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拝啓、お母さん



天国で如何お過ごしですか、お母さん。あなたのことですから、きっとそちらでも誰彼構わず手当り次第に賭け事吹っかけては金をせしめているんでしょう。お母さんに「母さんより長生きするから」と熱い約束を交わしましたが、ごめんなさい。お母さんの半分もいかないくらいでそちらに行くことになりそうです。


「大人しく着いて来れば手荒な真似はしない。どうする?」


黒の和服姿をした男のそれは問いかけであって問いかけではなかった。ひとつしか許されていない選択肢を取り、私は首を何度も縦に振る。白旗掲げてるから抵抗しないという意思を解ってもらうためだ。恐怖に竦んで赤べこに徹する自分を見下ろす刃のように鋭く冷たい双眸は静かに閉じられ、ただ一言「いい子だ」そう吐いて踵を返す。長い黒髪は円を描き、冷たい目をした男と共に部屋から出ていく。それを見届けてから意識を手放した。


◆◆◆


恰幅の良い男たちに家に押し入れられ、囲まれるなんてどんな悪夢かと思ったが、夢であったならばどれほど目覚めが悪くてもまだ許せた。ツイてなかったと片付けられた。なのに目が覚めても悪夢は続けられている。意識を取り戻した私を、冷たい目をしたあの男と同じ黒髪と目を持つ男が「あいつの元に案内する」と言った。あいつと言われてまず思い浮かぶのは気絶する寸前見たあの男の顔だった。家でぬくぬくしてたところを奇襲し、黒服たちの奥から悠然と現れた冷たい目をした男。和室を出て男の背中を追うが、その道中に立派な庭園に出くわした。掛け軸と言い、彼らの格好と言い、この庭や建物と言い、もしかして自分は「ヤ」の付く人たちに拐かされたのではと頭をよぎる。でも自分はそういう手合いの人に世話になるようなことしてない。関係者だって居ない。考えられる要因とすれば生前の母の行いくらいか。賭博が大好きな母が理由とすれば納得する。だが何故今になって? それだけじゃない。母は確かに賭博好きだが、「ヤ」の付く人から金を借りるような真似、あの母がするわけない。こういう時に父が居ればとも思うが、とうの昔に鬼籍に入った人に縋っても仕方ない。


「ここだ」


「は、はい……」


黒服の男が襖の前で足を止める。くるりと振り返って入るよう促すが、ここにきっとあの男が居るんだろう。何されるのか解らない。こ、殺されるのかな自分。それとも泡に沈められるとか? ぶるりと身が震える。入らないのかと目線で叱られ、襖に手をかける。女は度胸! 腹を括って開けた。緊張のせいで力加減ができず、スパンと大きな音が、ざっと五十人は入れそうなほど広い和室に響く。当然だけど室内に気まずい沈黙が流れ、部屋の上座に座っていた冷たい目をしたあの男も、流石に予想外なのか目を点にして私を見つめている。死んだな、私。密かに死期を悟り黙り込む。胃の悲鳴が聞こえてきそうな沈黙を破ったのは、隣に立っていた男だった。


「そう固くなるな。何も取って食おうとしてるわけじゃない」


そう言われましても、こっちは既に食われたと言っても過言じゃない気分なんだわ。土足で家に押し入られた挙句誘拐されて拉致られてるし。身代金欲しさなら一秒でも早く諦めてほしい。父を早くに亡くし、母も一年前に亡くなった。親戚は居ない。孤立無援な私のために大金を払ってくれる人なんて居ないのだ。念願の第一志望の大学に合格したツケがこれだと言うのなら、現実は理不尽を通り越してもはや拷問に等しい。少ない動作で入口に近い座布団に座り、対面するあの男と向き直る。案内してくれた男は部屋の外で待機するよう。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。私に後ろめたい事なんてないんだから、もっと堂々としなきゃ。亡き母は「胸を撫で下ろすのは死ぬ時だけにしなさい」がいつも口癖だったじゃないか。うん、大丈夫。きっと。多分。おそらく。すると突然、男と私だけのだだっ広い和室に大きな笑い声が行き渡った。対面する男はひとしきり笑って見せた後、ぽかんと放心状態の私に説明する。


「初めて見た時はあまりの腰抜けぶりに自分を疑ったが、しかしなるほどな。お前は確かにあの女のガキだ」


「あの女? 母をご存知なんですか?」


「ああ、よく知っているとも。あれは非常に頑固な女だった、何度手を焼かされたか……」


言葉尻は溜息と共に消えていく。母を語る眼差しは意外にも柔らかくて返す言葉が見つからなかった。口ぶりからして、名前を知ってるだとか姿を見たことあるだとか、そういった関係性じゃないことが窺える。もっと親しい間柄のような。友人? それか昔の恋人だったりして? 私は母の交流をあまり知らない。家に誰かを招くことはなかったし、でも近所のお爺さんお婆さんたちからも悪い噂は聞かなかったから、単純に家に上げるのを嫌がってるんだろうと思ってた。


「あの、母とはどんな関係なんでしょう……」


疑問を口にしただけなのに、それがまるで触れてはいけないことでも聞いたかのような反応を彼は見せた。衝撃を受けたかのように目を丸めて瞬かせ、その返しに自分はマズいことを聞いたのかと喉の奥がきゅっとなる。


「何も聞いていないのか?」


「母の生い立ちや交流関係は何も知らなくて」


「お前の出自さえもか?」


「結婚したはいいが父は私が産まれてすぐに亡くなった、とだけ」


「ほう」


さも面白いものを見つけたようにすっと目を細めて、顎の輪郭をなぞる。私の知らない何かを知っているような態度に胸の中を掻き回され、不安が腹の底からじわりと滲み出す。この男は一体何なんだろう。母の何を知って、どんな関係で、何故私をここに連れてきたんだろう。自ずと肩に力がこもる。


「結論から言うが、お前の父親は生きている」


「えっ」


「そしてお前は俺の娘だ」


「なんて?」


「最近になってあれの所在が掴めたのでな。それにしてもあいつ、俺に身篭ったことを隠して消えるとは。おかげでこっちは」


「ちょ、ちょっと待って、待ってください!」


恨み辛みを呟き出すのを中断して私に目を遣る。私を拐った挙句突然「俺が父親だ」なんて言われても理解できませんから、その「なんだお前、鈍臭いな」みたいな眼差しやめてください。普通の反応だというのにあからさまに見下されてはこっちが馬鹿なのかと錯覚してしまいそうになる。矢継ぎ早に新情報を叩き込まれたわけだが、仮にこの男の言い分が真実だとしたら、彼が私の父親ってことになるし、お母さんはどういう理由かそれを隠してたってわけになる。こうして改めて見ればなるほど私と似てる部分がある。目元とか鼻とか。


「仮にあなたが私の父として、どうしてそれを母が私に黙ってる必要があるんです?」


「知らん。あれの考えなど俺でなくとも解る奴なんて居るものか」


「ええぇ……」


そうもあっさり断言できちゃうもんなの? 鼻白んで吐き捨てる様に、しかし全く共感できないかと聞かれればほんの少しだけ共感できるところがあった。実子の私が言うほど母は奇矯な人柄だ。全くくだらないことで意固地になる一面もあれば、打って変わって穏和な一面もあり、だが要らないとひとたび思えばどれほど執着してた物でも捨てる非情さもある。物心ついた時から、奇想天外を人にしたような母に振り回されて育ってきたが、それでも母を悪く言う人は私含めひとりも居なかったところから、母の人となりが垣間見えよう。そんな母を、彼はどう思っているんだろう。さっき見せた和らげな視線に嘘は見えない。でも今は嫌ってるふうに見える。それを尋ねる前に知らねばならないことを聞く。


「なんで私をここに連れて来たんですか」


「お前を実子として迎え入れるためだ」


「なんで今更……」


「そうだな、興が乗ったとでも言っておこうか」


「釈然としない回答ですね。でも遠慮させていただきます」


「ほう……。何故?」


またあの目をした。人を試す冷たい目。何をそこまで揺さぶられてるかは解らないけど、できるならこれ以上この男とは関わりたくない。彼が私の父だと断定できる材料もなくて信用できないし、いくら娘とは言え人の家の敷居を許可なく跨いだ挙句半誘拐の形で連れて来られた待遇も気に入らないし、あとはぶっちゃけおっかない。目付きが冷たくて怖い。でも一番怖いと感じるのはこの家自体。家の内装と言い、あの庭園と言い、黒髪美男揃いの黒服と言い、絶対ここは「ヤ」の付く伏魔殿だ。それでなくてもここの人たちからは堅気の様子が感じられない。裏でやばいことしてそうで、心と頭が「関わるな」と口を揃えて警告してくる。私の知らない母を知るチャンスではあるが、こっちはやっとこさ第一志望の大学に合格したばかりの学生だ。学生生活おろか人生までも棒に振る気はない。もうひと踏ん張りだ、頑張れ自分。


「母が逝去して一年。苦学生ながらも人並みの生活はできています。なので今更あなたの厄介になるつもりはありません」


言えた。所々言い淀んでしまったが、こうもはっきりと断れば彼も納得せざるを得えないだろう。怖いというのは敢えて伏せておいた。あなたの実家がものっそい怖いんで嫌ですなんて言った暁には、二度と朝日を拝ませてもらえなさそうと思ったからだ。意識して彼を見つめ直す。こちらをじっと捉えてうんともすんとも言わない。嘘は言っていない。隠し事はしてるけど。見つめられる時間が長くなるにつれ胃がきりきり痛み始めた。お、怒らせてしまったんだろうか。居た堪れず視線を外した時だった。


「――学費を一括で出すと言ってもか?」


下がりつつあった視線が跳ねる。冗談だろうと驚愕するが、彼からそんな気配は見られず「冗談じゃない、本当さ」それが決定打となった。学費を一括で。そうなら奨学金の支払いをせずに済むし、学費を肩代わりしてくれるなら私は自分の生活費のみを稼げばいいのでかなり負担が軽くなる。固く決めた気持ちに波が生じる。いいかも、と欲が頭を過ぎったのに気づいて頭を振る。いかんいかん。彼が自分の父だっていう確証もないんだ、他人に借金するはめになってしまう。


「住むところも提供しよう。そうだな、就職にも手を貸してやる」


「お願いします」


「あの女のガキにしては賢いな。あの部屋は月末に解約しここから通うといい」


「――あの」


「なんだ」


「そんなパチ玉みたいにぽんぽんお金渡しちゃって大丈夫なんですか? 私が通ってるの私立なんですけど……」


「砂利が無用な心配するな。この程度の出費に傾くうちはではない」


「なるほど……」


何気初めて名前を名乗られたような気が。うちはと言われたが、脳内の辞書を引くも引っかからない。初耳の名前だ。婚姻関係にないようだからお母さんは旧姓を使ってたし、親戚も居なかったから今までバレることがなかったんだろう。私を育てる以外でズボラなお母さんだったけど、こんな地雷を埋めたまま逝くなんて。せめて今際の際くらいには教えてくれても良かったじゃない。


「何かあればイタチに聞くといい。あいつはお前と同じ年頃だったはずだ」


「大学生も居るんですね。今はどちらに?」


「弟を連れて独り立ちしている」


「なんか見た目以上に一般的でちょっと安心しました。最初は危ない集団かと思いましたよ……」


ほっと肩の力を緩めると、彼はふっと失笑する。


「まあ、人から褒められる仕事はしていないがな」


「えっ」


「実害は無いから大丈夫だろ」


意地の悪そうな笑みでまた爆弾を落とされたが、やっぱり親子関係を結ぶの考え直していいかな。お母さんが父の存在を隠したのってそれが理由なんじゃ……。憶測に耽る私との話は終わったばかりと体勢を崩して立ち上がる。重力無視して跳ねる髪は彼自身の性格を表しているよう。まるでヤマアラシみたいだ、髪が。じわじわと込み上げてくる笑いから意識を逸らすため、彼に名前を聞いてみた。軽く一時間くらい一緒に居て名前も聞いてないなんて。


「あなたのお名前は?」


「うちはマダラだ、好きに呼べ」


「うちはさん」


「お前もうちはの姓になるだろ」


「あ、そうだった。じゃあマダラさんで」


私の個人情報はプライバシー権など端から無いと言わんばかりに無視して調べ上げたようなので、改めてこちらから名乗る必要もないだろう。これから何かと、多分末永くだろうが、厄介になるのでその意を込めて頭を下げる。


「これからよろしくお願いします」


拝啓、天国でも相変わらず賭博に耽っているであろうお母さん。あなたが遺したひとり娘は、死んだはずの父と一緒に暮らすことにしました。金で釣られたなんて、決してそういう理由じゃないです。うん。にしてもうちはってみんな美形揃いなんかね。案内してくれた男もそうだったし。