※男主。
※現パロ。
お天道さまがきらきら眩しい昼下がり。青を掃いた空から疎ましげに目線を外して人の往来へとやる。行き交う人、人、人。どれもこれも生き急ぐように足早に進んで、自分以外にも俺にもちっとも気づきやしない。例えばここで俺がダンスをしようものなら、死体に群がる蟻のごとく素早さと統一性で携帯を構えて俺を囲むが、ベンチに腰掛け深深と項垂れる様は、群がるおろか存在さえ認識されないのだ。都会の人はなんて薄情者だろう。我関せずをどこまでも徹底したこの土地に居ると、たまにふと地元が恋しくなる。
田畑と山に囲まれた如何にもな感じの田舎だが、もともと人が少ない上に子供も両手で数えられる程度なので、何かあろうが無かろうが気づけば住民全員が把握していたりする。結束力と言えば聞こえはいいが、産まれて育ってきた俺からすれば監視でしかない。本人にその気がなくても俺は気にする。嫌気と怖気が差した俺は、親の放任主義に感謝を痛感しながら上京したというわけである。良い親を持ったもんだ。ともかく、今の問題は。
「いい女が居ねぇ」
あー、と低く唸りながらベンチの背もたれに首を預ける。背もたれからはみ出た首が宙ぶらりんのまま、逆さまになった世界が視界に映されもっと胸焼けがした。今の問題はとにかくいい女が居ないことだ。晴れて上京した俺は、学費と生活費のためにバイトしたはいいが、癒しがなければ花は廃れてしまう。ので、高水準だった己の大学で探してみるも、いいなと思う人は全員彼氏持ちだったり突っ慳貪だったりと今のところ不発ばかりで気が滅入る。俺だってまだうら若き学生だ、彼女も欲しいしいい住まいしたいし金も欲しい。欲しいに満ちる心に顔を顰めるか首を縦に振るかは人それぞれだが、せっかくの人生を棒に振る真似はしたくない。
だからと言って人を泣かすようなことはもっとしたくない。浮気とかぜってぇ無いわ、俺は嫌いだね。もしかして真面目なのがウケないのか? 負の堂々巡りから抜け出したくて逆さまの世界で目線を動かす。その先にあった目も疑う光景に、首が自ずと飛び起きた。ひとりの女がふたりの男に囲まれている。様子を見るに親しい間柄というわけでも、平気と思っているわけでもないようだ。彼女の眉が明らかに深くなったことが俺の観察眼を確定づけた。ついに男のひとりが女の肩に手を回した。女はそれを手で叩いて男の下卑た笑いを一蹴する。明らかに嫌がる女に強要を強いる場面だが、何故誰も助けに行かないのだろう。
往来の激しいこの場所なら誰かひとりくらい助けに行ってやれよ。そう思うも、行き交う人の波に包まれながら軽く一瞥するだけで、そそくさと逃げてしまう者しか居なかった。ここ都会は我関せずに徹底した県民性のようらしい。それはまるで生まれつき備わっているものみたいに身体に馴染んでいて、助けてやろうという少しの気概も葛藤も見受けられない。なるほどどうしていい女がここに居ると思ったのだろうか。人間性がそもそも気に入らねぇんだ俺は。
「離してやれよ、嫌がってんだろ」
誰も行かないのなら俺が行くしかない。決心ができた時には既に火の中に飛びこんでいた。女に回した太い腕を掴みあげて睥睨する。男たちは一瞬たじろぐものの、俺が彼らよりも細い体躯であることを確認すれば、その笑みはさらに深くなった。気持ち悪さも増し増しだ。そんな面で女を口説くなよ、職質されるぞ。頭の隅で俯瞰していた俺を怒るように、掴んでいた腕が勢い良く振り払われ片方の男が拳を作ってファイティングポーズを構える。善良な一般市民に暴力を振るなと道徳で教わらなかったのか? けれども眼前の、頭がらんどうな男たちに道徳心と良心は微塵も感じられないので、俺は拳が顔面に到着する前に遠慮なくそいつの足を、スプーンで掬うように流れる動作で掬い上げた。
下半身に注意力が行っていなかったのか、そいつの足は容易く掬われ男は後ろから体勢を崩して臀を打つ。女に手を回していた男は小心者なのか、倒れた男に手を伸ばして逃げようと口走る。いやいやいや、一発お見舞いされただけで弱腰になるなら端からやるなよ。そう言いたくなるのは山々ではあるが、こいつらに割く時間は一分でも惜しまれるので遠ざかっていくふたつの背中に何か言ってやることはなかった。佇む俺の鼓膜を、凛とした芯のある声が震わせる。それは今しがたナンパされていた女のものだった。
「助けてくれてありがとう」
時間を忘れるほど美しい女だった。俺を見上げる顔は、今まで見てきたどの女のそれよりも整っていて、眼窩に埋め込まれた双眸は宝石にも引けを取らないほど美しい色をしている。下唇の下にピアスを付けていることすら後々で気づくほど、一目で彼女に惹かれてしまったようだ。今まで「綺麗だなぁ」と思うことはあっても、「天使だ」と感じることはなかった。魂が離脱していく俺を不思議そうに覗き込み、もう一度口を開く。
「怪我はない?」
「あ、いや、大丈夫っす」
「そう。良かった」
彫刻の、端整なだけの感情のない表情に、和らげな薄い微笑みが落とされる。少女に似た活発とした笑みでも、可愛らしい笑みでもない。けれどもそれは俺の心臓を一瞬で鷲掴みにするほど見惚れるものであった。それと同時に彼女のいろんな表情が見てみたいと、情欲に濡れた熱が腹の底でぬらりと揺らめく。今ならあの男たちの気持ちが解るかもしれない。だが俺は彼女を前にして無体を強いる気はなかった。白百合のように可憐で華奢な彼女に、どうしたら無理強いする欲が出るだろうか。俺は彼女を大切にしたい。
それこそ籠に閉じ込めて暖かな愛だけを注ぎ、彼女もそれに包まれてずっとずっと微笑んでいられるくらい。己の下卑た情欲を認知すると、弾かれたように頭を振る。まだ会ったばかりの彼女に俺は何を考えているんだ。いよいよほんとうに俺もさっきの男たちと大差ないじゃないか。くそ、だめだ、何故か彼女を前にすると理性が呑まれていく感覚に陥ってしまう。理屈じゃ説明できないが、彼女はそうさせる何かを持っているのだ。そしてこの欲はそれに呼応するかのように次から次へと湧き出てくる。落ち着け俺、素数を数えるんだ。素数なんか覚えていねえよ。
「それじゃあ私」
「あ、待って!」
背中を向けた彼女の腕を、俺は頭で命令を出すよりも食指が吸い付いていた。行動に移してから酷く後悔に駆られる。熱を帯びる身体が一気に冷えていき、頭も冴え渡って、最悪な状況であることを理解し絶望した。
「その」
なんて言えばいいんだ? 「名前を教えてください」? いやいや、見ず知らずの奴に名前を教えるわけないだろ。「このあと時間ある」? これじゃただのナンパじゃねえか。俺ってば他の女になんて言って声を掛けてたんだっけ。言葉の大波が思考を掻っ攫っていき文がまとまらない。何か一つでも大人びてかっこいい誘い文句を作れたらいいが、てんやわんやが収まる気配のない脳内じゃそれは無理だろう。だからと言ってこの手を離したくない。彼女をみすみす逃すようなことだけは絶対にしたくないのだ。
もっと知りたい、もっと話したい、もっと、もっと。俺が俺でなくなる衝動に駆られるなんて初めてだし、こうなるってことは俺は彼女に惚れてしまったのだろう。所謂一目惚れってヤツだ。少女漫画を読んでは「一目惚れって要は顔惚れじゃねえの? ばっからし〜」と嘲笑っていたが、俺はその馬鹿になってしまった。しどろもどろに動揺する俺の手に、何かが重なった。見れば彼女がもう片方の手を置いていたのだ。そして眦を柔らかくして微笑む。どくん、心臓が大きく跳ねた。
「助けてもらったお礼をしたいのだけど、時間はあるかしら」
その響きはなんとも馨しく、言い知れぬ高揚に喉が鳴った。誘われた俺は情けなくもそれに食らいつく。彼女が居るのに他の女性に気が行くわけがない、これは運命かもしれない。絶対そうだ。お母さん、お父さん、帰省した俺と彼女を温かく迎え入れてくれよ。
