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たまには私を見てよ



時間を刻む音が静謐に響く昼下がりの自室。丸窓から射し込む陽光が、畳に使われている藺草の洗練された香りを引き立たせた。空気の中で浮遊する微細な埃が不意に目に入ってしまい、ぱちぱちと瞬かせる。ごろっとした違和感に生理的な涙が頬を伝う。異物感が無くなったことで、もう一度改めて私の前に正座する背中を見つめてみた。菩薩かと思うほど綺麗に伸ばした背筋は寸分も崩れず一定の律動を刻んで指が紙をめくっていく。なんでも先日捕らえた敵方の忍が持っていたという書物に忘我夢中になっている。珍しく柱間さんの言うことを聞いて休みを取っているのに、なんで物言わぬ本なんかに現抜かしているのだろう。話しかければ返事をし、抱き締めれば腕を回す人間がここに居るのに。


「視線がうるさいぞ」


己は背中に目ん玉でも付いてるのか。毎度の事ながらよくもまあ解るものだとぶすくれながら内心で感心する。売りの鋭い感知能力で私が何故凝視しているのかも読み取ってほしいものだ。目の前の唐変木にそれを夢見るだけ落胆するのは火を見るより明らかなので、私の頬はますます膨れ上がっていくのであった。仕事するためだけに生まれてきたような仕事人が休みを取って家に居るというのに、しかも恋人が健気にも全ての用事を後回しにして逢瀬を今か今かと待っているというのに、この男はなんなんだ。戻ってきてからずっと本に耽けるとは言語道断。おいこら扉間、私の相手をしろ。じゃないと赤ちゃんプレイが大好きという性癖を言いふらしてやる。早速実行に移そうと正座していた脚を崩したら、見計らったといわんばかりに脳天に手刀が容赦なく振り落とされた。脚の痺れも相まって体勢を保てなくなり情けなく床へ倒れ込む。私を見下ろす赤い眼はいつも以上に吊り上がっていた。


「やめろ、俺の沽券に関わる」


「やーいドスケベ扉間ー」


「その憎まれ口を開けないようにされたいらしいな」


「唇で?」


「そういう意味で言ったんじゃない」


「私はされたいけど」


間髪入れず切り返せば、彼は瞳を震わせて唇を真一文字に結ぶ。そのまま顔を再び背けてしまった。恥を忍んでお願いしてみたのに帰ってきたのは唇ではなく無視。なんでだろう、扉間と私って相性悪いのかな。そう考えて止まないのには理由がある。私がそういう気になった時は扉間は仕事してるし、彼がその気になった時は私が任務に追われていたりする。それは一度や二度のことではない。すれ違いばかりで触れ合うことさえままならない。ここまでくるといっそのこと別れた方が。そんな馬鹿げた結論が隙間を過ぎってしまう。身体の芯が火で炙られるかのように熱くなる。視界がぼやけても彼は背中を向けたままだ。けれども背中に第三の目を持つ彼に見られたくなくて顔を下げた。


「名前」


「んー?」


「じき終える」


「え?」


「それまで待っていてくれ」


らしくない様子だった。忍でありながら実力が無さすぎる私でもはっきりと解るくらい緊張を帯びているのだ、箸のように真っ直ぐな背筋も書翰に落とされた視線も変わらないのに、声だけ。満ち満ちる仄暗い感情を払拭するように気配をなるだけ消しながら近寄れば、目に飛び込んできたのは血色を帯びた耳裏だった。