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ありったけの愛を



争いなんて無くなってしまえばいいのに。そう思いながら枕を濡らしたことは数え切れない。ご飯を一緒に食べた友人が次の日には目を剥いて死んでいたりする。大好きと言って腰に抱き着いてきた幼い子供が食糧難によって飢え死にする。ああやだやだ、戦争ってばほんとうに無くなってしまえばいいのに。嫌いだ、大嫌いだ、戦争なんて。


「ねえ聞いてるの、マダラ」


傍にあった適当な大きさの石っころを拾って目の前の川に投げてみる。水を切って向こう岸に辿り着いたら、小憎いマダラに威張ってみようと思ったら、石は私の意思と反してすぐに水の中に沈んでいった。浮いてくる気配もない。ばか石め。笑わないとといいなという不可能に近い思いを抱きながら目の前に立っているマダラに目を向ければ、彼は川を見ずに明後日の方向へ顔を向けていた。顔だけならまだしも、注意力もそこに向けられている。未だ来ない誰かを待ちわびているように。


「痛っ! 何すんだよ!」


「ばかマダラに喝入れてあげたの、喜んでね」


「嬉しくねぇよ!」


小石を投げつけたら振り返ってぎゃんぎゃん捲し立てるばかマダラ。ふん、不服は申し立てるくせに私の話は聞かないんだね。ていうか誰を待ってるの? そんな顔しちゃってさ、まるで夫の帰りを待つ妻みたい。


「恋人でも待ってるの? マダラちゃん」


「恋人じゃねえし、誰が『マダラちゃん』だ。今日はやけに突っ慳貪だな。いつにも増して不細工だぞ」


「別に」


「そうかよ」


マダラの軽口に素っ気ない返事したら彼もまた突っ慳貪な面持ちで顔を背けた。不機嫌丸出しにしたいのは私の方だよ全く。明後日の方向を見つめるマダラの傍で私はまた小石を手にした。軽く放ってみる。綺麗とは言えない頼りない放物線を描いてぽちゃんと川に落ちる。小さな水飛沫が花火のように空中に上がった。何気なく空を仰いで後悔した。日射しが眩しすぎて目が痛いや。葉擦れが運ぶは虚仮威しの冬の匂いだった。

鼻の奥を劈く寒い匂い。雲ひとつない青空なのにちっとも暖かくないばかりか、肌を凍らせんとする北風のせいで風邪すら引きそうだった。会ってから一度も座らないマダラを視線だけ動かして見てみる。相変わらず明後日の方向を見ていた。その先はもちろん川を挟む河道が伸びているだけで他に彼の視線を惹きつけるものはない。


「私、嫁入りすることになった」


それは静謐に切って落とされた異物だった。波紋は徐々に波及していき、ついにはマダラがゆっくりこちらを見た。言われたことを受け止められないといった顔で。


「は? なんだよそれ」


「対立する一族が和平を結びたいって申し出てきてね。証として私がそこの族長に嫁ぐことに決まったんだよ」


女のおの文字も掠らない生き方をしてきたのに、唐突女になれって言われたけどさ、そんなの横暴と思わない? 老若男女問わず五体満足なら有無を言わさず刃物を握らせ戦場で活躍する術を叩き込むのに、嫁ぐ時は何もしてくれないんだよ。花嫁修業と言ってもせいぜい男の前を歩くなとか家庭のことはすべて女が切り盛りしろとか、そういうものばかり。己の身を守ることは決して許してくれない。


「でもね、私それでもいいかなって思ってるんだよね。これで戦地に赴くこともないしさ」


お母様もお父様も立派に務めを果たすんだぞって後押ししてくれたし、期待に応えられるよう頑張ってくるよ。努めて笑って見せれば、マダラは己の感情を噛み締めるように拳を作る。その手は微かに震えていた。顔を見せないと俯いたせいで髪がそれを隠し、表情が窺えない。


「なんとも思わないのかよ」


まさに振り絞って出された声だった。聞いてるこちらが胸を刺された痛みに苦しくなるような声。目の奥が途端に熱くなった。それを頭を振って熱を冷ます。零れたのは白々しい笑みだった。


「幸せだなぁ、と思ってる」


そんなに睨まなくてもマダラの言いたいことは手に取るように解るよ。マダラっていつも私の話を流すくせに変なところで記憶力いいよね。なんで覚えて欲しくないことは覚えているのかなぁ、聞き流せばいいのに。


「家の中でのんびりできるのに嫌がる理由を逆に聞きたいくらい」


うん、君がこんなこと言って「おめでとう」と祝ってくれない子だというのは、私もちゃんと理解してる。でもこれも本心なんだよ。戦争が嫌いなのも、顔見知りの誰かが死ななくて済むことに安堵してることも、紛れもない本心。だからそんな傷ついたような顔しないで。


「泣き虫なくせに」


「うわ失礼な奴。マダラだって後ろに立たれたら気が気じゃないくらい臆病者のくせに」


「うるせえばか女」


「マダラもばかじゃん」


「俺はばかじゃねぇよ」


ふたりして子供みたいにからからと笑い合ってみる。明日の未来は既に決まっていることだけど、今だけは何者にも縛られないただの私。マダラとばかやれるばかな私だ、子供みたいに笑っていたってバチは当たらないはずだよね。あーあ、戦争なんて最初から無かったらいいのに。そしたらこんな辺鄙な場所で密会するように遊ぶ必要もなく、堂々と遊べるのにね。ねえマダラ、もう会えないけど立派に生きてね。それこそ後ろに立たれても落ち着いていられるくらい。どうせ無理か、ばかマダラだもん。でも私、マダラと遊ぶ時間は好きなんだよ。なんて、言うには全てが遅すぎるのだけど。