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纏縛



梟が雌に求愛する声が響く丑の刻を回った月夜。良い子も悪い子もぐっすり就寝してる静寂を、乱暴に引き裂くような轟音が屋敷中に響いて飛んでいた意識に火がぼっと灯る。弾き起きて「またか」と、続けて響いた轟音に肩を落とした。災害を一箇所に集めたような部屋に向かう途中でもそれが止むことはなかった。光の筋が漏れ出す襖をなるべく音を立てぬように横に引く。部屋から一気に溢れ出た空気に、喉が萎縮するほどの電流が迸って全身が強張った。嵐だ、目の前に起こっている光景を人が起こせると思えない。それくらい激しく荒れていて、渦中の人物から漏れ出る雰囲気は地獄の鬼でさえ傅くことだろう。殺意、怨嗟、慟哭、悲嘆などが混ぜられた感情が咆哮となって空気を裂く。

長い髪が宙を舞いながら男は机、衣装箪笥、行灯など部屋にある調度品の一切合切を手元にある物から力任せに的もなく投げつける。箪笥が倒れ衣装が床へ顔を出す。自分の服を踏んでいることもお構いなく、気づいてない様子で無心に暴れ続ける。枷が外れた獅子が積年の恨み辛みを感情任せに発散させているようだった。指先まで縛られて動けない私目掛けて真っ黒な箱、硯が飛んできた。はっと我に返って身体を動かす。投げられた硯は無事私に当たることなく庭に植えている木の幹に衝突した。それを確認して再び部屋に視線を戻す。男が重宝していた硯が木にぶつかって外で伸びているというのに、男は拾う様子もなければ私に謝罪する様子もなく床の上でうずくまっている。


「マダラ」


ここでようやく声が振り絞れた。掠れた声に男の肩が反応する。けれど顔を上げる気配はない。彼の部屋の敷居を跨いで部屋に入る。まだ起きない。一歩、また一歩と足を引きずるように近づいて己の膝を折り彼の背中に手を添える。起きない。というよりそもそも私に気づいているのか? おーいマダラ、解ってる? ふと耳に何かがうっすらと流れてきた。とてもとても小さな声で、全神経を集中させなければ聞き取れない音量だ。思考を一旦止めて静寂に溶け込む。そうして聞こえてきたのは低い声で何かを唱える声だった。けれどそれに注意深く耳を傾ければそれがマダラが発するものだということに気づく。

口から漏れ出すのは彼の独白だ。壊れたように彼は小さな声で繰り返し何かを呟いている。私にはある程度察しがついていた。亡くなった弟のことだ。唯一傍に居た最愛の弟を亡くして爾来、時折マダラはこのように陥る。戦で負った傷が原因で亡くなってしまった彼の弟。千手とうちはが手を組み戦が無くなったとしても、彼の胸中を縛る過去の鎖は千切れやしないのだ。呟かれた言葉の一部を捉える。吐かれた言葉に心臓を握り潰されたように息苦しくなる。弟の名を繰り返し言いながらすまんと謝り自分の非力さを罵倒する様は、とても見ていられない。


「マダラ、もう終わったことなんだよ」


全ては後の祭り。幼い頃に抱いた大志も誓いも全ては現実によって打ち砕かれてしまった。遺ったものは行き場のない悔恨とまとわりつく過去の記憶だけ。温かいはずのものは今では喉元を絞める楔でしかない。だけど忘却できようはずもないのだ。間違いなくそれは大切なものだし、手放したくなかったもの。代替なんて利かないからこんなに苦しいのに、亡くすことさえできない。結局のところ戦が終わっても時が進むことはできないのだ。矮小に過ぎない手をぎゅうっと感情を込めるように拳を作る。私はなんて無力なのだろう。愛する人の大切な者を守ることもできず、悶える彼を闇から引き上げる術も持たない。何を言っても響かないのは私にその力がないから。現に火影となった柱間の言葉は彼に届いた。マダラと対等にやり合える程度の力を有しているから成せた業であって、マダラの足元にも及ばない小娘程度が喉を枯らしたって届きようがない。だから咽び泣く彼の背中を擦ることしかできないんだ。ごめん、頼りなくてごめん。ごめんなさい。