いいこわるいこ



至極愉しそうな彼の横顔を眺めていた。悪い顔。大方、先ほどから読んでいるミステリー小説の読みでも当たったのだろう。悪戯に成功した子供のような無垢さはない。悪巧みに成功した狡い大人の顔だ。
しかしそれが見られるのは隣にいることを許されている自分だけの特権。悪い顔ではあるけれど、その事象、ひいては彼自身が悪いなんて言わせない。
優越に浸りながら彼に凭れかかれば、悪い表情なんて掻き消えて優しくおれの頬を撫でてくれる。その表情も好きで好きで堪らない。これもきっと、おれだけの彼なのだ。
彼の指が頬を上へと辿りながらあちこち触れ、最後は唇にやってきた。彼を見上げれば、瞳が柔らかく細まる。それを合図に小さな水音を立てて侵入してくる指を黙って受け入れた。視線が絡まる。彼の目が云う通りに目を閉じた。

「……いいこ」

ねえ、名前。おれ、もう子供じゃないよ。子供扱いなんてしないで。ねえ、ねえってば。声に出さなくたって、目を閉じてたって、名前は分かってるんでしょう?
ゆっくり重ねられる唇を享受する。何かがおれを次々と満たしていく感覚。もっと欲しい。
薄眼を開ける前に手のひらで蓋をされた。ほら、おれの考えなんてお見通しなんだ。
身体をなぞる指。健全だというにはいやらしい、いやらしいというにはささやか過ぎるそれにもどかしくなる。首に腕を回してオネダリを試みる。いつも余裕綽々な名前がクソガキ如きの仕掛ける罠に嵌ってくれる筈もなく、耳に直接駄目だと吹き込まれた。
漸く手のひらが外されて視界が戻ってくる。目の前の彼はいつも通りの笑みを浮かべて視線を合わせてきた。

「徹はさ、欲張りなの?」
「名前に対してならそうかもね」
「可愛いなぁ」
「……でも駄目なの?」

だめ。
綺麗な唇に一文字づつ区切った明瞭な発音で拒絶される。どう足掻いた所で無理だと分かった。
ねえ、名前。
言われなくたってわかってる。自分のことだもん、ぜんぶ知ってるよ。ひとつ手に入ったら最後まで欲しくなるのがおれだから。
名前は気を遣ってくれている。だからおれはオアズケを食らっている。心配されていることは嬉しい。でもおれは全部が欲しいんだ。
キスをしたらその先もしたくなるように、おれの欲望は連鎖的で際限ってものがない。名前は気づいている。それでもおれと一緒に居てくれるのはそれだけ大切にされているのだと信じていいのだろうか。彼の未来を奪ってもいいのだろうか。
キスより先に進むことは高校を卒業した後だと約束してくれた。我儘を言えば、そのずっと先も約束してほしい。十年後だとか遥かに遠くて見えない未来でもいい。絶対にその未来があるんだって思わせてほしい。
言葉にならない願いは、いつだって二文字に収束する。

「名前、好き」
「ん、俺も好きだよ」

彼の未来を奪った先、自分たちはどうなるのか。怖くて言い出せない、漠然とした不安を抱えたまま、回した腕に力を込めた。

「……いつかちゃんと徹の全部貰うから、そんな顔しないで」
「っ、名前」

名前の指があるはずのない涙の跡を逆行する。泣いてなんかない。正直なところ泣きそうではあるけれど。
やっぱり欲しい。優しい指の先から終わりまで全部欲しい。

「……ちゃんと名前の全部、おれにくれる?」
「当然。その為なら何だってするよ」

今迄の優しかった表情は一転。今日一番の悪い表情。

「……俺は悪い大人だからね」

そんなことない。否定しようと開いた唇はあっけなく塞がれて言葉は唾液に絡め取られて吸われてしまう。
本当に悪いかどうかは分からない。自分より大人で、貧相なボキャブラリーを駆使して言うならば、彼はただの優しくて狡い人だった。


/20150304
及川さんと年上
←:back:→
≫top
ALICE+