噎ぶ心臓
「……おはよう、エレン」
「名前」
手首から肘にかけて巻かれた包帯は、茶褐色に汚れてごわついている。彼の悪癖による産物に、毎朝エレンは辟易していた。
毎朝鍵を持って地下室にやって来るのは、同期の名前だった。ここにいる理由は、精鋭として引き抜かれたのが半分。面倒は同じ場所で処理するのが効率的だというのが半分。
実力があり穏和そうに見えても、名前は爆弾を抱えた人材だった。
「……それ、塞がったのか」
「一応……なぁエレン、いい加減慣れてくれよ」
「嫌だね」
名前には手首より数センチ上から肘までびっしり、刃物による傷がある。紛れもない名前自身の手によって刻まれた、赤い目盛り。
エレンにはそれが怖くて仕方がない。そう言うと決まって名前は、生きてることのが怖いよと平坦な声色で返してくる。それが余計に恐怖感を煽る。
「……お前はすぐ塞がらないだろ」
「エレンみたいにすぐ塞がったら困る。何の為に切ってると思ってるんだよ」
生きていることに、恐怖しているから。臆し、怯え、拒みたいと願うから彼は腕に醜悪な目盛りを刻む。
でも、手首だけは切らない。死にも同様に恐怖しているから。真逆の感情が、彼を歪めてしまった。
生白い手首だけが汚されずに残る。手首だけが取り残されたみたいだ。
「名前」
「ん?」
「手、出せ」
疑いもなく差し出された手を掴む。袖を捲って、目盛りがすべて見えるようにした。やはり手首だけは無傷で安心した。
「どうしたの?」
「いや、やっぱりお前はわかるべきなんだよ」
「は、何が?」
がぶり、躊躇なく傷ひとつなかった手首に牙を剥く。歯が薄い皮と肉を突き破って、名前の内側に潜り込む。鉄の味が広がって、すこし眉をしかめた。
「っ、エレ……ン」
「壁外までに治るといいな」
「く、そ」
痛みに呻く名前を見下ろした。どうしてお前は俺をわかってくれないんだ。
「そんなことする名前なんて、死んじゃえ」
我ながら餓鬼くさいことばで彼を詰る。
生きていてほしいのに。これじゃ死ぬ確率を上げただけなのに。でも、でも気付いてくれないお前が悪い。
なんでお前が好きな俺に、そんな傷を見せたりしたの。かなしい、かなしいんだ。
「死ん、じゃえ」
涙で視界が滲む。名前の顔が見えない。
しなないで、嗚咽が溢れてむなしく響いた。
/20131006
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