06

…コンコンッ

『はーい。』

「あっ、みょうじです。…トルソーの資料、まとめてきました。」

扉の前からそう伝えると、中からガタッと物音が聞こえた。

…ここは、ハイセさんの部屋の前。


…ガチャッ

「…いらっしゃい。どうぞ、入って。」

ドアが開き、普段はかけていないはずの丸い眼鏡をかけたハイセさんが出てきた。

(わ、…視力悪いのかな?)

なんだかいつもと雰囲気が違うような気もしたけど、口を開けばなんら変わりない、いつもの穏やかな彼だった。

「資料、ありがとう。…そこの机に置いといてもらえるかな?」

「はい…」

彼の言う通り、持ってきた紙の束を机へと置く。すると彼は"座って"と、横にある椅子へと私を誘導した。

「もう寝る時間なのにごめんね…その、ちょっと…お話、なんだけど。」


ドキッ…


何か用があって呼び出されたことは間違いないのだが、果たしてそれが何なのか、私は検討もついていなかった。
…特に素行の悪いことをした覚えはないし、ましてや先ほど私が考えていたようなことも…あるわけがないし。

「…あのね。」

「!、は、はい…!」

私が1人でそんなことを考えていると、何やら気まずそうな顔で彼はそっと口を開いた。

「…今日、柴先生のところに行って、皆の指導計画と、この間の検査の結果を見てきたんだ。
特にみんな異常とかは見つからなかったんだけど………ごめん。僕、診断結果を見て、なまえちゃんのRc値が"明らかに低い"って言うのが、ちょっと気になっちゃって…」

「…!」

「…実はね、六月くん。彼もRc値の関係で、赫眼の制御ができていない状態なんだ。それでいつも眼帯をしてて。
 でもなまえちゃんからは僕から見てもどこにも"そういう症状"は見られないし…でも施術をしていない人よりも"低い"って何か…
 言わないだけで、実はどこか不調でもあるんじゃないか、って思えてきちゃって…」

「………。」

「…柴先生にも聞いてはみたんだけど"副作用"の一点張りでさ。もう僕もそれで、納得しちゃえば良かったんだけどね…」

そういうと彼は自分の頭に手をあて、アハハ…とバツの悪そうに笑った。

「…ごめん。自分のこと勝手に詮索されたら、誰だって気分悪いよね。」

「えっ、いえ!私は大丈夫です…!…えっと……実は私、定期的にRc値を抑える"お薬"を処方してもらってるんです。」

私がそう伝えると、その場にシンと沈黙が流れた。

……あ、あれ?…私の発言が彼の予想から思いのほか外れていたのだろうか…?

「…"お薬"?」

「あ、はい…私、Rc値が手術を受けた他の人よりも異常に高くって…ふとした時に"暴走状態"になることが多かったんですね。それでずっと有馬さんや、本局の方に"管理"してもらってたんですけど…」

そういうと、ハイセさんの顔が一瞬歪んだような気がした。

「…本当は、落ち着く少し前まで"処分"かどうかって話だったんです。…でも有り難いことに抑制剤の開発が成功して…!その薬の効果がまあ、効き過ぎてるだけというか…はは。…な、なので体調の方はもう全っ然大丈夫なんです!!」

私はそう明るく締めくくった。なるべく明るく、このことは暗い話ではないことのように。
…"処分"なんて言葉、誰が聞いても気持ちの良い言葉ではないと、自分でも分かっていたから。

しかし、目の前にいる彼にそんな手、一切通じないようで。まるで苦虫を噛み潰したような表情で、彼は搾り出すように言葉を続けた。

「…処分、って……なにそれ。なまえちゃんたちはモルモットじゃないんだよッ…1人の人間なのに…そんな扱い…」

彼は、怒っているような。
悲しんでいるような。
…戸惑っているような。

「…ハッキリ言って、上の判断はおかしいと思う。有馬さんも、そんな"管理"だなんて…まるで、モノみたいな言い方…」

言い終わると彼は、スッと私から下へと目を背けてしまった。

「…ハイセさん、…私は、大丈夫ですよ。」

「………。」

「私もちゃんとお話しないと、と思っていたんですが…ずっと切り出せなくて、その…すみませんでした…。」

「いや……言いづらかったよね。僕も無理矢理聞くようなまねしちゃって、ごめんね…」

「いや、そんな…!……それに、有馬さんは"管理"というのは名目上だけで、実際には私のストッパー役を担ってくれていたんですよ!
 あの時は私みたいな奴、誰も相手にしたがりませんでしたから…」

「はは、有馬さんの止めって容赦無さそうだね…」

「はい!もうそれはそれは……って私、その時のことあんまり覚えてないんですけどね、ははっ。……と言うかCCGに入る前のことも…実はあんまり覚えてなくって…ははは…」

私がそう笑って話すと、少しは明るい表情を見せると思っていた彼が、また悲しそうに目を伏せてしまった。

「…ハ、ハイセさん…?」

「…僕も、自分が生まれてからの記憶が無いんだ。」

「…え?」

それを聞いた途端。私はそれ以上、言葉が出なくなってしまった。

「…自分が本当は誰で、どんな人だったのか、僕は全く知らない。」

「………。」

「…でも、あまり"過去"のことは思い出したくないんだけどね。恥ずかしい話だけど…怖くて。」

「…怖い、ですか?」

「うん…思い出したらもう、なんか…今までの自分じゃなくなっちゃうような、そんな気がして…」

ハイセさんは…まるで何かから自分を守るかのように、肩を縮め、また俯いてしまった。

私の知ってる彼は…誠実で、真面目で、でも少し変わっていて。自分のことよりも他人を優先する。良くも悪くも優しすぎる人。

そして…とても強い人だと思っていた。

でも、いま私の目の前にいる彼は、泣き出してしまいそうなくらい切なそうな顔で。その時私は、初めて気付いた。こんな体で、こんな逆境の中で、弱くならない人なんていないんだ、と。

「…と、と言うかこんな話されたってなまえちゃん楽しくないよね!…ごめん!…んー、なんだろ、あ、眠くて頭が変になっちゃ…「ハイセさん…!」

「…?」

「わ、私も…同じです。」

「……えっ?」

「か、…過去に戻ったらもう…今の自分はいなくなっちゃうのかな、って心のどこかで思ってます。
 いつか薬も効かなくなって、違う"私"になっちゃったら…って、時々考えちゃうんです。…でも本当は…怖いんです。すごく。」

言葉と一緒に溢れ出しそうになるものを、私は必死でおさえようと下を向いた。ハイセさんが今、どんな顔をしているのか、顔を伏せてしまった私からは、見えない。

「…私、今の、ここでの生活がすっ…ごく楽しくって。…そりゃ、問題も少しはあるけど…
 …でもだからこそ、充実してるというか、前の自分には戻りたくないって気持ちが、本当に強くなってきてて…
 …って、わー…なんだろ…すみません。言いたいことが上手くまとまらない…」

「…うん。」

「私…まだ入ったばかりですけど、Qs班もシャトーも大好きなんです、だから…」

「…なまえちゃん。」

「…っ、はい!」

急に彼に名前を呼ばれ、私が素っ頓狂な返事をしながら顔をあげると、そこには先程までとは全く違う穏やかな顔で私を見つめる彼がいた。

「…僕達、なんだか似てるね。」

「…ッ!」

「ありがとう。…また今度、僕の話も聞いてもらえないかな?」

なんとも嬉しそうな表情で、彼は私にそう問いかける。私は戸惑うばかりか、完全にその笑顔に釘付けになってしまっていた。

「…?…なまえちゃん?」

おーい、と彼が私の顔の前で手をヒラヒラさせているのが分かる。

「…ふぁっ、はい!!わ、私で良ければいつでもっっ!すっ、すみません…こんな夜遅くまでお話しちゃって…!!
 …明日も頑張ります!!…おおおおやすみなさいッ!」

「え!?…あ、う、うんっ!おやすみ!?」

私はバッと椅子から立ち上がり、決してハイセさんに顔を見られないように部屋を出て行った。

出て行ったというより、飛び出したという表現の方が正しいのかもしれない。

夜で良かった。
照明が暗くて良かった…。

(やばい…)

私の顔は、すっかり赤くなってしまっていた。

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千年続く、幸福を。