空虚の膜でふたりぼっち
こっそりと薄目をあけて様子をうかがう。下から見ても甚爾君ってかっこいいんだよなぁ。俺と4つくらいしか違わないとは思えない。
俺をどかすのを諦めた甚爾君はぼうっと外を眺めていた。ただ陽だまりがあるだけマシという何もない裏庭。母屋にある庭園や中庭には蓮の浮かぶ池や小川、季節ごとに咲く花々と低木があるのに。あっちの奴らも俺達もおんなじ人間のはずなのに。思わず寝てるふりも忘れてため息をつきかけた。
・・・・・
おれと甚爾君の出会いは割と最近の話。
数か月前、俺はいつものように隔離部屋を抜けだしていた。大人の男は嫌い。なじって貶して殴ってくる。対して女中さん達は……まあ普通かな。暴言暴力がないからいいけど無視はつらい。でも少し力がついてこっそり家事を手伝ったり笑顔で媚び売ってたりしてたらほんの少し態度が軟化した。人前では変わらずだけど、ご褒美のおやつくれたり消毒液を部屋に持ってきてくれたり、いろいろ助けてくれる。今でこそ互いに同情しあってる関係性だけど、それでよくなった方なんだからこの家はクソ。
あ、話がそれた。ともかくその日も外出してたら地下室の方から疲れ切った様子の男の子が出てきた。体は大きいけど顔つきは子供なその子とは初めて会ったんだけど様子がおかしくて。”この家の人間”に煙たがられてることも忘れて、俺は駆け寄った。
「大丈夫!?」
「……大丈夫なように見えるか」
「いやまぁ見えないから声かけてるんだけど……ってちがくて! こんなに汗かいて怪我もしてアッツ! 熱あるじゃん!」
「ッチ。ほっとけ。それともあいつらを呼ぶか? いい具合に猿が弱ってるぞって?」
「何言ってるのか分からんけどほっとけるわけないだろ。病人かつ怪我人っておにーさん役満すぎ」
ポカンと呆ける彼の手を引いて彼の部屋に向かう。本邸から外れた、いくつもの渡り廊下を通ったところにある離れ。男も女中さんもいないそこは少々異質だった。進めば進むほど手入れが行き届かないのか埃がたまる廊下に蜘蛛の巣。療養環境としては最悪だった。でも彼は「誰も呼ぶな」と言うし、俺もここの人間は弱ってる人に手を差し出さずに石を投げるクズばかりだと知ってたから納得した。でもそいつらと同類にはなりたくないので服の裾を破いて手ぬぐいを作り、井戸水で冷やして彼に渡した。彼が縁側で休んでいる隙に部屋を簡単に掃除して、蜘蛛の巣を払い、通い詰めて数日。自己満足だったけど看病の甲斐あって彼は回復した。
「わざわざ猿小屋でこんな真似するとはな。物好きめ」
厨房でくすねた果物を手土産に行ったとき、回復した彼は俺にそう言った。何も知らなかった俺は本物の猿がいるんだと思って、見せてほしいとせがんだ。あの時の彼─甚爾君の顔は傑作だった。まあ当たり前か。甚爾君は、俺と同じ穴のムジナだった。呪術廻戦にわかの俺はそこでようやく伏黒甚爾、現・禪院甚爾の境遇を知ったのだ。術式もなければ呪力ゼロの天与呪縛。代わりに与えられたのは驚異の身体能力。視えないけど呪霊も呪力もなんとなく分かるって言われたときは驚いた。一周回って最強格やん。なんでダメなのさ。
そしてこの区画、甚爾君の住居スペースは通称”猿小屋”。甚爾君のように家から落ちこぼれ判定を食らった者が押し込められる場所らしい。だからプライドの高い呪術師の皆様はほとんど来ないのだとか。来るのは猿で遊びたくなった時くらいだそう。それを聞いて思わず「こっちで暮らしたいなぁ」とボヤいたのは甚爾君に押しかけ女房して何度目かの時。
「は? まさか羨んでるのか?」
「だって一応母屋の部屋与えられてるけどあの部屋気が狂いそうだし日当たり悪いし静かすぎて気味悪いし。でも出歩いて見つかったらサンドバックになることもあるし……それなら初めからこっち住みで甚爾君といたいなぁ」
それを聞いた甚爾君の目からうろこが落ちるような顔はちょっと面白かったなぁ。呪力も術式もあってソレなのかよって。
まじそれな、無いから甚爾君は虐待されてるのにあるはずの俺も扱い似た様なもんだからびっくりだよね。半信半疑だったらしいけど、この前サンドバック現場に出くわして納得したってさ。見られてたのか、はっず。ちなみに俺があっち住みなのは俺の身柄が当主預かりだから。ほんとざけんなし。そこだけまともなのはなんで? やっぱし禪院家はクソ。
──禪院の血筋だけど呪力・術式のない甚爾君。
──呪力・術式はあっても禪院ではない俺。
足して割ったらちょうどいいのかな。ないものねだりは見苦しいから口にはしないけど。
まあ、そういうわけで俺は甚爾君のところに入り浸るようになった。この頃はまだ女中さん達と仲良くなれてなかったから、俺と会話をしてくれるのは甚爾君だけだった。会話といっても、ほとんど俺が話して、たまに甚爾君が相槌を返すくらいなんだけど。
それでも、反応があるというのはうれしかった。この部屋の外のように罵倒でも暴力でもなく、かといって存在を否定して「いないもの」として扱われるより、ずっとずっと幸せだったんだ。
この広い屋敷の隅の隅。俺たち以外誰もいない小さな離れで、二人、ただぼんやりと過ごす。時折甚爾君は俺に向かって少しだけ口元を緩める。甚爾君は基本的に無口だし、何なら出てけって言う時もある。甚爾君の本心は分からないけど、見せてくれるその小さな微笑みが、何より心地よかった。
・・・・・
「ねぇ甚爾君」
そう声をかければ「なんだよ瑞希。起きてるなら降りろよ」と返答が来る。なんてすばらしいことだろう。
「この家出てったら何したい? 俺はね、かわいいお嫁さんと定食屋さんとかやってみたい」
「なんだよ藪から棒に。というか、出るのか」
「出るでしょ。こんなところで生きてけないもん。甚爾君は出て行かないの?」
「……考えてもみなかったな」
「甚爾君身体能力バリ高だから外の世界ならアスリートなれるよ。そしたら俺、栄養メニュー作るからご贔屓にしてね」
「は、外の世界なんか知らねーのによく言うわ」
「いいじゃん空想くらい」
でも割と本気ではあるんだよね。甚爾君はこの家を出てしまえば絶対に大成する。「ねぇ、もしも出ると決めたなら俺も連れて行ってよ」と言えば鼻で笑われたけど、「いつか、な」と答えてくれた。大好き。顔背けてるけど嬉しそうなのわかってんだかんな。
もう前世のことはあんまり覚えてない。名前も年齢もここじゃ意味をなさないんだから。ギリギリ書き留めた今後の展開のうろ覚え情報を頭に叩き込んで、そして燃やした。かつての一般常識を失った俺でもわかる。こんな家にいたらいつか死ぬ。それは確実だ。絶対出ていってやるんだ。
穏やかに過ごしていると耳に届いた微かな震え。そこは俺たちの居場所からかなり離れていたけど確かに分かった。
「甚爾君」
「言わなくても分かる。産まれたな。……それも持ってる奴が」
「うん。詳しい術式までは分からないけどある。呪力量も十分」
俺たちとは根本から違う、愛された子供。血筋、呪力、たぶん術式も。約束された未来の何もかもを持った男の子。
どんな人生を歩むんだろう。きっと俺達には想像もつかないくらい幸せなはずだ。だって、彼はこの家で人間として生まれたのだから。