鼓動に沈む



※後半少しだけいかがわしい
※未遂だけど気持ちは男主×大和祐大






 その男は、いつだってそこにいた。健やかなる時も病める時も――彼はいつだって微笑みを浮かべて隣に立っていた。
 名字名前は大和祐大のひとつ下の後輩だ。青春学園中等部時代からの後輩であり、出会って四年の月日が経つことになる。
 いたって真面目にいちばん大和を尊敬しているといって憚らない、変わった男だ。いつも柔和な笑顔を絶やさない、穏やかな顔の裏に熱烈な感情を秘めた男。
 一度だけそのポーカーフェイスが崩れたことがあった。大和の一度目の故障の時だ。彼は大粒の涙をぽろぽろと溢しながら、ひたすら壊れたレコードのように、啜り泣く合間にごめんなさいと呟いていた。彼の非など何処にもないのに。彼が抱えなくてはならない罪悪など在りはしないのに。大和はほとほと困り果てて、ただその背中をあやすように撫でることしかできなかった。
 あんなにもぐずぐずに泣いてた彼は、翌日にはけろりといつも通りに戻り、それ以降はそんな素振りの欠片も見せることはなくなった。
 どんな時も彼は大和の側にいた。向こうから何かするのではなく、大和が立ち直るまでずっと寄り添ってくれた。つらいリハビリを乗り越え、主治医からテニスを解禁されたときの試合相手は、いつだって彼だった。いつだって彼は大和のことを待っていてくれた。そして大和から何かしたいと言えば、その通りに応えてくれた。拒まれたことは一度だってない。
 どうしてそこまで献身的なのかと尋ねても、「大和さんが大好きなので」とはにかむだけ。
――そんな男との付き合いも、今日で終わりを迎えようとしていた。
 大和は青学の柱を託したかつての後輩である手塚国光と戦った。いつかの忘れ物は今日きちんと渡した。密やかな引退試合は、大和の敗北によって静かにその幕を閉じた。
 これでU-17合宿ともお別れだ。それはつまり、彼との別れでもあった。中学から高校まで同じ、そして合宿まで追いかけてきてくれた可愛い後輩との別れを済まそうと、大和は自室へ彼を呼び寄せていた。
 ドアを開けると、彼は大和の使っていたベッドに行儀良く腰掛けて待っていた。

「お待たせしました、名前くん」
「いえ、全然。試合お疲れ様でした」

 その表情はいつもと変わらないように見える。
 実のところ、これだけ熱烈に慕われているのだからなにか引き止められたりだとか、引退試合なら自分ともしてくださいだとか言われるのではないかと思っていた。しかし、彼からそういった言葉は一切なかった。いつものように淡々と大和の行動を受け入れ、肯き、笑って見守るだけだった。
 自分の思い上がりがなんだか恥ずかしくなってきて、茶化すように話しかける。

「もっとゴネられるかと思ってましたよ」
「え? だって大和さん戻ってくるでしょう? 戻ったらまず俺とですよ」

 他の人と試合なんて、許しませんから。
 帰ってきた言葉とその続きの言葉に驚き、慌ててその顔を見る。――真顔だ。そんな顔は初めて見た。見慣れた笑顔がごっそり抜け落ちた、大和の知らない顔。いつだって彼は大和の隣であんなに朗らかに笑っていたのに。
 しかし、また戻ってくると信じて疑わないその発言は大和の心を擽った。

「嬉しいことを言ってくれますね」
「ふふ、俺は大和さんの大ファンなので」

 そう言って彼はまたいつもの微笑みに戻った。ゆるりと細められた目元が大和を捉えて離さない。

「俺にも餞別、くれるんですか? 」
「なにせ可愛い後輩の望みですから。ボクにできることであれば」

 小首を傾げながら投げかけられた問いかけに、素直に大和は肯定した。後輩からのお願いを無碍にするほど大和は冷酷ではない。
 彼は少し考えたのち、ゆっくり唇を開いた。

「じゃあ、傷跡に残るようなことしましょう」

 そう言って彼は、大和をベッドの上に引きずり落ろした。大和の方が体格では勝っているが、あまりの驚きに完全に固まってしまったその隙をつかれたのだ。見惚れそうになるほど鮮やかな手付きでシーツに縫い止められてしまう。ぐるりと回る視界がスローに見える。
 つい先程までは大和が見下ろしていたのに、今度は逆だ。彼を見上げ、ゆっくり口を開いた。やけに乾いて張り付いた舌を動かす。

「……きず、あと?」
「貴方に傷が増えるの、嫌だったんですよ。なんでかはずっと分からなくて。でも今は分かります。ぜんぶ俺がつけたかったんだな、って」

 薄暗い笑みだ。ああ、この顔も知らない。四年間過ごしてきたのに、今日は初めて見る顔ばかりだなと呑気に現実逃避をはじめてしまう。
 彼の指が大和の喉仏をそっと撫でる。あまりにも優しい手付きに、どうしたらいいのかわからない。いやに優しい指先は喉仏から顎を伝い、大和の左目の下にある傷跡をなぞった。すりすりと親指の腹で何度も何度も触れられた。
 現状の体勢ならば振り解くこと自体は難しくない。けれど、大和の中の何かが押し留めてしまう。なにに躊躇っているのかわからないが、できないのだ。柔和さを取り繕った瞳の奥に見え隠れするそれを、知らないままでは終われない。
 危ないと本能は訴えかけているはずなのに、彼の感情を暴きたいという好奇心が顔を覗かせる。そのふたつは大和の心中を激しく鬩ぎ合い、結果として体の動きを止めた。

「なに、を」
「大丈夫、俺が大和さんの選手生命を脅かすわけないじゃないですか。犬に噛まれたとでも思ってください」

 優しい声が耳朶に吹き込まれた。いつもの声。いつもと違う顔。
 先程まで傷跡を優しくなぞっていた彼の指先に力が籠もる。顔面を走り抜ける痛みに身構えた大和を襲ったのは、熱烈な口付けの雨だった。はじめは唇に。つぎは目元の傷跡に。それからは顔じゅうを転々とし、左耳のピアス、顎先、喉仏、鎖骨へと移る。
 目を白黒させていると、至近距離にある彼の瞳がふわりと細められた。目線を逸らそうにもふたりの距離はあまりにも近い。目を閉じてしまえばいいのだろうが、なんだかムキになってしまって閉じられない。そんな大和を彼は唇の端で笑った。
 はじめは触れてはすぐに離れるような可愛らしいキスだったが、下へと向かうにつれて段々と苛烈さを増していった。ついには鎖骨を勢いよく噛まれ、おもわず声が漏れる。

「い、っ」
「……すみません、でも、やめません」

 悪びれなくそう言って、一度彼は口を離した。大和につけられた無数の鬱血痕と歯形を眺めて満足そうに笑う。その口からは真っ赤な舌が覗いて見えた。
 彼の唇が次の目標に選んだのは、大和の右肘だった。手術の傷が遠目から見ても痛々しいほどに残っている。赤い舌が傷跡をちろりと舐めあげる。傷を上書きするかのような勢いで、彼は執拗にそこへとキスを送った。優しく啄むようなキスと、きつく吸い上げて痕を残すようなキスが何度も何度も繰り返される。
 見上げてくる視線とぶつかる。ぎらついた瞳は、大和と目があった瞬間に優しく細められた。蕩けるような微笑み。悪戯な唇は惜しげもなく大和へ愛を囁く。

「だいすきです、大和さん」


◇


 熱い息を吐けば、たちまちどちらのものか分からなくなる。生理的に滲み出した涙で視界がぼやけた。

「あの、大和さん」
「なんですその顔は」

 涙をちう、と音を立てて吸われたので視界がクリアに戻ってきた。彼の顔を伺うと、なにやら複雑そうな、難しそうな顔をしている。
 散々大和のことを好き放題して、勝手に昂らせておいて、そんな顔をされては困る。こちらはなにもしていないというのに。彼が大和をここまで追い込み、上り詰めさせたのだ。紛れもない彼自身の意思で。当然の結果だろうと、思わず強く睨んでしまった。
 大和の張り詰めたものをまじまじと見つめて、至極疑問であるかのように嘆息する。大和のことを一体なんだと思っているのだろうか。あとで小一時間ほど問い詰めたいものだ。

「え、大和さん俺で勃つんですか……ええ〜? マジかあ……」
「全部名前くんのせいなんですけど?」
「それはそうなんですけど」

 困ったように唇を尖らせるその顔が不覚にも可愛いと思えてしまった。時折見せる、彼の少し子供らしい癖。いや、元から可愛い後輩ではあるのだけれど。意味が変わってくるというか、なんというか。
 ここで流されてしまってはいけない。そもそも何もしていない筈の彼の方が痛いほどに張り詰めて、それを時折大和に押し当てているというのに、今更何を曰うのか。ジャージ越しにそっと指を這わせれば、大袈裟なほどびくりと肩が震えた。
 今日はじめて自分から彼に触れたような気がする。今まで散々好き放題されてきたのだ。このくらい反撃したって何も問題ないだろう。

「……あっ! だめ、です! 大和さん」

 慌てた彼が大和の腕を掴む。そんな可愛らしい抵抗で止まるような柔な鍛え方はしていない。
 すかさず内側へと手を滑り込ませる。大和の手の中でどくどくと脈打つそれをそっと握り込んでやれば、ひゅっと息を呑んだのが分かった。

「そもそも名前くんだって、こんなになってるじゃないですか」
「……ッ! 俺は片想い歴四年あるので大丈夫です」
「そんなの、知りません」

 見開いた瞳が逸らされる。
 ここに来て謎理論を持ち出されたが、当然納得なんてできるわけもない。そもそも彼が大和に対して駄目だと言ったのはこれが初めてではなかろうか。その事実に気付いてしまった以上、余計に止めてやる理由がなくなってしまった。
 彼が大和に傷跡を残したいと思うように、大和は彼が駄目だと言うことがしたい。

「片想いの長さで愛の重さが決まってたまるものですか。ねぇ、名前くん」

 答えはすとんと大和の真ん中に落ちてきた。いつから、と聞かれても分からない。気付いた時にはなんとやら。あまりにも当然を装って絶え間なく注がれるものだから、当たり前のようなものだと錯覚していた。
 けれどそれは何一つ当たり前ではない。すべては少しの心変わりで破綻してしまうような曖昧な関係だ。
 ほしい。今までと同じように、いやそれ以上に。自分の側にいてほしい。優しい眼差しで見つめてほしい。聞き飽きるほど好きだと聞かせてほしい。そして、貰った同じ分だけ思いを返してやりたい。急に自覚した恋心は、大和の鼓動を早める。

「……は? なにを言って」
「好きです、名前くんのことが。きみじゃなければ最初のうちに力で解決してました」
「そ、それは分かってました、けど」

 振り解くだけならいつでもできた。体格差を利用して締め上げることだってきっとできた。それをしなかった時点で、大和の答えは出ていたのだ。
 すっきりとした顔の大和に対して、彼はまた複雑そうな顔をしている。うーんと低く唸ったあと、ぽつりと溢した。

「俺が好きな大和さんとか全く想像できない……」
「正に今きみの目の前にいるんですが?」

 とっても失礼なことを言われた気がする。腹立たしかったので、無理矢理こちらを向かせ、ぽかんと空いた口に舌を捻じ込んでやった。大和が幻を見せるのはあくまでコートの中だけだ。
 散々かき乱した後で唇を離してやると、呻くように小さく名前を呼ばれた。鼓膜を震わす音がくすぐったい。

「大和さん」
「はい、なんでしょう」
「やっぱり、だいすきです」

 呼び声に応えて視線を合わせれば、たちまち彼の瞳が潤んだ。拙い動きで腕が伸ばされ、大和はその腕に捕らえられる。あんなにも長い間ずっと側にいてくれたのに、こうして直接触れる機会は少なかった。今日ははじめてなこと尽くしだ。
 間近に感じる体温と鼓動に大和の頬が緩む。大きく息を吸い込めば、いつもの匂いがした。大和にとっては日常的な、いつも隣に寄り添ってくれる男の匂いだ。

「ええ。ボクも大好きですよ、名前くん」

 ああ、堪らなく好きだと思った。



2021/02/12

新テニミュの大和祐大に死ぬほど情緒を狂わされたので書きました。大和祐大と死ぬほどハグしたいし傷のところとか左耳のピアスににキスしたいしぐずぐずにしたい


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