気づかぬ振りしたあなたの話
「くそ……寒いな」
ジゼルが小さく呟いたのを聞いて、ノゼルは眉をひそめた。
この洞窟は風の通り道になっているようで、外よりも寒さが厳しい。体温を奪われ続ければ、動けなくなる可能性もある。
ちらりと横目で弟を見る。ジゼルは腕を抱えて小さく縮こまっていた。肌の白さがいつも以上に際立ち、冷え切っているのが分かる。
──魔法で暖を取るべきか?
そう考えかけたが、すぐに却下した。今は魔力を温存すべきだ。ここで不要な消耗はできない。
ならば、取るべき手段は一つ。
「ジゼル」
名を呼びながら、ノゼルは彼の肩を掴んだ。
「なんだよ」
「こっちに来い」
反発される前に、マントの中へと引き寄せる。
「……は?」
呆気に取られたような声。しかし、ジゼルの身体は驚くほど冷たかった。やはり放っておけば危険だっただろう。
「寒さで動けなくなったらどうするつもりだ。魔力を使う余裕はない。凍死したいのか?」
「っ……! 冗談じゃねぇ……!」
強く押し返されるが、ノゼルは逃がさなかった。
「我慢しろ」
抵抗されても構うつもりはない。これは必要な処置だ。
ぴたり。
身体が密着する。
──あたたかい。
それが最初の感想だった。
ジゼルの体温は低いが、こうしているうちに少しずつ温もりが戻ってくるのが分かる。
呼吸が、すぐそばにある。
(……?)
僅かに肩がこわばる。
ジゼルの鼓動が──早い?
寒さのせいかもしれない。けれど、何かが引っかかった。
「……チッ」
ジゼルが舌打ちし、視線を逸らす。だがその横顔を見た時、ノゼルの目が僅かに細められた。
耳が、ほのかに赤い。
(……寒さのせいか?)
けれど、さっきまであんなに冷えていたのに。
「……」
ノゼルは何も言わなかった。ただ、目を閉じる。
今ここで問い詰めることではない。
けれど、どこか奥底に違和感が残ったままだった。
最初に気づいたのは、ジゼルの呼吸が変わったことだった。
それまで穏やかだった寝息が、わずかに乱れている。
(……起きたのか?)
ノゼルは瞼を閉じたまま、僅かに意識を覚醒させる。だが、すぐには目を開けなかった。
──目を覚ましたと気づかれると、またジゼルが無理にでも離れようとするだろう。
この洞窟で夜を越すには、少しでも暖を取らなければならないのに、こいつはどうにかして自分から距離を取ろうとする。
まったく、昔はあんなに懐いていたのに、今や触れることすら拒むとは……
そんなことを考えていた矢先。
「…………」
微かな気配と、指先が頬を撫でる感覚に、ノゼルの意識が完全に覚醒した。
(……何をしている?)
ジゼルの指先は、まるで何かを確かめるように、そっと頬をなぞった。
普段の皮肉げな態度や、反発する姿からは想像もつかないほど慎重な仕草。
ノゼルは驚きつつも、引き続き目を閉じたまま、じっと様子を伺った。
やがて──
ふっと、微かな吐息と共に、何かが触れた。
それが何かを理解するのに、時間はかからなかった。
(……こいつ)
ジゼルの唇が、自分のそれにかすめたのだと気づいた瞬間、ノゼルの指先が僅かに動きかけた。
だが、動けなかった。
冷静に考えれば、目を開けて問いただすべきだった。
なぜそんなことをしたのか。何を考えているのか。
だが、ノゼルはあえてそのまま動かなかった。
ジゼルの心臓の鼓動が、自分の胸に伝わってくる。
普段の飄々とした態度とは違う、不安定な息遣い。
(……)
ノゼルは思考を巡らせながらも、次の行動を待った。
しかし、ジゼルはそれ以上何もせず、数秒後にはそっと離れていった。
「……変わらんのは、俺の方か……?」
囁くような独り言と共に、再び体を壁にもたれかけさせる気配がした。
その言葉の意味を、ノゼルはすぐには理解できなかった。
──変わらないのは、自分ではなくジゼルの方?
何が、だ?
数分後、ジゼルの寝息が再び静かに整った頃、ノゼルはゆっくりと瞼を開けた。
洞窟の薄暗がりの中、わずかに光が差し込む範囲で、ジゼルの顔が見えた。
ほのかに赤い耳。
きつく閉じられた瞼。
「……」
ノゼルは、そっとため息をついた。
そして、一度だけ目を伏せた後、何もなかったように再び目を閉じた。
結局、その夜はずっと浅い眠りのままだった。