詭弁

とある和室の中で二人の男が机を挟み座っている。
暗闇の中、行灯の灯りがぼんやり二人を照らしていた。




向かい合ったまま静かな時間が流れていた。
そして口火を切ったのは翡翠の眼をした男だった。

「貴方が離反した理由を伺っても?」
その問いに長髪の男はにんまり笑って答えた。

「君は非術師を醜いと思ったことはないかい?呪術師ばかりが辛酸を嘗めるこの世界に思うことはなかったかい?」

「それが貴方の答えですか」
「ああ」

長髪の男が離反するきっかけとなった任務。当時翡翠の男はその調査を請け負っていた。
村人の日記から日頃より、“視える”側の女児二人が非道な扱いを受けていたことが判明した。長髪の男はそれが限界だったのだろう。

「貴方は実の両親を手にかけました。彼らは呪術師の貴方に対して酷い態度を取っていたのですか?」

「まさか。あの人達はどこまでいっても優しかったよ。けれど猿は殺さなければならない。両親も分かってくれるさ」
「そうですか」

長髪の男は両親の話題で少し顔を曇らせたが、自身に言い聞かせるようにそう続けた。

「…君は私が間違っていると思うかい?」
目を伏せ長髪の男がそっと尋ねた。

「私には貴方の行動を裁く権利はありませんので、正しかろうと間違っていようと同じことです」
「それでも君の意見が聞きたい」

「主観になってしまいますが」
「構わない」

翡翠の男は対面の男をじっと見つめると、やがて観念したように口を開いた。

「貴方の思想は完全に間違っているという点を除けば、概ね正しいと思いますよ」
それを聞いた長髪の男は、面食らった顔をした後大口を開けて笑い始めた。

「君みたいな人間は嫌いじゃないよ」
翡翠の男は顔を顰めることでそれに応えた。



「で、君は私の何が間違っているというのかな」
面白がるかのような声音で長髪の男尋ねた。

「マイノリティを救うためにマジョリティを排除するというのは余りにも無駄が多すぎます」

「非術師から呪術師が生まれる可能性、呪術師から非術師が生まれる可能性。まずこれらを無視しています。さらにどんなに優れた呪術師の家系であれ、やがて分家が非術師としての道を歩むこともあります」

翡翠の男は一拍置いて問いかけた。
「貴方はどうお考えですか?」

「難しい問題だね。だが答えは簡単だ。全て排除してしまえばいい。非術師から呪術師が生まれようが、非術師を殺してしまえばそれに気づくことは無いだろう?呪術師から非術師が生まれるならば、非術師を殺せばいい。非術師として生きるのならばそれも殺せばいい」


「なるほど、確かに簡単ですね。そして酷く一方的です」
「猿には何も求めていないからね、一方的なくらいが丁度いいと思わない?」

「どうも貴方らしくないと思えるところが、いかにも貴方らしいですね」
「賞賛の言葉として受け取っておくよ」


翡翠の男は冷めきった湯呑みを口に運び、渇いた喉を潤した。

「君は劣等感というものを感じたことはあるかい?」
唐突に長髪の男が問いかける。

「どうでしょう。私は他者より劣っていますが、それが正しい形なので改めて劣等感かと聞かれると返答に困りますね」
「そうか、君には無駄な質問だったね。失礼」
長髪の男は少しだけ眉を下げ、申し訳なさそうな顔を作った。

「あの人ですか」
翡翠の男が合点がいったというように呟いた。

「君の鋭いところは好ましく思っているけれど、今回ばかりは憎らしく感じるね」
「ありがとうございます」


「…悟はどうしてる?」
長髪の男が覇気のない声で尋ねた。

「相変わらずですよ。貴方が居なくても最強は最強足り得ています」
「君はいつからそんなに性格が悪くなったのかな」

長髪の男の苦々しげな質問に、翡翠の男はやや微笑んだように見えた。しかし瞬きのうちにその表情は消え、長髪の男は気の所為だと思うことにした。

「ねえ。君は私に着いてくる気はないかい?」

「あの人から私を引き離したところで、貴方は優越感に浸ることはできませんよ。生憎私にはそこまでの存在にはなれませんでした」
「それはどうかな。でも少なくとも私にとって君は特別だ」

その言葉に翡翠の男は目を瞬かせたが、対面の男を見て真意を悟った。

「貴方の甘言に騙される人は流石に使い勝手が悪いのでは?」
「はは、駒としては有用さ。けれど私は仲間を大切にするよ?」
「本質は変わりませんね。だからこそ厄介です」


また静寂が二人を包んだ。
そして先に口を開いたのはやはり翡翠の男だった。

「…引き取った子供たちは元気にしてますか?」
「美々子と菜々子かな。元気だよ。どんどん成長していってね、まるで父親にでもなったような気持ちだ」

「彼女達も呪詛師にするつもりですか」
「それは…。そうだね、彼女達が望むなら」
長髪の男は迷いをみせたが、しかしはっきりとそう断言した。

「なら、これから話すのは私の独り言です。聞き流して貰って構いません」

「あの人が十種影法術を持つ少年の後見人となったのは知ってると思います。着々と上層部の膿を出そうとしています。捨てられた可能性を拾い、育てています。これから呪術師の在り方は変わっていくでしょう。貴方が身を呈して行っていることを、あの人も違う角度から変えていこうとしています」

「彼女達の手はまだ汚れていないのでしょう?ならまだ間に合うはずです。貴方だって腐っても特級です。だからお願いします。また戻ってきて下さい」
そこまで言うと翡翠の男は深々と頭を下げた。

「随分と可笑しな独り言だ。時にそれは私のため?それとも悟のため?」
「お二人のためです」
顔を上げ、目を逸らさずに答えた。

「なら余計にもう無理だよ。私が両親を殺めた意味が無くなってしまう。それに私は悟の傍には居られない」

「…貴方達は互いを見ながら、正反対の方向へ歩いていきますね。だから迷うんですよ」
「君は私が迷子だとでも言うのかい?」
長髪の男が眉をひそめ、心外だとでも言うかのように溜め息と共にそう口にした。

「迷子でしょう。親の手から離れ帰り道が分からなくなった迷い子と大差ありませんから」
「そうかな。私はこの道が正しいと断言出来るのだけど」
「方向音痴にでもなったんですか」

そして翡翠の男は姿勢を正した。
「そろそろお暇します。ありがとうございました」
「悟によろしくね」

「言いませんよ、貴方に会ったことなんて」
「それもそうか」

翡翠の男は部屋を出ていった。


「どうか貴方の行先に幸多からんことを」
最後に言い残した言葉が長髪の男に伝わっているかどうかは神のみぞ知る。



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