アイ・ジャック



※嘔吐注意







目があった瞬間、痺れた気がした。

名前は、運命論がきらいだ。
そんなものあるわけがないと思いながら今まで生きてきた。今までの自分をひっくり返されて、中身をぐちゃぐちゃにされたみたいだった。
何かがせり上がる感覚に、思わず目を瞑る。
絡まる視線から逃れるように、下を向いた。胃の奥からせり上がってくるモノに抗うように口に手を当てる。酸っぱい匂いが鼻腔を滅多刺しにしながら突き抜けて、余計に眩暈がした。頭の隅では分かっている、もう手遅れだ。
――こんなもの、こんなもの、こんなもの。見たくなど、なかった。

◇

俺のサイドエフェクトの能力である他人の視界を盗み見るというのは、大して便利ではなかった。視線のあった人間の視界を、ある程度の時間差で盗み見ることができるという能力だ。弱いのか強いのか。強くはないと思う。
意図的にやろうと思えばできるし、ぼーっとしていると気付けば発動していたなんてこともある。少しの過去と、少しの未来がなんとなく視れる、自分でもよくわからない能力だ。御しきれていない俺の怠慢と言われてしまえばそれまでなんだけど。
ランク戦などでは相手がさっきまでどこにいたか、次どこに行くのかざっくり分かるので、ほんのすこーしだけ役にたつかな? と言ったレベルだし、優位に事が進むかは他の要因の方がデカイし、全然重宝していない。
正直なところ面倒くさいので本部には黙っている。誰かに勘付かれている可能性はあるけど、知らねーそんなの。おまけみたいなものだ。付いてたらラッキーかもしれないが、付いてなくても買うようなおまけ。
だって、言っても言わなくても大して変わらないのだ。劇的に何かが変わるわけじゃない。
人よりほんの少しトリオン能力に優れた、鳴かず飛ばずのB級隊員。それが俺の肩書きで、不満などなかった。…ああ、なかったのに。

迅隊員のサイドエフェクトというものは、あまりにも有名すぎる。どういう風に視えているのかは知らないけれど、すごいものが視えているんだなあとはじめて知った時は呑気に思った。
俺のような凡庸なB級隊員に接点などあるわけがないので、そのことを知ってはいるけれど意識したことはなかった。彼の未来視が俺たちの作戦に反映されているのだろうけれど、確認する術はない。その程度の認識で、顔を碌に合わせたことも、会話もしたことなどない。
――いや、なかったのだが。
俺のよくわからないサイドエフェクトは、俺がよくわからないままに作動することが多々ある。昨日の夕飯とか、明日のランチのメニューとか、彼女と喧嘩したとか、まあどうでもいいような情報が不意打ちのように入ってくるのだ。
ふーんと思ってスルーできる。それに意識を取られて呆けてしまうのだけが難点だ。そんなんだから、いつもぼーっとしてて変わったやつだと思われていても仕方ない。だって俺もその通りだと思うから。

ただ今回は違った。
ボーダー本部の廊下ですれ違ったのは例の迅さんで、俺のポンコツサイドエフェクトは、そんな人相手に限って暴発した。見え過ぎたのだ。チラ見せどころか出血大サービスと言わんばかりの量が視えてしまった。
流れ込んでくる数多の未来。無秩序に見えるけど、それはあるところに起点に弾け、周りにどんどん分岐して複雑に絡まり合い並列と収束を繰り返して進んでいく。これが噂の平行未来視というやつか。
その情報量の多さに、そしてあまりにも残酷なもしもの未来に、俺は耐えきれなかった。この人はいつもこんな地獄を覗いているのかと思うとゾッとした。地獄の釜が開きっぱなしではないのか。それを視て、彼は正気を保っていられるのか。どれだけ屈強な精神力なのだろうか。
色々なことを思案し、そして俺は――その場で崩れ落ち、嘔吐した。

◇

意識が浮上すると、そこは真っ白な救護室だった。
あのあとのことは全然覚えていない。俺の昼飯、あんかけチャーハンは無残に全部ゲロになった事だけは分かるんだけど。

「名前くん、起きたか?」

カーテン越しにかけられたその声に、背筋に冷たいものが走る。この声を俺は知っている。だんだん思い出してきた。
迅さんはあのまましばらく胃が空っぽになってもげえげえ吐き続けていた俺に、つきっきりで背中をさすって声をかけてくれたんだ。
返事をする声は情けないくらい震えた。

「いま、おきました…」
「じゃあちょっと失礼。はい水」
「ありがとうございます」

カーテンが開けられ、ペットボトルを持った迅さんが入ってきた。俺は俯いたままそれを受け取る。
優しい人なんだと思う。ちゃんとした態度で感謝の言葉を伝えるべきなのは分かっている。ただ、弱い俺はとてもじゃないが目を合わせてお礼をする勇気はなかった。

「やっぱり目は合わせてくれないんだな」
「っ、あ…」

なんて言い訳をしよう。…うーん、無理では?
分岐した未来の俺がひとりでも諦めてゲロってたら、それはもう視られているわけだし。いや待て、視えているなら改めて聞く必要もないのでは?

「…あの、俺、もしかしなくても」
「御察しの通り、答えはもう視えてるよ。でも、きみの口から直接聞きたいんだ」
「そういう、ものですか」
「ああ、そういうものさ」

こうやって逃げようとすればするほど視線が追ってくるのが分かる。それを躱すべく、俯いたまま俺はぽつぽつと喋り出した。
俺のよくわからないサイドエフェクトのこと。どうやったら発動して、どの程度まで追えるのか。そして今回、迅さん相手に暴発したこと。
なんとか話し終わって、最後にようやく溢れたのは謝罪だった。本当ははじめに謝らなくてはならなかったんだ、あなたの一番繊細で柔らかいところに不躾に触れてしまったことに。

「……ごめんなさい、勝手に覗いてごめんなさい。俺、そんなつもりなくて、でも、すみません」
「別に謝ってほしいわけじゃないよ。おれは嬉しいんだ、名前くん」
「は、嬉しい…? なにが?」
「だって、誰もおれと同じ世界を視れるなんて思ってなかったんだ。でも違った。きみが現れてくれた」
「迅、さん…」

ああ、その言葉は狡いなと思う。
俺だってそうだ。誰にも言えないまま、勝手に罪悪感と孤独感にぐちゃぐちゃになって、寂しくて、誰にも分かってもらえないのに共感して欲しかった。
迅さんのことを知った時、俺とはどのくらい違うんだろう、近いものが視えたりするのかなってこっそり思ったんだ。
ゆるゆると顔を上げた。
視線があった瞬間、悪寒と痺れが走る。込み上げてくる嗚咽は、俺たちが視界を共有した証。そして、俺たちが孤独を共有した証だ。
胃液さえも出ないまま呻く俺の背中を迅さんが優しく撫でる。
目眩と耳鳴りが追い打ちをかけるけど、たしかにそこに幸福を感じていたのだ。



2019/05/19
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