勘違い女と別れる話
### **「おまえさぁ……」**
バタン、と扉が閉まる音が響いた直後。
「──あーあ、せっかくのいい雰囲気だったのに」
「……げっ」
ジゼルが顔をしかめる。
振り返ると、ドアの影からバネッサがこちらを覗いていた。
「な、なんでお前がここにいんだよ」
「そりゃあ、あんなムードムンムンな声が聞こえてきたら気になるわよ」
バネッサはくすくすと笑いながら部屋に入り、ジゼルの隣の椅子に腰を下ろした。
「で、なんで断ったの?」
「……いや、なんでって……」
ジゼルは曖昧に口を濁す。
「別に、もういいかなって思っただけだ」
「ふぅん?」
バネッサはワイングラスを片手に、じっとジゼルの横顔を見つめる。
「なによ、あんなに可愛くて情熱的な子だったのに、もう興味なくなったの?」
「そういうわけじゃねぇけど……」
ジゼルは肩をすくめた。
「なんつーか、違うんだよな」
「違う?」
「……あいつは、俺を縛らない」
バネッサの目が少しだけ細まる。
「ふぅん……」
ワインを口に含み、ゆっくりと味わう。
「それがいいことなんじゃないの?」
「そうなんだけどな」
ジゼルは自嘲気味に笑う。
「……多分、俺は、縛られたいんだろうな」
その言葉に、バネッサは思わず吹き出した。
「ははっ、なにそれ、意外〜!」
「うっせぇな」
「じゃあ、あれかしら? おまえを縛ってくれる人がいるってこと?」
バネッサは意味ありげに微笑む。
「たとえば──銀色の髪で、プライドが高くて、めんどくさい男とか?」
「…………」
ジゼルは顔をしかめた。
「おまえ、勘が鋭すぎて気持ち悪いわ」
「ふふっ、バネッサ姉さんにまかせなさい!」
バネッサはにっこりと笑い、ジゼルの肩を叩いた。
「おまえさぁ、もっと自分の気持ちに素直になりなさいよ」
「うるせぇよ……」
ジゼルはぐっとワインを煽る。
──喉が焼けるほど、苦かった。
「──ジゼル!」
拠点の扉が勢いよく開かれる。
外の冷たい風とともに、長い黒髪を揺らした女が堂々と足を踏み入れた。
「なんだなんだ?」
「誰だよ、あの派手な女」
酒を飲んでいた団員たちが、急な来訪者にざわめく。
「ジゼル!」
女はまっすぐにジゼルへと向かってくる。
座っていたジゼルは、片肘をついたまま面倒くさそうに彼女を見上げた。
「……よう、久しぶりだな」
「久しぶり? それだけ?」
女の大きな瞳が怒りに揺れる。
「なんで、あんた私を捨てたのよ」
「捨てたって大げさだな」
ジゼルは軽く肩をすくめた。
「お前とは適当に遊んでた関係だろ?」
「ふざけないで!!」
女が机を叩く。酒瓶が揺れ、フィンラルが慌てて押さえた。
「おまえが『どこにも行くな』って言ったんじゃない!」
「そりゃあ、あの時はな」
「じゃあ、今もそう言いなさいよ!!」
女はぐっとジゼルの腕を掴む。
「私、ずっとあんたを探してたのよ。どんなに危ない目に遭っても、あんたに会うために生き延びてきたの!」
「そりゃあ大変だったな」
ジゼルは溜息交じりに言う。
「けど、悪いな。俺はもう、お前を必要としてねぇ」
「嘘よ」
「嘘じゃねぇよ」
「嘘よ!!」
女はジゼルの胸を叩く。
「なんで……なんで私じゃダメなのよ……っ」
黒髪が揺れ、涙に濡れた瞳がジゼルを射抜く。
「私じゃなくて、誰よ」
ジゼルは目を伏せた。
「……別に、誰でもねぇよ」
「嘘」
女はゆっくりと、ジゼルの膝の上に跨る。
「ジゼル、私を見なさいよ」
彼の頬にそっと指を這わせる。
「私の方がいいわ。……わかるでしょ?」
「……やれやれ」
ジゼルは苦笑した。
「おまえ、変わってねぇな」
「当たり前じゃない」
「……だから、ダメなんだよ」
ジゼルはぽつりと言った。
「おまえは、俺のことを理解してねぇ」
「……なに、それ」
女の顔が歪む。
「俺はな……そういう軽い関係に飽きたんだよ」
「っ……」
「おまえはさ、ただ俺を縛りたいだけだろ?」
「そんなこと──」
「だったら、さっさと帰れよ」
ジゼルの声が低くなる。
「おまえは、もう俺の女じゃねえ」
「……っ!」
女の目に、怒りが灯る。
「後悔しても知らないわよ」
「しねぇよ」
ジゼルは笑う。
「もうとっくに、そういうのは卒業したんだ」
女はしばらく睨みつけていたが、やがて舌打ちをして立ち上がった。
「……ふん。あんたみたいな男、こっちから願い下げよ」
くるりと背を向け、長い黒髪を翻しながら、堂々と出て行く。
バタン! と扉が閉まると、しばらく静寂が訪れた。
──そして。
「……は〜〜〜、すっげぇ修羅場だったな」
「ジゼル、お前、モテるんだな……」
「いや、元カノって感じだったぞ、今のは」
団員たちが騒ぎ始める。
「なぁなぁ、ジゼル! どうしてあんな美人を振ったんだよ?」
「いや、そこ気になるよな!」
「もうちょっと楽しめばよかったのに」
「……おまえら、ほんっと野次馬根性がすげぇな」
ジゼルは疲れたように頭を抱えた。
「いいから、酒持ってこい。飲まねぇとやってられねぇ」
「へいへい、今日は奢りな!」
団員たちは笑いながら酒を注ぐ。
バネッサが隣に座り、にやりと笑った。
「で、結局、おまえはどうしたいの?」
「……さあな」
ジゼルはぼんやりとグラスを回す。
「俺にもわかんねぇよ」
「ふぅん……」
バネッサは意味ありげに笑った。
──だが、ジゼルの脳裏には、無意識のうちにひとりの男の顔が浮かんでいた。
銀色の髪を持ち、鋭く、そして誰よりも優しい目をした──
「……ったく、酒がまずくなるな」
ジゼルは小さく呟き、ぐいっと酒を煽った。
### **「俺の女遍歴、聞きてぇか?」**
「おい、ジゼル。さっきの元カノの話だけどよ……」
団員の一人が興味津々に問いかけると、他の連中も一斉に身を乗り出した。
「なあなあ、お前って今まで何人くらいの女と付き合ったんだ?」
「お前、モテるんだな。ま、あの顔なら納得だけど」
「女たらしなんじゃねえのか?」
「いやいや、あんだけ面倒そうな女を抱えてたんだ。相当なもんだろ」
──どいつもこいつも、ほんっとに野次馬根性がすげぇな。
ジゼルは心底呆れつつも、グラスの酒を一口含み、ふっと笑った。
「……俺の女遍歴、聞きてぇか?」
その言葉に、団員たちは「おお!」と沸き立った。
「いや、聞くな!」
「こんな場で話す話じゃない!」
「っていうか、ノエルもいるんだぞ!?」
フィンラルが慌てて制止し、ラックが興味津々な顔でノエルのほうを見た。
「えー? でも、ノエルも気になってるんじゃないの?」
「んなわけないでしょ! っていうか、私は聞きたくない!」
ノエルは頬を赤くしながら腕を組む。
「おい、ジゼル! やめろって!」
「……俺が話したくて話すわけねぇだろ」
ジゼルはノエルの反応を見て、少し楽しそうに笑いながら肩をすくめた。
「けど、酒の席だ。こんな話題が出るのも仕方ねぇだろ」
「そうそう! で、結局何人なんだ?」
「どんなタイプが好みだったんだ?」
「すっげえ情熱的な恋愛してそうだよな!」
団員たちが次々と矢継ぎ早に質問を投げかける。
ジゼルはひとつ溜息をつき、椅子の背にもたれかかると、少しだけ遠い目をした。
「……まぁな。付き合った女は、それなりにいたぜ」
「ほうほう!」
「まあ、裏社会にいた時は、どうしてもそういうのに巻き込まれることが多かったからな」
ジゼルはグラスをくるくると回しながら続ける。
「気がついたら懐に入られてたこともあったし、俺が利用するつもりでいたのに、気づいたら逆に利用されてたこともある」
「うわ、そりゃ大変だな……」
「でも、結局のところはどの女も俺に執着してたよ。……俺の金や立場、情報を求めてな」
ジゼルは乾いた笑いを漏らす。
「恋愛っていうより、取引みたいなもんだったな」
「え、じゃあ、ちゃんと好きだった女はいなかったのか?」
団員のひとりが尋ねると、ジゼルは少しだけ黙り込んだ。
「……まぁ、いなかったとは言わねぇけどな」
「ほう!?」
「お前が本気になった女ってどんなやつだよ?」
「いやいや、ノエルも聞いてるんだから!」
フィンラルが再び止めようとするが、ジゼルは肩をすくめるだけだった。
「……黒髪の女だったよ」
「へぇ〜」
「……でも、今思えば、本気ってわけでもなかったのかもな」
ジゼルは笑う。
「好きだったっていうより……ただ、寂しかったんだろうな。俺も、向こうも」
「……」
ノエルは黙り込んだ。
「……でも、お前さ」
ラックがにやりと笑う。
「今のジゼルって、そういう女と遊ぶ感じじゃねえよな」
「お、確かに!」
「妙に落ち着いてるっていうか……つまんねえな!」
「いや、つまんねえって何だよ」
ジゼルは苦笑する。
「まあな……今の俺は、そういう関係にはもう興味ねぇよ」
そう言うジゼルの表情は、どこか穏やかだった。
「……それに」
グラスを傾けながら、ぼそりと呟く。
「今更、他の女に手を出す気になれねぇんだよな」
「へ?」
「ん? なんか言ったか?」
「いや、なんでもねぇよ」
ジゼルは誤魔化すように酒を煽る。
──気づかないふりをしているのか。
それとも、まだ自分の本心に気づいていないのか。
ただひとつ確かなのは、**もう他の誰かで埋められるような心ではなくなっていた**。