乱れに乱れていたころの話
薄暗い部屋。蝋燭の炎が揺れ、壁に二つの影を映し出していた。
「……悪いね、こんなこと頼んじまって」
目の前の男が、苦笑混じりに呟く。
ジゼルは軽く肩をすくめ、無造作にテーブルへ腰を下ろした。
「構わないさ。情報が欲しいんだろ?」
「……お前、何でもやるんだな」
男の指が顎を持ち上げる。無理やりではないが、拒めばすぐに崩れそうな、ぎりぎりの力加減。
ジゼルは小さく笑った。
「生きるためには、な」
軽い調子の言葉とは裏腹に、胸の奥は妙なざわつきを覚えていた。
初めてだ──兄以外と、こんなに近づくのは。
(……何考えてんだ、俺は)
仕事だ。ただの取引。
感情なんて要らない。
そう思うのに、男が顔を近づけた瞬間、頭の中を別の誰かがよぎった。
──ノゼル。
銀色の瞳、冷ややかなくせに、時折見せる執着。
幼い頃、兄の腕の中で眠った記憶。
あの閉ざされた屋敷で、ただ一人触れていた温もり。
「……っ」
指先が震えそうになるのを、ジゼルは必死に押し殺す。
唇が触れ合う。
熱を帯びた感触。生ぬるい息。
だが、それはまるで膜一枚隔てた別世界のように、遠かった。
(何やってんだ、俺)
誰とキスしている?
この唇の先に、求めているものはあるのか?
男の手が腰へと回る。
ジゼルはふっと笑い、そっと男の唇を噛んだ。
「……へぇ、悪くないな」
自分に言い聞かせるように囁く。
偽りの快楽の中で、ノゼルの影を振り払うように。