押しかけ女房虎杖くん!(虎杖)

死にたい、そう思ったことは無いだろうか?
俺は頻繁にある。

上司にいびられたり、同僚に仕事を押し付けられたり、取引先から怒鳴られたり…。
例をあげればキリがない程に、死にたいという感情が浮かんでいく。

中でも今日は酷かった。
朝から痴漢に間違われ、会社に遅刻し、上司にくどくどと叱られ、取引先からはセクハラされて。
至る所に謝罪して、その度に自殺念慮が湧いてくる。
昼飯代わりのサプリメントをコーヒーで流し込んで、またペコペコと頭を下げる。上司のミスを押し付けられたからだ。先日は後輩のミスを俺のせいにされた。全てが嫌になる。

こんな風になったきっかけは何だったか。
ああそうだ、社長夫人と不倫が疑われたのだった。
あの女が誘って来て、しかもその誘いにノッてもいないのに社長から浮気だ何だと詰め寄られた。
あんな年増こっちから願い下げだ。

結局夫人が自白して俺は無罪放免。肩書き上は。
社内では社長を筆頭に俺いびりが始まった。
追い出す気なのだろう。
負けないように頑張ってきたけど。
毎日毎日本当に嫌になる。
いくら頑張っても認められず、ただ頭を下げ続ける毎日。


それも今日で終わりだ。


廃ビルの屋上に立つ。
人通りのある場所に建つビルだと落ちた時にぶつかる恐れがある。人を巻き込むのは本意ではない。
遺書は…。いやいらないだろう。

遠くに見える街のネオンが自分との違いを感じさせるようだ。
息を吸って吐いて。

「待て!!!」

後ろから聞こえた大声に肩が跳ねる。そしてつい前のめりになり。

「あ」

落ちる、頭の中は冷静だった。
しかし誰かに腕を掴まれ、宙ぶらりんになる。
そのままズルズルと引き上げられ、顔を上げる。
そこにはぜえはあと荒い呼吸の桃色の髪の男の子がいた。

「何、きみ」
俺の疑問をスルーして男の子が俺をじっと見る。

「お兄さん、死のうとしてたの?」
「そうだと言ったら?」
「何で?」

何で、何でと言われても。

「きみさ、俺の事生かして責任取ってくれんの?」
「責任?」
「そう、責任。もう苦しくて辛いのにさ」
「分かった。責任取るからお兄さん死ぬなよな」

そうして俺は男の子改めて虎杖くんに手を引かれ廃ビルを後にした。
あれよあれよと家まで案内させられ、気が付けば二人で食卓を囲っていた。

「それにしても、何と言うかすげー部屋だな」
取り込んだまま放置された洗濯物や、出せずに溜まったゴミの山。乱雑に放り投げられた郵便物に今朝脱ぎ捨てたままの部屋着。
それを自分より幾分か若い子に見られるのは精神的にくるものがあった。

「じゃあ俺片付けるから、触られたくないものあったら言って」
腕まくりをして言った虎杖くんを「悪いから」と言って制止するも、逆に俺が座らされてしまう。
「まあまあ、俺責任取るって言ったし」

さすがに1人でやらせる訳にもいかず虎杖くんと一緒に部屋を片付ける。
あらかた片付いたところで、虎杖くんから声を掛けられた。
「お風呂さっき沸かしといたから、お兄さん入ってきなよ」
「うわ、いつの間に。ありがとう」
申し訳なくて虎杖くんを先に勧めるも、寮で入ると言う。それもそうか。

「ッ時間!」
時計は深夜1時過ぎを指していた。
「虎杖くん!時間大丈夫?いや大丈夫じゃないよな!」
「あー、大丈夫!」
視線を彷徨わせながらの台詞にはまるで説得力が無かった。
「俺が寮母さんか誰かに連絡しようか?」
「そういうのいねぇしなあ、多分」
虎杖くんの余計なお節介とはいえ、命を助けて貰ったのは事実である。
そのせいで虎杖くんが責められるのは目覚めが悪い。まさに死んでも死にきれない。
「先生とかは?」
その前に俺捕まるのか?未成年を家に連れ込んでる訳だし。

「先生出張だしなあ。お兄さんが良かったらだけど、泊まってっていい?」
「それは別にいいけど」
いやいいのか?未成年を家に泊まらせて。だが断れない。さすがに俺が悪いのはわかっている。

「誰かに連絡しといてくれよ、頼むから」
「わかった!」

虎杖くんが連絡している間、何故こうなったのか考える。俺が悪いのか。いや俺が悪い。
死にたいと思っていた気持ちも、今ではすっかり吹き飛んだ。虎杖くんの狙いがそれならパーフェクトだろう。

「なら風呂先入って来いよ」
俺が声を掛けると虎杖くんは首を振って断った。
「お兄さん明日早いっしょ。いいよ俺後で。あ、台所借りていい?」
「いいけど」

台所。腹でも減っていたのか。そもそも虎杖くん夕飯まだかもしれない。冷蔵庫に何かあっただろうか。

風呂から出ると空きっ腹を刺激するいい匂いがした。

「お!お兄さんナイスタイミング!」
虎杖くんの手には美味しそうな炒飯があった。
「…美味そう」
「へへっ、大したもんじゃないけど」
虎杖くんはありものでご飯を作ってくれたようだった。

「何から何まで悪い」
「お兄さん見てると俺が何とかしなきゃって思えてくるんだよね」
年下の子に危機感を抱かせるような生活をしていたのか。いや初対面で飛び降りようとしているのだから今更か。

虎杖くんを風呂に行かせ、食器を洗う。
誰かとまともに話すことが出来て嬉しかった。

「お風呂頂きましたー!」
元気よく出てきた虎杖くんに微笑ましさを感じながら、人差し指を口に当てる。ここはマンションだから少しお静かに。
せめてもの恩返しに虎杖くんの髪を乾かす。ふわふわの毛が動物みたいで少し癒されたのは内緒だ。

「おやすみ」
「おやすみー」

6時半にセットした目覚ましを確認して眠りにつく。明日は今日よりもいい日でありますように。虎杖くんと会えた時点で今日が最高か。

アラームが鳴る前に、いい匂いがして目が覚める。
台所を覗くと虎杖くんが料理を作っていた。

「あ、お兄さんおはよう!」
「おはよう」
朝ご飯まで用意してくれた虎杖くんにお礼を告げる。至れり尽くせりで申し訳ない。

仕事の為、家を出る。
駅まで虎杖くんと話しながら歩く。何だか久しぶりに心が安定している。
「じゃあね、虎杖くん。本当にありがとう」
お礼と称して幾らかを虎杖くんのポケットに捩じ込んでおく。いやこの方が不味いのか?
だが何かしないと流石に気が済まなかった。

俺が改札を抜けてから虎杖くんはポケットを確認したようで、後ろで慌てた声が聞こえた。


俺は今日も生きている。
よし、転職するか。


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辞表を投げ付けると、喜んで受理された。
本来ならひと月程引き継ぎ期間があるのだが、即刻退職出来ることとなった。
さらに幸運なことに退職金はかなり色をつけて渡された。恐らく口封じだろう。
少しはのんびり職を探せそうだ。

ハローワークに寄ってから帰ると、もう既に夕方だった。家の前には、あれ?
「虎杖くん?」
「お兄さん!今日は早いっすね」
「うん、俺仕事辞めたんだよね」
「あんなとこ辞めて正解だって!」
今日は?ああ昨日は夜中だったからか。

虎杖くんは買い物袋を持っていた。
「それで、どした?」
「お兄さんが死んでないか心配になって。あとお金貰いっぱなしじゃ悪いからさ、夕飯作ろうかと思って」

「ありがとう」


それからというもの度々虎杖くんが遊びに来るようになった。無職で暇だったため、話し相手がいるのは嬉しかった。










「お兄さんの前いた会社の取引先の人、痴漢で捕まったらしいね!」
「そうなん?いつかやると思ってた」
あれ、取引先の話なんかしたっけ。

「お兄さんの前の会社の社長の奥さん、部下に手を出してそのまま消えたって聞いたよ」
「俺の二の舞にならなくて良かったと思うべきなのか?」
何で社長夫人の話まで知ってんだ?

「お兄さんの後輩の人、会社の金横領したってニュースになってたね」
「見た見た!ほんとビビった」
彼奴が俺の後輩だったって言ったっけ?


あれ、そもそも何で虎杖くんはあんな時間に廃ビルにいたんだろう。



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