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幼馴染のあいつ



人が自分の興味無い話や、硬っ苦しい話をしていると、眠気が手を振って当然のようにやってくるのは自然の摂理と言うべきか、それとも人間に元来備わっている欲と言うべきか。ともかく私は今、物凄い眠気に襲われている最中であった。だけど簡単に舟を漕げないのは、身を置く場所が鬼も金棒をかなぐり捨てて走り去ると名高いあのタジマ様が亭主の屋敷だから。しかも今は請け負った任務について重要な決定事項を理路整然と同行した私の父含め全員に淡々と説明している最中。ゆえに平気で舟漕ぎをしようものなら頭上に叱咤という名の雷が落ちてくること必至。父の氷よりも冷たい蔑視も付いてくる。起きろ自分、頑張れ自分、耐えるんだ自分。ここで寝てしまったらタジマ様に怒られるだけではなく、長年の私怨を一身に注いでいるマダラにさえ馬鹿にされてしまうぞ。ああダメだ寝ちゃいそう。


「起きろ寝腐れ女」


脳を切り裂かんばかりの激痛が頭のてっぺんから迸り、それは足の爪先まで駆け巡った。「痛っ!」と声を上げて水を得た魚もびっくりな脊髄反射で飛び退く。そんなことをすればどうなるかなど説明するまでもないだろう。厳かかつ緊張が漂っていた空気は一瞬にして敵の内通者を見つけ出したような断罪的なものへと様変わりしていく。マダラを睨むよりも先に四方を囲む男たちに睨まれ波打った感情と身体が縮こまった。「部屋の隅に居なさい」と上座に居るタジマ様に言外に言われ、それに従った。呻きひとつ漏らせない私を見て奴はほくそ笑む。今度あいつの稲荷寿司に白子詰めてやろ。

赤っ恥もいいところな私は唇を真一文字に結んで時間が過ぎることを全身で願った。足の痺れも忘れ、脳裏に焼き付いた蔑視の痛みも和らいだ頃、ようやくうちはの厳かな会合が終わりを見せた。宴会にも使われる大広間をそぞろと出ていくそれぞれの家の大黒柱たち。中には私の父も居たのだが、タジマ様が私をご指名したため、父だけが家に帰ることを許された。出て行く際の憐憫を顕にした眼差しが上書きされる。これから言われることを想像して同情でもかけたのだろう。同情するなら助けてくれ父よ。静謐満ちる大広間に、私とマダラとタジマ様。注がれる視線に肌が痛む。


「解っていますね?」


「はい」


「貴女が例え人を殺めることに消極的でも、相手がご丁寧に理解してくれるとは限らない」


「はい」


「貴女の父も母も帰りを待っている。それをしっかり肝に銘じなさい。解りましたね?」


「はい、ごめんなさい」


素直に謝ればタジマ様の視線が和らいだ。怒るタジマ様は何よりも怖いけど、優しいタジマ様は誰よりも好き。あ、でもお母さんの怒った時が一番怖いから、タジマ様は二番目。やることがあると言って退室したことによって必然としてマダラとふたりっきりになる。言葉など交わしていなくともそこに鎮座するだけでむかっ腹が粟立つので殴りたい。そういえばお返しをまだしていなかったっけ、幸いタジマ様も居ないしたっぷり返礼できる。余裕綽々にふんぞり返るマダラに躙り寄れば、拳を振り被る隙など与えてくれずに距離を取られてしまった。


「一発くらいいいじゃない」


「嫌に決まってんだろバカ女」


「減らず口も叩き直してあげる」


「寝癖を整えてから物を言え」


人差し指で向けられた髪に手をやれば、ひとふさ確かに流れに逆らって主張していた。「あ、ほんとだ」と柄にもなく素直に受け入れた私は手櫛で髪を押えつけるように箇所を梳かす。けれどもなんのイタズラか全く言うことを聞いてくれない。目に見えるだけ着物の着付けの方がまだ楽かもしれないと思ったのは責めないでほしい。だって女だからと言われてもあんな小難しい造りになっている服の着方など、覚えられるわけがないし気概もない。面倒なのは御免こうむる。マダラにぷっ、と嗤笑され憤りを覚えたその時、嫌な空気を換気するかのように襖が音を立てて開け放たれた。癖毛に悪戦苦闘する私も、それを見下ろして憎たらしい笑みを浮かべるマダラも、一斉にそちらへ視線を遣る。


「兄さんも姉さんもここにいたんだ」


それはマダラとは雲泥の可愛らしさと素直さと思いやりを持つ弟のイズナだった。兄同様の癖毛も容姿もイズナとあれば不思議と賛美の数々が脳裏を占める辺り、やはりイズナは伏魔殿の紅一点と言わざるを得ないだろう。まだ幼さが残る言葉遣いと足取りで敷居を跨ぎ一直線に私達の元へ駆け寄ってくれた。兄のマダラも、弟を前にして先程の威勢はどこか、物腰を柔らかくしている。見つめる眼差しや呼ぶ声などがそうだ。


「どうしたの? イズナ」


「姉さんに見て欲しい術があるんだけど、見てくれる?」


「やめとけ、こいつに見せてやる必要は」


「イズナの新術見たいなー!」


「おい!」


「やった! じゃあ行こう姉さん」


満面の笑みを浮かべるイズナに引かれて部屋を飛び出す速さで退室する。私としてはイズナとふたりっきりで過ごしたいのだけど、マダラがそれを許すはずもなくひっつき虫みたいに後ろを追ってきた。そんなに急がなくても我らのイズナはちゃんと待っててくれるよ。戦場で鼻緒が切れたからと立ち止まった私を置いて敵陣に突っ込んだ誰かとは違って、イズナは心優しい天使だからね。

不貞腐れるのを隠す気もない私を見てマダラは眉を顰めるけどこれっぽっちも痛くないし怖くないやい。私を言い負かせることができるのは、イズナとタジマ様とお母さんだけなので。だけど目を赤くするのは反則だと思うんだよね、だから怒らないでもらえますかマダラさん。敷居に足が引っかかって転けそうになったところを、笑いそうになったのは心から謝るからさ。