縋りつく話


黒の拠点へ帰り着くと、そこにはヤミがいた。

「おい、なんだその顔。熱でもあんのか?」

腕を組みながら、煙草をくわえたままジゼルを見つめるヤミ。その視線は珍しく心配げだった。

「は? 別に……」

「別に、じゃねぇよ。耳まで真っ赤じゃねぇか」

「……っ」

図星を突かれ、ジゼルはぎゅっと唇を噛む。

ヤミの言う通りだった。

今もまだ、心臓が落ち着かない。星果祭の夜、貴族の女たちに微笑むノゼルを見て感じた苛立ち。そして、自分に向けられた全く違う甘い笑顔。

———ノゼルの特別は、自分。

弟妹が語る兄とは違う、ノゼルの優しさ。
けれど、ノエルが言っていた「いつかノゼルも結婚する」という事実。
それが何を意味するのか、考えれば考えるほど胸が苦しくなる。

「……はぁ」

ジゼルは乱暴に前髪をかき上げた。

「なんだってんだよ、マジで……」

言葉にしようとするほど、自分の感情がわからなくなる。

「おい」

「……」

呼びかけるヤミの声に、ジゼルはもう一度大きく息を吐く。

ぐちゃぐちゃだった。
頭の中も、心の中も。

「……なあ、団長」

ジゼルは、不意に目を伏せた。

「俺、あんたに言ったことなかったよな」

「……なんの話だ?」

「ノゼルとは、一度……」

言いかけて、喉が詰まる。

あの夜———
16歳の誕生日を迎えた夜。
ずっと閉ざされた部屋の中で、
兄と初めて一線を越えたあの夜。

「俺から、誘ったんだ」

小さな声で、そう呟いた。

ヤミの表情が動いたのがわかった。
驚きとも、困惑ともつかない微妙な間が生まれる。

「……マジか」

「っ……!」

言葉にした瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。

それと同時に、張り詰めていたものがぷつりと切れたような感覚があった。

次の瞬間———

ぽろりと、涙がこぼれた。

「お、おい……」

自分でも驚くほど、簡単に。
頬を伝った涙は、止まらなかった。

「……っ、なんで……」

泣きたくなんかないのに。
なのに、どうして。

「ちょっと待て……お前、泣いてんのか?」

ヤミが焦ったような声を出し、ジゼルの肩に手を置く。

「ちげぇよ……わかんねぇ……俺、どうしたらいいんだよ……」

頭がぐちゃぐちゃだった。
喜びと、戸惑いと、苛立ちと、どうしようもない感情が、滅茶苦茶に入り混じる。

ノゼルが特別なのは、自分。
けれど、いつか結婚するのも事実。

「どうすりゃいいんだよ……」

震える声でそう呟いたジゼルを見て、ヤミはしばらく沈黙した。

「……クソが」

低く、吐き捨てるような声がした。

「てめぇの兄貴、マジでどうしようもねぇな」

そう言いながら、ヤミはぐしゃりとジゼルの髪を乱暴にかき回した。


「俺なんだ……」

絞り出すような声だった。

「……は?」

ヤミが聞き返す間もなく、ジゼルは続けた。

「……俺が……誘ったんだよ」

指先が小刻みに震えていた。
喉が焼けるように痛い。

「……理性を保ってたノゼルを……壊したのは……俺なんだ……」

床に落ちる涙の音が聞こえた気がした。

「俺が……こんな……歪んだ関係を生み出したんだ……」

苦しげに、縋るように。
ジゼルはヤミの胸元にしがみついた。

「……」

ヤミは黙って、それを受け止めた。

「っ……ノゼルは……優しかった……ずっと……俺を……大事にしてくれて……」

しゃくりあげながら、ジゼルの声は震えていた。

「……でも、俺が……っ」

自分から求めたのだ。
一線を越えたのは、自分だった。

「……どうしたらいいんだよ……」

息も絶え絶えに、懺悔するように。

「どうすりゃいいんだよ……」

涙でぐしゃぐしゃになりながら、ジゼルはヤミに縋った。

「……クソが」

ヤミは低く吐き捨てると、ぐしゃりとジゼルの髪をかき回した。

「バカが……そんなん、今更気にしてんのかよ」

「……っ、でも……」

「もう終わったことだろうが」

「終わって……ない……」

ジゼルは顔を上げた。

「……俺の中で……ずっと……終わってないんだよ……」

潤んだ瞳。
ぐしゃぐしゃに赤く染まった頬。

それでも、微かに笑った。

「ありがと……団長」

———ああ、こりゃ確かに閉じ込めたくもなるわ。

ヤミは内心で納得した。


あさぼらけと一等星