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明けぬ宵



一昨日は書類の仕分けと整理。昨日は現段階の人員と志願者の情報の確認。今日は志願者の試験官。


「そして明日は私の命日、と」


「どうした」


「仕事多すぎ回しすぎ! 疲れた!」


うわーんと泣き声をあげながら枕に顔を墜落させる。柔らかい枕の感覚が憔悴しきって布切れ同然と化した心にじんわりと染み渡っていく。私に優しいの愛用してる君くらいだよ。マダラなんて「騒々しい声をあげるな、頭に響く」と言って持っていた書翰の角で頭を叩いてきた。信じらんない、恋人が泣いてるっていうのに。だいたいそれもこれも全部扉間様が回した仕事に問題があるのだ。一日もあれば充分やりきれるとか言って渡してきたものはどう見ても許容範囲ぎりぎりなものばかり。確かに一日で終わらせたけど! 終わらせたけど、その代償として日々満身創痍になるとは思ってもみなかった。今日も、早く帰るつもりが結局帰宅出来たのは、戌の刻の下りになってしまった。


「もう嫌だ永眠したい」


「俺が直々に下してやる」


「要らないでーす。そんなものより癒しが欲しい」


「寝てろ」


「ド辛辣!」


なんなんだ今日は。輪をかけて冷たいじゃないか。隣で寝そべる私を言葉のみで対応し、彼はと言えば手にしてる書翰にさっきから耽っている。横顔は眉ひとつ動かさず、目線ひとつ動かさず。よくよく見れば紙を捲る音も聞かない。まるで嫌がる子供を引き剥がすが如く褥から離すまいとする己の身体に鞭を打って腕で起き上がらせる。腕伝いで横に座る彼に近寄って、肩に顎を乗せてみた。解っていたことだけど、にしてもこの男はほとほと顔がいいな。浴びる月光はまるで砕いた宝石のよう。白い肌は女の私ですらも呆気に掬われ、天女を信じてしまうほど煌々と輝いている。細長い鼻は高く持ち上げられ、長い睫毛の奥に埋め込まれた黒曜石は見る者をたちまちに魅了させ引き込んでいく。長い緑の黒髪が肩に顎を乗せた私の頬をくすぐって目を眇めた。


「何を怒っているの? マダラ」


らしくもなく何故かこの男は今気が立っているようだ。証拠はさっきから厘毛たりとも動かない目線と書翰の頁。本に耽っているというより別のことに忘我しているように見える。問われた彼は片手の本を音を立てて閉じ、傍へ置く。黒曜石のそれは横目に私を捉えた。


「気に食わないだけだ」


「何が?」


「あいつにお前との時間を潰されていることも、それに従順なお前にも。見ていて腸が煮えくり返そうだ」


「従順って。仕事に従ってるだけだよ」


「会えない理由の元はあいつに変わりはないだろ」


腹の底から沸騰する激情を抑えようと、声こそは平静なものの私を見据える双眼は、見る者すらも焼き焦がしてしまうほどの苛烈な赤へ染まっていた。マダラが言う「あの男」。名を聞くまでもなく扉間のことだと理解する。マダラの言うとおり扉間から課された仕事の量により忙殺されていた最近はマダラと会うことおろか、言葉数すらまともに交わせていない日々だった。自分の恋人が最も嫌う男に取られたようでマダラとしては面白くないんだろう。その気持ちは大変、凄く嬉しい。彼をこんな気持ちにさせたことの罪悪感を感じつつ、しかし恋人に妬かれて嬉しくないはずもないという気持ちも否めない。


「お前はどう感じていた」


今度は私が問われて返答に少し迷った。正直に言えば気持ちの隙間を感じるほど余裕があったわけじゃない。里が形成されてまだ数ヶ月。戦のように斬り捨てれば解決するようなことでなく、前例のないものを今私たちは創り上げている。いや、やめよう。あれこれ理論付けて小難しく得心させる必要はないんだ。


「声が、聴きたかった」


不意に訪れる脱力感。その時何よりも真っ先に欲したのは愛しい彼の声。仕事に失敗して唇を噛み締めた時も求めたのは彼だけだった。恥ずかしい話、腐れ縁という仲が思いのほか身体の芯まで浸透していた私は、折れそうな時ほどマダラに居て欲しいと願い、甘えたいと思ってしまうのだ。心の奥底にしまい込みたくなる羞恥に塗れた本心を見透かしたかのように不敵に笑むマダラ。伸ばされた手は脇腹を這って腰を強引に抱き寄せた。薄い布を隔てて伝わってくる心臓の鼓動は果たしてどちらのものか。すっと細められた瞳は、焦がすような赤でなくてもその奥には先程以上の欲が渦巻いていた。


「声だけか?」


「言ったらくれるの?」


「お前次第だな」


「うわ、意地悪」


くすりと笑って彼の首に手を回し、唇を重ねる。静謐な部屋に水音が小さく響く。唇を離して彼に笑いかける。それは誘うような、挑発的のような。滅多に自分から口付けをしない私に目を丸くした彼だったが、気が乗ったようで身を乗り出して私を褥の上に押し倒し、覆い被さった。月見をするのはまだ先でいい。