アイソトープのさだめ
人も疎らな1コマ目の講義室。講義開始までまだ時間があるせいかあまり人はいない。つい早く来てしまったため、金城は前回までの資料をノートにまとめる作業をしていた。
「……もしかして、金城くん?」
聞きなれない声に顔を上げる。
柔和な目元と、スッと通った鼻筋。よく知った顔ではないが、どうやらはじめましてでもなさそうだった。
「あれ、人違いだった? ゴメンネ」
「いや金城で合っているが」
「あーよかった。俺、名字っていうんだけど」
「ああ、荒北の」
「へぇ! 金城くんに名前覚えてもらえてるのかぁ、嬉しいなぁ」
きょとんとした顔が、ふにゃりと笑う。彼はいつもこんな感じなのだろうか。荒北と並んだ絵面は、俺たちと同じく凸凹でちぐはぐなのかもしれない。
「あーそれでね、金城くん。この資料、コピーしたいから貸してくんない? 今日荒北経由で返すからさ」
「いいぞ。急かすつもりはないから、別に来週のこの時間でも構わないが」
「恩にきるわ。でも、借り物なくすといけないからすぐに返すね」
名字の名前は知っている。荒北の友人として時々名前を聞く。あとはその顔だろうか。女子に大層持て囃されていると聞く。
あくまで噂の域を出ない話ではあるが。
「しっかりしてそうなのにな」
「全然してないよ、俺にみんな理想求めすぎだってば」
「そうか?」
「俺みたいなゴミより、金城くんみたいな誠実なイケメンのが良いに決まってるしねぇ。みんないい歳して騒ぎたいだけなんだよ。金もかからないから、飽きたら捨てるだけでイイわけだし」
重たげな瞳が、剣呑に細められる。
自分を語るためとは思えない言葉遣いに金城は眉を顰めた。
「あまり自分を下卑する言葉は使わない方がいい」
「もう、金城くんはホントかっこいいなぁ」
――でも俺ね。故障続きで本格的になにもできなくなったから、荒北がすげぇ眩しいんだよね。
小さく告げられた言葉に、金城は息を飲んだ。荒北が肘を壊して野球をやめ、最終的にこちらの道を歩んでいるのは断片的に知っていた。彼も、おそらく荒北から聞いたのだろう。
このささやかな告白に、胸がざわついた。
「俺でなく、本人に言った方がいい」
「言わないよ? 恥ずかしいじゃん」
じゃあ、なぜ自分に。
聞けずに飲み込んだ疑問を、彼はケロリとした顔で答える。
「……なんでだろ? つい言っちゃった。金城くんが人格者だからかな」
「それは答えじゃない」
「駄目? じゃあナイショにしとく。これ以上は言わない」
楽しそうに笑う。しかし、彼の意図はわからない。感情を完全に殺したような、昏く凪いだ瞳に遮られている。
けれど、どこか誰かに似ていると思った。
△▼△
「お前と金城、教養かぶってたんだな。オレ知らなかったンだけどォ?」
「俺も昨日気づいた」
昨日の部活前、荒北は名字から預かっていた金城の資料を無事に返した。そのことを今日最初の授業で告げると、名字は素直にありがとうと答える。珍しいこともあるものだ。
「それにしてもカッコいいね、金城くん」
「はァ?!」
「顔も性格もいいし、物腰柔らかいし、優しいし、勉強できるし、オマケに自転車も速いんでしょ?」
「……ケッ、随分気に入ってんじゃねェの」
「なになにスネてんの? 荒北じゃあ張り合えないよぉ」
「知ってるっての! ぶっ飛ばすぞ!」
「ところでさぁ」
「……ァン?」
荒北の凄んだ声をまるきり無視して、名字は呑気な声で話題を変えた。
指を指した先には、この授業で出された課題について書かれたプリントがある。
先輩からこの授業が今季一番えげつないと聞いてはいたが、まさか大事なレースに被るとは。課題を放棄し単位を落とせば留年の危機が待っている。
「どうすんのぉ、この課題。締め切りレースの次の日じゃない?」
「あー、気合いでなんとかするしかねェだろ」
同学部の先輩の協力を仰ごうとしたが、講師によって毎年テーマを必ず変えてくるという対策がとられているため難しい。レース直後に無理矢理終わらせるのも無理な量だ。
割と話をする輩はすでに親しいグループで協力しあうことを取り決めていて、話に入り難い。となると、荒北には目の前の男を頼りにするほかない。
名字は普段から基本授業は爆睡、教科書を持ってこないし一部の授業に関しては買ってもいない。その上、よくプリント類を紛失するような奴だ。そんな奴と……?
「荒北はトモダチが少ないから、俺が助けてあげる」
「……ハッ! オマエが?」
「まー、騙されたと思ってさぁ。俺に貸し一つ作らせてよ」
そう言い切った名字を信じて、ふたりは課題を共同して取り組むことになった。
その作戦はこれから部活後根を詰めて3日で終わらせるというものだ。初日から逃げ切るようなスケジュールにした理由は、彼曰く、憂う要素はレース前に排除しておきたいとのこと。
担当する比率は名字の方が高いが荒北はその間の夜飯代を奢ることになった。
移動時間が勿体無い為どちらかの部屋に泊まることを提案したら、名字はいつになく積極的だねと笑った。
泊まるのは大学から近い荒北の部屋にした。名字の部屋は大学よりも駅寄りで、生活面の利便をとった立地だからだ。
吃驚するほどトントン拍子で話が決まる。
「4コマ終わったら部活終わるまで図書館で先進めてるわ」
「あー、それなら鍵渡しとく。終わったら返せよ」
「お前さぁ、ちょっと無用心じゃない?」
渡したのは荒北の部屋の鍵だ。今日はスペアキーを持っていないので、家に戻ったらそっちを渡すつもりだ。
「今更テメェに何気ィ使えってンだ。それに、待ち合わせる方がタイムロスだろ」
「なるほど。本気だね」
意表を突かれたような顔がふっと緩まった。
やろうか。本気で。
冗談めかして言う言葉は、少し重たく感じる。
激励の意味を込めて左肩に拳をガツンとぶつけた。名字はぱちりと瞬きをして、痛いよと笑った。
2016/09/01
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