魅了(ジェ監)

※モブ目線


入院していた友人が退院した。
原因は不明で突然意識がなくなったらしい。
知らせを聞いた時は肝が冷えたし、数日前まで元気にしていたこともあって酷く驚いた。

だだ、目を覚ましてくれたことが嬉しかったので暇を見つけてはお見舞いに行った。
最初のお見舞いの時、私を見つけた彼女は少しぼんやりとした顔をしたあとに「久しぶり」と言った。
長い間眠っていたのだからずっと会っていないような気分になっていたのだろう。
それからたわいも無い話をいくつかしたものの彼女はずっと何処かうわの空だった。
きっとまだ疲れが残っているのだろうとその日は帰ることにした。
ただ、普段あんなに賑やかで優しいあの子があんな風になるのは見たことがなかったので変な胸騒ぎがした。

結果として、その胸騒ぎは最悪の形で的中してしまうのだが。


退院しても彼女の様子はずっと可笑しいままだった。
家に遊びに行くと彼女の部屋にある大きな鏡に手をついてじっと見つめていた。
まるで鏡のその先に別の何かを見ているような顔をしていた。
その時はなんとなくこのままにしておくと何処かへ消えてしまう気がして慌てて声をかけた気がする。なんだかとても怖かった。

ある時は真冬だというのに海に足をつけて立っていた。
入水自殺でもするつもりかと思って必死に駆け寄り何をしているのかと怒鳴った私に一言、

「誰かに、呼ばれている気がする」

そう言って泣いていた。

ついに彼女が可笑しくなってしまったと思った私は彼女の手を引いて家まで歩いた。
今まで小さい頃から仲良くしていたのに突然知らない誰かになってしまっている気がした。
冷え切って色の変わった脚を二人で暖めていたら落ち着いたようで「変なこと言ってごめん」と謝ってくれた。それでもなんだか怖かった。


日に日に彼女がフラフラといなくなる頻度は高くなった。
森に入っていったり町を歩いていたりすることもあったが、大抵は海にいた。
何かを探しているようにも、何かを待っているようにも見えた。
けれど私にはその何か≠ェ全く分からなかった。


ある夜、隣にある彼女の家からあの子が出て行くのが見えた。見間違いかと思ったが確かに彼女で、大慌てで後を追った。向かった方向に走ったが見つからない。嫌な心臓のうるささを走ったせいにして必死に探す。
路地を抜けたところでふと思い立ち、海に向かった。

彼女はそこにいた。

何かを叫んで真っ直ぐ海に走っていた。
止めなければ、と思い、後を追おうとして脚が動かなくなった。
腰の辺りまで海に浸かった彼女に何かが巻き付いた。彼女はそれを抱きしめている。
なんだ、あれは。
禍禍しい緑をした生き物。
人間に近いような上半身をしているがあれは明らかに違うモノだ。
恐ろしくて脚が竦む。見てはいけないものを見てしまったと直感でそう感じた。
関わってはいけない、今すぐ逃げなければならないと脳内が警告を鳴らす。

ふと、その生き物がこちらを見た。
彼女は気づいた様子もない。必死に何かを話している。
嫌なくらいに闇夜に映える左目をこちらに向け、にっこりと、笑った。
異様な形の爪も、牙も、ヒレも、それが人間とはほど遠い存在であることの証明だった。
遂に立っていられなくなりその場に座り込んでしまう。あんなに怖ろしい笑顔を見るのは後にも先にもあれだけだろう。

震えているうちに彼女は海に引きずり込まれていった。



翌日、行方不明になった彼女の捜索がされた。
あの夜のことはとてもではないが話せなかった。
勿論、信じて貰えないだろうと思ったのも理由にはあるが、何より、あの化け物に呪われる気がしたのだ。それほどまでに怖ろしかった。
昔の私なら馬鹿馬鹿しいと一蹴しただろうが、そんな気にもなれなかった。

彼女は見つからない。
良く訪れていたという理由で海にも捜索かだされたが、体も、彼女の遺留品の1つも出てこなかった。
私はなんとなく、彼女はもう見つからないと感じていた。
あの怖ろしい化け物に攫われてしまったのだ。
きっともう、二度と帰ってこられない場所まで連れて行かれてしまったのだ。
いや、彼女は、


思い出した。
退院して暫くした彼女が夢の話をしていた。
寝付きが怖いくらいに良いこと。
決まって、同じ夢を見ること。
夢の内容は、起きてから徐々に忘れてしまうこと。ぼんやりとしか覚えていないそれが、酷く、懐かしいこと。

「とても綺麗なの」
「夢が?」
「ううん、違う。とても綺麗な誰かが迎えに来るの」
「誰かって…何?王子様みたいな?」
「どうだろう、そうかもしれない」

とても綺麗な、______


そうだ、あの子が見たという夢、とても、綺麗な、人魚…の、夢……。

あれは人魚だったのか?
物語やフィクションで見るようなものとは違っていた。
人面魚と言われた方がしっくりくるし、綺麗とは思えなかった。
あの子の夢に出てきた何かが、王子様のように迎えに来たとでも言うのか。
王子どころか完全に悪役のそれだった。
それでも彼女にとってあれは綺麗なモノだったというのか、そんなことがあるのか。
分からない、大切な友達を失った筈なのに何故か誰も責める気になれなかった。ただただ、寂しい。


きっと、あの子は自ら望んであの化け物について行ったのだ。
帰ってくるつもりなどないのだ。
あんな怖ろしい生き物を綺麗≠ニ言った。迎えに来ると言った。
あの子はあれを待っていた。夢に見てまで待っていた。


あの子は、あの生き物に魅せられてしまったのだ。