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道化師たちの指と指



馴染みのない場所に、気付けば立っていた。限りなく広がっている景色は、頭の中にある情報を頼りに当てはめるならば、山中というのが近しいかもしれない。所狭しと立ち並ぶ大木と、明らかに舗装されていない山道。葉の間から漏れる日差しと、どこからともなく聞こえてくる川のせせらぎの音に、とりあえず進むことにした。進めど進めど景色に変化はない。地盤が悪すぎてしょっちゅう落っこちそうになるから、常に気を張っていないといけなくて段々イライラのゲージが溜まっていく。誰ひとりもここに来たことないんか! ってくらい獣道すぎて、憶測だが動物も生息してなさそう。綺麗と思えるほど瑞々しい自然でもないし。だいたい私に自然観賞なんて女性らしい趣味はないのだ。戦場を駆け回るくらいがちょうどいい。上り坂らしき道を歩いていると、はるか先方に揺らめく影を見つけた。風になびく布のようにそれは揺れていて、一瞬そういう類いの何かかと身構えたが、目を凝らして見遣れば、それが人の輪郭を象っていることを認識したので、肩の力を抜いた。こんなわけの解らない場所で果たして声を掛けて良いものか迷ったが、解らないなら解らない以上ひとりでまごつくわけにもいかないので、決めあぐねた結果、私はその人物に話しかけてみることにした。まだ距離はあるし、向こうはどうやらこちらに背を向けており振り返る気配はないので、気づいていないんだろう。正体不明でも同じ人間を見つけたことで掬われるような思いを抱き、それが脚を速める原動力となった。うっすらとしか捉えられなかった距離がみるみる縮まっていき、影の背丈や纏う服の質感などを認識するまでの近距離になった時、向こうもようやく私の存在に気づいたらしく、先を向いていた顔が振り返った。


「こ、こんばんはー……」


振り返った人物の格好に言葉が引き攣ってしまう。顔半分が、火傷の後遺症なのか爛れていて、破られた裾から伸びてる右腕は人のものとは思えない色をしてる。白なのだ、美白とかそんな意味合いでなく、言葉どおりの白。人ってあんな色になるもんなの? と、反射的に思ってしまった。戦場帰りのような出で立ちの彼は私を見るだけで何も言わない。誰だお前くらい言ってくれないとさすがの私とて会話が続けられないし、その気力もぷちっと潰れてしまう。


「あの私、実は迷子でして……。こんな大人なのに何やってんだって思いますよね? いやあ、ほんと、自分でもそう思ってまして。それでですね! もしここがどこか知っているなら」


「俺も知らない」


「できれば教えてほし、って、あなたも迷子なんですか?」


「気付けばここに居た」


なんだよー、ただの同胞じゃんかよ。案内人を任せて無事に帰ろうと思ってた私の僅かな希望を返せ、コノヤロー。待てよ、この人も自分と一緒の境遇なら仲間になれるんじゃなかろうか。こんな、見覚えのない山中にひとり置かれて心許無いわけがない。見るからにぼろぼろで、今にも倒れそうだ。でも雰囲気からして頭は回りそうだから、私が護衛を買って出ればもしかしたら助かるかもしれない。初対面の人と長居するのは性分じゃないが、背に腹はかえられぬように、わけの解んない場所でひとりで居るのも嫌なので致し方ない。


「あの! できれば一緒に行動しませんか?」


「何故俺がお前と」


「あ、あからさまに嫌そうにしてるぅ……。あなた、この場所知らないんですよね? 私が抜け出す間の護衛役を担うので、その、一緒に行動してくれたらなーと。こう見えて私、忍なんで腕はそこそこ立ちますよ」


「お前、忍なのか」


反応の色がなかった顔に僅かな驚愕が広がる。そんなに予想外だったか? これでも一応国お抱えの忍をやってたんだぞ。信用してくれないには事が始まらないと考え、証拠品としてクナイやら手裏剣やらを見せた。一般人がこれらを持っていてもなんの意味も成さない。得物に慣れない彼らならこんな小さな物を選ばず、真っ先に刀とかを選ぶからだ。これで忍だという言い分を信じてくれたかと伺えば、返ってきたのは「どちらでもいい」という、幼馴染みの間柄なら迷わず拳を爛れていない方の頬に食らわせていた発言だった。初対面の人に手を挙げるわけにもいかないので、立ち込める怒りを眼差しでぶつけてると、彼はふいと踵を返す。


「着いて行ってもいいですか?」


「好きにしろ」


「やったあ! ありがとうございます、白い腕の人」


その人の情報が無い以上、特徴で呼ぶしかなかった。かくして迷子仲間が増えた私は、彼の背中を追うように山道を進むが、間に会話はない。親しいわけじゃないんだし気遣えってのが酷だし、向こうも私と同じようなコミュ障なら尚更申し訳ないし、これは我儘だって解ってるんだけど、それでもずっと無言ってかなりきついな。好きにしろって言われたけど迷惑じゃないよね? なんて考えが頭の中を侵食していき、胸中に不安が落とされた。耳を澄ませば自然の美声が入ってくるが、それだけじゃ足りなくて、とうとう口を開いた。


「なんでそんなボロボロなんですか?」


思ったことを口にしたけど、直後反省した。言いようってものがあるでしょ、私。言葉足らずが招いた災難で懲りたはずなのに、成長は全くしてない自分に気を落とす。気を悪くしてなきゃいいけど、そう思いながら窺い見るが、肩越しに一瞥した時の顔にそういう類いは見受けられなかった。けれど彼の歩みは止まる。数歩前でぴたりと私の足も止まる。や、やっぱり怒らせてしまっただろうか。おっかなびっくり目線を外せずにいると、ややあってから返事がきた。


「戦争をしていたからだ」


「はい?」


今、トンデモ爆弾を落とさなかったか、この人。恐ろしい言葉を放ったにも関わらず、語調に淀みはない。至って平静だ。その冷静さが冗談でないことを教えてくれるから、沈黙による不安はたちまち眼前のやべえ人への警戒に転換される。


「マジですか」


「マジだ」


「巻き込まれて、みたいな?」


「起こした側だ」


「まさかの大戦犯」


こんな山道で戦争を起こしたやべえ人に出くわすなんて。いくら言葉足らずが招いた災難に慣れた私でも、戦争を起こした本人に出くわす不運には嘆いても許されるかもしれない。


「因みになんですけど、なんでそんなことを?」


「知ってどうする」


低い声と鋭い眼光で見下ろされ、唇を引き締める。背中から刺々しいチャクラが滲み出し、それが脳内に警鐘を打ち鳴らした。この人、戦争を起こしたとか言ってるけど、忍がはびこるこの世界で戦争なんて、徒人じゃまず発想すらできない。多分この人、私と同じ忍だ。技量を言うなら私以上だろう。こんな人と居て気付かない上に護衛役を買うなんて、どんだけ愚鈍なんだ私は。これでも長いこと忍やってきた身だけど、勘、鈍りすぎじゃない? 今になって同僚の「お前よく生きられてるよな」という哀れみの眼差しが理解できた。だけど唐突に刺々しいチャクラの波が落ち着き、私を見て思案に暮れていた彼はけろりと言った。


「いや、話してやる」


「いいんだ……」


「隠す必要もないしな」


さようで。白い腕の人はぽつぽつと語り始めた。忍になってチームができたこと、好きな女の子ができたけどその子はもうひとりの班員が好きだということ、任務中白い腕の人は重傷を負い、片目を同じ班の男の子にあげたこと、その子に任せたはずの女の子が人柱力にされた挙句死んだこと。そしてその好きな子が笑っている世界を創ろうとして戦争を起こしたこと。登場人物の仔細はついぞ語られなかったが、冷たく平坦だった声音がその班員を語る時だけ、軟化を見せた。こちらに背を向ける彼の表情は窺えないが、きっと優しい目をしているんだろう。


「好きな人が居る世界を創る、か……」


誰かを好きになったことのない私には、想像もできない考えだ。だが事実、彼はそれをするため戦争を起こしたと言った。誰かを殺すことになっても欲しかったもの、叶えたかった夢なんだろう。気持ちを言語化し、結末を語るのは、聞く手にとっては単純なことと思えよう。それまでの苦悩も地獄も、本人にしか知りえない。胸中に沸くこれは、なんとも言い難いものだった。誰かを犠牲にするなんて、という善人ぶる気持ちは出てこない。誰かを守るために何かを犠牲にするのは忍の世界じゃ日常茶飯事。だからと言って彼の所業に涙して労うこともできない。一のために万を土台にする思考など持ち合わせていないから。それでも言えるとするならば。


「――眩しいね」


それに尽きる。先を歩んでいた大戦犯もとい白い腕の人は、そんな返事をされるとは思ってもいなかったようで、険しい表情をして振り返った。立ち止まって訝しむ彼に、嘘や気を遣ってるわけじゃないと弁解する。信じていないのは明白だが、自分にとって彼の気持ちは、目が焼かれんばかりに眩しいものと映って仕方ない。


「そんだけその女の子が好きだったんですよね。優しい人なんですね」


「そういうものじゃないだろう、これは」


「まあ何万人と殺してますし、一般的に定義されてる『優しい人』には当てはまりませんけど、誰かに一途なその愛情は、優しいと思いますよ」


好き者にも、私にはね。あなたが抱く気持ちは、私からすれば少しだけ羨ましく思える。そんなふうに誰を愛したことも、心を砕いたことも、振り返ればなかった気がする。私は私であるべきだといつも自分本位に生きてたなあ。それらを知らぬままここに居るわけだけど。


「気が乗った、お前の話も聞いてやる。話してみろ」


「ええぇ……? 私の身の上話なんてすっごくつまらなくて、そのうち寝ちゃいますよ。あまりのつまらなさに昇天しちゃうかも」


「なんでそこは意固地なんだよ。いいから話せ」


「えぇー……。強引だなあ、この人……」


こちらに向ける視線は初対面の時よりやや軟化していたが、それへの嬉しさよりも、目の奥でちらつく明らかな好奇心に、苦い薬を飲まされたかのように肩を落とした。私は彼のような激動の人生を送っていない。一般家庭に産まれて忍になった、平々凡々な中忍だ。枯れ切った荒野が例えに相応しい人生であった。回顧して、懐かしいとかそういったこともない。だけど同じように後悔もしていない。心残りもない。これはこれで私の人生だったと受け入れられるくらいには、それなりの満足があったから。もし来世なんていうものがあるなら、この人のように誰かを愛してみるのもいいかもしれないな。さて、時間はまだまだあるんだし、どこから語ってみせようか。