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少しだけ羨ましかった



ふと、昔の記憶が脳裏を巡った。痛々しいほどの青に満ちた空を眺めていた時のことである。それは俺が抜け忍となる前、両親と暮らしサスケの修行を見て、隣にあいつが居た時の頃のことだ。「友人」と平然と、それこそ間になんのわだかまりがあったとしてもそれを言い切ってしまうような彼女は、好き者にも俺に目を付けた。

彼女の素性を言葉に表すなら、大胆不敵だろう。自分が好きと思えば、拒まれることすら億さず素直に自分の気持ちを伝える。強く、眩しい奴だった。いつでも、どんな時でも。あの時もそうだった。俺が抜け忍となる理由を作ったあの任務を言い渡され迷っていた頃、夜更けにあいつは俺を訪ねてきた。なんだ、とは言えなかった。

感じ慣れていた彼女の雰囲気は一転して肌を突き刺すような緊張を帯びていたからだ。冷たい白に輝く月を背に、葉が触れ合い散る音だけが世界を覆った。どんな時も俺の目を見る彼女が、その時俺を見ることはなかった。何かあった、そう理解するのは時間はかからず、もっと言えば彼女が窓から部屋に入ったその時に気づいた。どれほどの時間が流れただろう。いつしか葉の擦れる音は止み、月は彼女の背中から顔をほんの少し出していた。ついぞ開かれなかった口が、ようやっと開いた。


「好き」


たった一言。何もかもを詰め込んで今にも破れそうな想いを、その短い言葉に乗せたのだ。振り絞って出した声は彼女とは思えないほど揺らめき、微かな臆病を秘めていた。息を飲んだ。何を返すか迷ったわけでも、現状が意外だったわけでもない。

ただ俺はそれを言われることを夢にも思わなかったからだ。天才と謳われた俺は今はっきりと瞠目し、傍から見ても解るほど気を動転させていることだろう。呼吸をする間も与えずに彼女は続けた。


「好き、大好き。イタチが大好き」


そこにはもう先程のような震えはなく、いつもの豪胆に笑う彼女の強さがあった。俺を真っ直ぐ見据えて気持ちを告白した彼女は、力強い眼を俺に近付けてきた。


「愛してるの、誰よりも。だからあなたが苦しんでるそれをわたしにも背負わせてほしいの」


「……なんのことだ」


「解らないよ。わたしは暗部の根に所属してない。だけどイタチが苦しんでるのは痛いほど解る。ねえ、ひとりで背負わないで。どんなことでもいいからわたしにも背負わせて」


何故、お前が泣くんだ。見えない気持ちが頬を伝う。それは月光に輝いて滴り落ちた。服の袖から伸びた細い手が俺の頬に添えられる。それに自分の手を重ねた。小さな小さな手。この手を折ることは造作もないことだ。だがこの手を失う痛みは、きっと俺には耐えられないだろう。

そしてこの手は、俺の責務にも耐えられない。温かいこの手を守りたい。お前を、守りたい。腹の底でひとつの明かりが点った。やがてそれは全身に波及していく。滲むように、染め上げるように。願わくばお前のこの温かさを感じていたかった。傍に居たかった。それを心に抱いた瞬間から俺のやるべき事に決断は下されていたのかもしれない。


「イタチさん」


低い男性の声が鼓膜を震わせた。回顧に耽っていた俺の自我は現実に戻され、視線は鮫肌を背中に携える鬼鮫に引き付けられる。血に染まった雲が黒い空の上で存在感を放つ。その衣を見て頭に浮かんだ先程までの一切を押し込めるように拭った。


「行きますよ」


「ああ」


踵を翻した鬼鮫を追うように踏み出した。焼き付ける太陽に背を向けて。