の奥に冷たさを感じた頃合いでそれを離す。水は美味しい。


「これが最期の晩餐か」


けれど私の身体は限界寸前を迎えていて、気力もチャクラも残っちゃいなかった。言ってしまえばもぬけの殻なのである。あれから数刻半。上司の家を訪ねたり知人の感知タイプの口寄せを貸してもらったり、東奔西走しても渡された重要な巻物が見つかることはついぞなかった。ああやってしまった、見事にやってしまった。ダメだ死のう。これでは頭領にも面目が立たない。崇高なうちは一族であるにも関わらず巻物ひとつ、しかも機密情報の物を紛失してしまうとは忍失格、うちは失格だ。どこか腹切れる場所はないかな。人間諦めが骨髄まで染みると焦燥を通り越して無の境地に至るらしい。今朝方あった緊張も今や無だ。


「もうダメだ」


忍界随一と謳われた瞳術、写輪眼を持つうちは一族を束ねる現頭領の顔が伏せた瞼の裏にありありと映し出された。手裏剣術も幻術にも長け、厳格でありながらも我が一族の存亡をしっかり考えておられる立派な御仁。そんな方の一族のひとりなのに比べて私はどうだ。瞳術も素人に毛が生えた程度のまだまだ新米忍。おまけに巻物を紛失した阿呆だ。胸の辺りの痛みを紛らわせるために吐いた溜息は情けないほどに震えていた。


「こんな不甲斐ない忍でごめんなさいマダラ様ぁ」


目の奥がつんと痛くなる。私の失敗で誰かが、ましてや頭領が怒られたりしなければいいな。鼻を啜っていると俯く私の影を覆う影がひとつ、目の前に現れた。


「何がごめんなさいなんだ?」


忘れるはずもない脳裏に焼き付いた声。恐る恐る顔を持ち上げればそこには居ないはずの我が頭領、つまりマダラ様が立っておられたのだ。


「とっ、とと、頭領!」


慌てて立ち上がった拍子に自分の足が絡まってしまって前のめりに地面へ顔から転けてしまった。頭領の前だけど今物凄く立ちたくない。絶対呆れてる、絶対マダラ様「なんだこいつ、ほんとうにうちはの者か」って思ってる。ずびび、と鼻を啜る。視界が揺れているのは額と砂利と擦ってしまった鼻が痛いからであって、断じてそれ以外の理由はない。予々自分は鈍臭い方だと自覚していたがよもやここまでとは、思ってもみなかった。我ながら平静というものを生まれながらにしてどこかに捨てやったのかとさえ錯覚してしまう。すみません頭領、こんな奴公園に昔からある風呂敷とでも思って立ち去ってくれませんか。なんなら踏み付けるためにある遊具とでも。自分が悪いと知っていても今日は踏んだり蹴ったりでいっそのことこのまま地面に穴掘って隠れてしまおうかと考えてしまうことをやめられない。


「いつまで寝そべっているつもりだ」


「すみません」


死にたいと思いながら腕の力で身体を起こしたら「ほら、起きろ」と頭領が手を差し伸べくださった。いつもにこりともしないあの頭領が、呆れたようにうっすらと口角を上げていたのだ。初めて見る頭領の一面にぽかんとしていたら痺れを切らした頭領が私の襟を掴んで軽々と持ち上げ立たせた。はっと我に返った私は「すみません、すみません」と頭を下げる。


「それで? どうして泣いている」


「い、いえ、自分がすべて悪いんですけど、任務でヘマやらかしてしまいまして」


言いづらい、扉間さまから渡すよう命じられた巻物を紛失したと言うのはめちゃめちゃ言いづらい。もしかしてこれは自害じゃなくて頭領に首落とされろという天啓なのか。敵に回した頭領なんて鬼が可愛いと思える程なのに介錯するのが頭領とは。いやでも最期を頭領自ら介錯してくれるのはむしろ喜ぶべきでは? いやこんな落ちこぼれな忍を介錯するなんて頭領のお手を煩わせるわけには。


「どうしてまた泣くんだ」


「じ、自分の介錯は自分でしますからっ、頭領のお手を煩わせませんからっ!」


「は?」


「でもできれば最期はうちは饅頭食べたかったなぁ」


「泣くな落ち着け」


「いやでも任務を失敗してしまうような落ちこぼれには我儘言う資格はないですよね。自分でも解ってるんですダメな忍ってことくらい。幻術ひとつ使えない落ちこぼれだから巻物ひとつもちゃんと届けられないんだ」


「巻物?」


ダメだダメだと泣き喚く一点だった私は程なくして収まりを見せた。その間も頭領は付きっきりで、泣き止んだ時には自責の念と申し訳なさでまた死にたくなった。宥めることに慣れているのか、呼吸が落ち着くまで背中をさすってくれた。私の頭領めちゃめちゃ優しい。その優しさで今死にたくなってるんだけども。それから傍に腰を下ろした頭領に事の顛末をぽつりぽつりと少しづつ打ち明ける。全てを話した後の静寂ってこれほど息苦しいんだなとこの時初めて体感した。頭領はどこか思考に耽っている表情で「なるほど」と呟く。


「すみません、頭領」


膝に置かれた掌に爪が食い込む。私はいつだってそうだ、周りが言うように鈍臭い。写輪眼を開眼させても幻術を使うことはできない。手裏剣術も子供と比べれば全然上手い方だが調子に乗ると失敗してしまう。そして何より落ち着きがない性分ゆえに見落としがちでよく些細な失態を犯してしまう。戦でも危うい場面に何度も遭遇したこともある。周囲は余裕綽々と大技繰り広げて敵を叩くのに、私は小さな技でひとりを仕留めることが精一杯。こんな出来損ないがうちはの血を受け継いでいるなんて、同族からしたら恥晒し以外の何者でもないだろう。実際何度も言われたことあるしね。反論したことがないのは自分が誰よりもそのことを実感してるから。扉間さまから仰せつかった任務ひとつ遂行できない上に頭領の前で派手に転けて泣き喚くなんて。誰の記憶からも消えてやりたいくらいだ。


「お前の言っている巻物はこれのことか?」


「あっ!」


懐から取り出したのは扉間さまが持ってこいと言っていた巻物だった。受け取ってまじまじと見てみるが確かにそれに間違いない。


「はいこれです! でも何故頭領が?」


「偶然立ち寄った居酒屋の店主から渡されたんだ」


「居酒屋? ああそういえば」


昨日の夜、巻物を確保した私は家に帰らず友人に連れられて居酒屋に寄ったんだった。酒を飲んだかは定かではないが、ぼんやりと昨日の夜暴れた友人の様子が記憶の端にある。どうして今まで忘れていたのだろう。頭領が立ち寄らなければ今頃これは屑籠の中にあったはずだ。


「ありがとうございます! ありがとうございます! これでなんとか一命は取り留めることができます!」


「なんだそれ」


「良かったぁ、無事だ」


手の中にある巻物を見て心の底からほっと溜息を吐く。これで扉間さまの怖い顔を見ずに済む。そう思ったら目頭が熱くなった。


「泣くな、ガキじゃあるまいし」


「す、すみません。でも安心したらつい」


「お前みたいなうちはの者を見たのは初めてだ」


「ですよね、すみません」


「そう何度も容易く人に謝るな。それに落ちこぼれなら努力して周りを見返せばいいだけのことだ」


「それは、そうですが」


「それともお前は強くなる努力も諦めて周囲が言う『落ちこぼれ』に何も感じないというのか?」


「いえっ!」


思わず強い語調で返してしまう。けれども私は頭領が言うように何も感じないわけじゃない。お前は弱い、お前はうちはの落ちこぼれ、お前は鈍臭いだけの足でまといだ、そう指さされる都度眩んでしまうほど熱いものを感じた。私は弱くない、足でまといなんかじゃない、そう言い返したいといつも思っている。だから戦争が終結した今でも術の鍛錬を欠かさず励んでいるし、情緒に釣られる手裏剣術も完璧に近付けるよう修行しているのだ。同族から見下されたくないがため、そして何より尊敬する我が頭領の力になるため。頭領ほどにも今は亡き弟君のイズナさまほどにも及ばないかもしれないが、それでも私は私なりに強くなって力になりたいと、心に強く決めているのだ。


「私は今よりもっともっと強くなって、頭領のお力になると決めていますから!」


いよいよ爪が貫通してしまうんじゃないかと思うくらい強く掌を握り締める。頭領はふっとひとつ笑みを零す。


「期待しているぞ」


頭領はそう言い残して公園を去っていった。涼を運ぶ秋風に頬を撫ぜられ、髪が遊ばれる。茜射す日暮れの空に残された私の胸中を満たすのは身を焦がす熱でも、研ぎ澄まされた刃のような戦意でもない。泣きたくなってしまうほど嬉しい高揚感だった。落ちこぼれだと見下され続けた私に頭領は期待していると仰ってくださったのだ。誰も居なくなった公園でひとり、去っていった背中へ大きく返事をした。そして私は予定通り扉間さまの元へ巻物を渡しに行ったのだが、どうやらあの居酒屋には千手の者も居たようで、店主と頭領のやり取りは既に扉間さまの耳に入っていた。そうなれば扉間さまの長時間お説教コースに入るのは至極当然のこと。腹切りますかと尋ねた時「腹切ったところでお前の抜け癖は治らん」と断言された時は心の臓が握り潰されたかと思いました。兄方とは違って弟方はとても恐ろしいと、身に染みました。うう、早く頭領の元へ帰りたい。