追う者




優秀な魔法士の卵が多く在籍するナイトレイブンカレッジで僕と彼≠ヘ出会った。

入学式。闇の鏡に1人、また1人と選定されていくなかその姿はとても異質に見えた。
艶やかな黒髪にエメラルドグリーンの瞳。明らかに目を惹く美しい人形のような容姿。
周りから感嘆や羨望の目を向けられても見向きもせず、ふわふわとした空気を纏っている彼は空気に溶けてしまいそうなほど儚い。

しかしその美しい瞳は爛々と輝きながら何かを決意していた。
強い意志と覚悟が窺えるその表情を見て、何故だか彼を知りたいと思ったのだった。


寮は同じでも、彼と僕の接点はあまりなかった。事を急ぐつもりはなかったので相手を警戒させないように出方を窺い、友人になれる機会を待つことにした。

彼はやはり不思議な人だった。
来る者拒まず去る者負わず。いつも誰かに囲まれ笑顔で話をするわりに深くまで踏み込もうとすれば明らかに拒絶の色を含ませる。
好きな物や嫌いな物は差し障りのないことしか話そうとしない。秘密主義とまではいかないが、本質の見えない人だった。

そんな彼が唯一目に見えて楽しそうにするのは占星術の授業だけ。
他では決して見せることのない見惚れたような顔をして星を眺める。
しかし、誰かに話しかけられると、途端にその表情は失われてしまう。
周りの生徒は美しい彼が見せる人間らしい表情を物珍しがってか、そんな彼を見ていたいと願ってか。占星術の授業中だけは誰も彼に近づこうとしなかった。

入学から数週間たった頃、彼が占いをすることを知った。
良く当たるそうで最初は彼の身近な友人だけだったのが気付けば同学年、他学年へと噂が広がっていった。入学から一ヶ月経つころには彼は占いで荒稼ぎするようになっていた。

これはチャンスではないか。
商売に敏感なアズールに彼の話をすれば彼のその力を欲しがると思ったのだ。そうすればアズール、フロイドと協力して彼の弱味を握り、彼の本質に触れることが出来るかもしれない。
アズールに彼の話をすれば案の定食いついた。フロイドも興味が湧いたようで直ぐに行動に移す。
ここまでは予想通りだった。


彼のことを調べて3日、突然彼が僕に話しかけてきた。飛行術の授業中、疲れ果てた体を落ち着かせようと木陰で休んでいたときだった。

「お疲れだね、リーチ」

いつの間に傍に来ていたのか、ニコニコと話しかけてきた彼に酷く驚いた。
何と返して良いか分からず固まっている僕に気付いているのか気にしていないのか、構わず話を続けてきた。

「聞きたいことがあるなら直接聞けば良いのに。それとも人魚ってみんなこう?」
「何の話でしょう?」
「あれ、気のせいだったか。入学してからずっと品定めでもされてるのかと」
「そんなことはありませんよ」
「ふぅん、…やっぱり空は怖い?」

もっと深く聞いてくると思っていたが彼は早々に話を逸らした。もしかすると大して気にもしていなかったのかもしれない。彼ほどの人なら見られることには慣れているだろうから。

「海とは真逆の位置にある場所ですからね」
「そうだよなぁ〜陸に上がってまだ一ヶ月くらいでしょ?それでいきなり飛べ!だもんなぁ」
「貴方は飛行術も得意なんですね」
「まあね」

彼はどの科目でもそつなくこなした。彼と同室の人間の話によると部屋ではたまに星を見つめているが、殆ど教科書を読んでいるらしいからしいから相当の努力もあってのことだろう。
少し得意げに笑ってみせる彼はやはり美しかった。

「空が…星がすきなんですか?」
「ん?なんで?」
「占星術の授業が随分お好きなようでしたので」
「あはは、やっぱり見てるんじゃん」

墓穴を掘ってしまったか、と思いながら彼の様子を窺うも、楽しそうに笑うばかりだ。

「好きだよ、美しいからね」

ふわりと微笑む彼は何故か寂しそうだった。


それから彼と少しずつ話すようになり、彼のことをほんの一部だが知ることが出来た。
きのこの入ったシチューが好きなこと。
そらまめが嫌いなこと。
双子の妹がいること。
山育ちであること。
星が好きなこと。

山に詳しいという彼をダメ元で山を愛する会に誘ってみたところ、意外にもあっさりと頷いてくれた。
最も、彼は空を見上げるばかりで特に何もしないのだが、山菜のこと、山での動き方、道に迷ったときには星を見ながら帰り道を教えてくれた。

面白がった彼に箒に乗せられ、夜の空を散歩した。星座、そしてその逸話。
星を見て占うこと、古くからのまじない。
多くのことを教えてくれた。

それでも核心に触れることは叶わなかった。
僕がどれだけ彼に親切にしようと、彼が僕にとって特別だと示して見せても彼にとっては関係のないこと。
彼にとって僕は、彼を取り囲む有象無象と同じだった。

それでも諦められず、なんとか方法を探る。
決定的は解答は得られなかった。
どうしても彼が欲しかった。僕にとって彼はこんなにも特別だというのに彼は僕のことを気にもとめない。そんなのは不公平じゃないか。
僕も彼の特別になりたい。
彼の唯一無二に。

その日は唐突にやってきた。
初夏の、とても暑い日だった。
彼は朝から体調が悪そうで、ただでさえ白い肌は更に青白かった。
定期的に体調を崩すことがある彼だったが異常なほど顔色が悪い。
大丈夫なのかと尋ねても大丈夫と答えるばかりでらちがあかない。結局彼はそのまま放課後まで乗り切り、医務室へと向かった。
見舞いはいらないと頑なに断られていた。
しかし、彼のことだから弱っているところを見られたくないだけだろうと思い、お見舞いに行くことにした。

夜になって医務室へと向かい、扉を軽くノックする。中から返事は聞こえなかったが物音がしたので中にいるのだろう。

「入りますよ」

一応声をかけたが返事はない。
返事が出来ないくらいに体調が悪化しているならまずいと思い、急いでベッドへと近づく。
彼は頭から足先まですっぽりと羽毛布団で覆っており表情は全く窺えなかった。

「お見舞いを持ってきました。何か食べられましたか」

彼からの返事はない。
もそもそと中から手だけが出てきて親指と人差し指で丸を作る。そのままヒラヒラと手を振られ、無言で帰れと促された。
普段軽口を叩く彼がここまで口を聞かないのは初めてで嫌な汗が流れる。

「話せないくらい体調が悪いなら先生を呼んできます。この暑い夜にそんな分厚い布団を被っていてはかえって可笑しくなりますよ」

返事はない。

「布団剥ぎますからね」
「ちょっ!」

このときはただ彼を心配していて、返ってきた声がいつもより高いことに気付かなかった。
簡単に布団を剥げたところからやはり彼の体調は悪いのだと信じて疑わなかったために目の前の彼の姿に酷く衝撃を受けた。

汗で湿った黒髪も美しい緑の瞳もそれを覆う長い睫毛も、何もかも彼のままだというのにその体の作りだけが違った。
簡単に折れてしまいそうな細い手足、それに反して柔らかそうな胸と腰回り。
何が起きたのが一瞬全く分からなかった。

陸のことはあまり詳しくない。
だが、今思い返してみれば彼の体調不良は一定の期間で区切られていなかっただろうか。
実家から送られてきたという荷物にあった薬品はまさかとは思うが…
恐る恐る出した結論を口にしてみる。

「…どういうことですか」
「…」
「…貴方…は、女性…なんですか」
「………そうだよ」

悔しそうに、諦めたように目線を逸らして呟いたその人はあまりにも妖艶で。
顔に熱が集まりそうなのを必死に耐えた。
そして彼は小鳥の囀るような可愛らしい声で僕に嘆願してきた。

「ジェイド、お願いだ、誰にも…言わないで……」

黙って羽毛布団の代わりに薄いタオルケットをかけてやる。
無言を拒絶と受け取ったらしいその人は今にも泣き出しそうな顔をした。
不安に揺れる瞳を自分の掌で覆ってやり囁く。

「誰にも、言いませんよ。約束します」

当たり前だ。
誰が教えてなどやるものか。
この秘密は僕だけのものだ。彼が…いや、彼女が死んでも隠したいもの。
唯一の弱さ。
本当の姿。
なんと美しく、綺麗で、愛らしい。
絶対に共有などさせない。隠し通してみせる。

これは、僕しか知らない彼女≠フ、特大の秘密だ。


それから、なんとかして彼女の警戒を完全に解いてやろうと彼女の秘密を守るのに躍起になった。
アズールにも血を分けた片割れのフロイドにすら悟らせるつもりはなかった。
最も、フロイドは何かを感じ取っていたようだが、僕が彼に対して必死になるのは珍しい事でもなかったので深くは聞いてこなかった。
疑り深く警戒心の強い彼女も段々と僕に心を許すようになっていた。

暫くすると彼女は僕が占星術の授業で隣に座っても楽しそうな顔を止めなくなった。これがどんなに嬉しいことだったか、きっと彼女は一生分からないだろう。
いつも独りで誰かを頼るような事はなく、本物かどうか分からない笑顔を向ける美しい人が僕を傍に置くことを許したのだ。
それは周りの人々から見ても明確な線引きだった。

それでも僕が彼女に想いを伝えることはなかった。言わせて貰えなかったという方が正しいかもしれない。
家庭の事情を教えてもらった。彼女は双子の妹の方で、体の弱い兄に変わってここに来たらしい。
兄が家を継がなくてはならないと言っていた。
自分は今は兄でありたいのだ、と。

兄の名を名乗り、体を男に近づけ、目的のために真っ直ぐに進む。
今ここで僕が男として女の彼女を愛していることを伝えたら彼女は僕を拒絶すると、直感でそう思った。

だから待つことにした。
家を継ぐのは彼女の兄だ。
ここでの学園生活が終われば彼女は女としての暮らしに戻ると言った。卒業後は占いで稼ぎながらのんびり暮らすと。

彼女の背負うしがらみがなくなれば彼女に告白してもなんの問題もない。
僕が陸で過ごすのか、彼女が海に来るのか、それはまた話し合えば良い。
来たる日のために魔法薬学の勉強を続けた。
彼女の体を僕に、僕の体を更に彼女に近づけるために。


その時僕は、彼女に逃げられるなんて、露ほども考えなかった。



卒業の日。
綺麗にまとめられている荷物を見ながらやっとこの日が来たと開放的な気持ちだった。

式典中も彼女はすました顔をしていた。最後の最後まで気を緩めるつもりはないようで相も変わらず人形のように佇んでいる。
ただ、彼女の目は入学時よりも少し柔らかかった。それは親しい人にしか気づけないような差ではあったが、これから言おうとしていることを考えると少し気持ちが楽になった。


彼女を卒業パティー後に散歩に誘おう。
ゆっくりと星の話でもしながら学生として最後の時を過ごして、ずっと言いたかったことを伝えよう。
彼女が彼≠ナある必要はなくなる。
彼女を縛るものはもう、何処にもないのだから。

いない。
彼女が何処にもいないのだ。
談話室にも、VIPルームにも、彼女の部屋にも。
アズールもフロイドも、寮生すら彼女を見ていないという。
物1つない彼女の部屋たった場所を見て嫌な予感が拭えなかった。

廊下を歩いていると向かい側から特徴的な耳を動かしながら驚いたような顔をしたラギーさんと目があった。

「ジェイド君、ここにいていいんスか?」
「どういうことですか?」
「闇の鏡でもう帰るって言ってたんスけど、」

最後まで聞かずとも誰の話をしているのかは分かった。恥も外聞も捨てて必死に走る。
どういうことだ、やっと、やっと貴方に触れられると思っていたのに、
僕は貴方に受け入れて貰えると思っていたのに、貴方は、貴方は!


「は、っ?」

闇の鏡は真っ黒な影をうつすばかりで、彼女の欠片すらうつしてはくれなかった。


「…逃がしませんよ」

逃がしてなるものか。

これほどの激情を僕に覚えさせておいて、
何も言わずに立ち去ると?

そんな勝手は許さない。
貴方を愛していることすら伝えてはいないのだ。



絶対に、見つけ出してみせる。