うわごとを聞き流す話


「誰のことだよ、まったく……」
夜の王都。

酔いを冷ますために夜風に当たりながら歩いていたジゼルは、近道を抜けようと人気の少ない裏道に足を踏み入れた。

──と、そこで異変に気づく。

「……兄貴?」

そこにいたのはノゼル・シルヴァだった。

普段の凛とした姿とは違い、壁にもたれかかるように立ち、足元が覚束ない。

ジゼルは一瞬、踵を返そうとした。

──が、その動きがぴたりと止まる。

(……様子が変だな)

普段なら、どんなに疲れていても立ち姿が崩れることはない男が、今はまるで意識を手放しかけているようだった。

「おい、兄貴?」

試しに声をかけるが、反応が鈍い。

目を細めてノゼルの顔を覗き込むと、普段よりも僅かに頬が紅潮している。

(……まさか、一服盛られたか?)

一瞬、酒に酔ったのかとも思ったが、ノゼルは自分の限界を把握する男だ。ましてや、公の場で泥酔するような失態は犯さない。

となれば、何者かによる細工。

(もしや……お見合い相手か?)

ジゼルは舌打ちした。

どこの貴族か知らないが、どれほど執心だったにしろ、やり方が強引すぎる。

ま、何とかしのいで逃げてきたんだろう。

それはいいとして──このまま放っておくわけにはいかない。

「ったく……俺が世話するのかよ」

そうぼやきながら、ノゼルの腕を自分の肩に回した。

重い。さすがに体格差がある。

けれど、思ったよりもすんなりと寄りかかってきた。

──と、次の瞬間。

「……きれいな銀髪だな」

ノゼルがぼそりと呟いた。

ジゼルは思わずぎくりとする。

(……え?)

「まるで……俺の弟のようだ」

(……は?)

ジゼルの心臓が跳ねる。

──何言ってんだ、こいつ。

まさか、ジゼルだと認識されてる?

慌てて顔を覗き込むが、ノゼルの目は焦点が合っていない。

どうやら、相手がジゼルだとは思っていないようだ。

(……好都合っちゃ、好都合か)

そう判断して、介抱を続けようとした──のに。

「……ジゼルは、きれいだ」

「……は?」

不意に落ちたその言葉に、ジゼルの動きが止まる。

「外見だけじゃない……内面も……誰よりも繊細で、優しくて……」

「……」

「本当は、あいつが一番家族を大切にしていた……それなのに、俺は……」

言葉が詰まり、ノゼルは静かに目を伏せた。

(……ちょ、待てよ……)

ジゼルは困惑しながらも、ノゼルの言葉に耳を傾ける。

普段なら絶対に聞けない言葉。

──というか、そもそもこんなこと考えてたのか?

「ジゼルは……強い……俺なんかより、ずっと……」

「……っ」

不意に胸が熱くなる。

くそ、なんだよそれ。

今更そんなこと言われても。

(こっちは……どんだけ……)

どんだけ兄貴を恨んで、憎んで、でも……

「……誰のことだよ、まったく……」

小さく呟きながら、ジゼルはノゼルを支え直した。

やれやれ、どうやらこれは、ひと晩看病する羽目になりそうだ。


あさぼらけと一等星