この世に神がおわしますならば、
※恋愛でもなく友情でもない、強いて言うならば崇拝夢的な何か
※宗教についてあれこれ言及していますが、あくまで作中の表現であり、貶したりするような意図は一切ありません
この世に神がおわしますならば、それはきっと貴方のカタチをしているのでしょう。
▽
「大丈夫、これはオレが全部勝手にやったことだから。大寿くんは何も関係ないよ」
囁く声は、張り詰めた心ごと震わせるかのような独特の響きがあった。鼓膜を震わせ、神経を撫で上げ、脳内を増幅しながら奥へ奥へと伝播していく。
この男は罪など知らぬ善良な市民の顔をしたまま、その手を真っ赤な罪に染めてなお穏やかに微笑んでいる。視線は合っている筈なのに、何処か遠くを見ているかのようだ。歪めた唇の隙間から熱い吐息を吐き出し、陶酔の心地よさに目を細める。
「これもあれもそれも、全部、ぜーんぶオレのモノ。大寿くんには頼まれたってあげないから」
彼の手から零れ落ちた滴が静かに反響した。
▽
力以外頼るものはなかった。
力より信じられるものなどなかった。
力だけが絶対だった。
力こそが神に等しかった。
男が初めて柴大寿という男を目にしたとき、うっすらと思ったのだった。欠片も信じてなどいない神がもしもこの世界に存在するのならば、きっと彼のように巨大な力が形を成したものなのだろうと。音も色も霞んで消え失せた世界の中、柴大寿という存在だけが眩く輝いて見えたのだった。
男は冷めた目で黒龍が落ちぶれていく様を他人事のように眺めていた。入った頃の情熱は何処へ消えたのか、未練もいつの間にか失くなっていた。
九代目がついに終わりを迎え、かつての仲間たちとは散り散りになった。何処のチームにも属さずのらりくらりとしていたところに飛び込んできたのは、少年院から戻ってきた乾によって新たに十代目黒龍が誕生したという情報だ。再び黒龍に戻ろうと思ったのはほんの気紛れだったはずだ。かつての栄光を再び。ほんの少しだけ、失くしたと思った未練がちらりと顔を覗かせたから。
そこで男は出会った。神に等しいと思えるほどの人物に。圧倒的な力で乾を捻じ伏せて、十代目黒龍を継承した男。その名は、柴大寿というらしい。
黒龍の復興を望む乾の意図を汲んで九井が紹介したのだという。歴代総長の中でも飛び抜けて強烈で、鮮烈。恵まれた体格から繰り出される圧倒的な暴力ですべてを支配する、まさに力の具現化とでも言うべき男。そんな男を見て思ったのだ。――ああ、神様みたいだ、と。
暴力の化身とも言える柴大寿の存在に、男は心の底から陶酔した。今までの全てを奪われて、これからの全てを差し出したいと思ったのだ。
昔から神やら仏やらナニカを信仰する人の気持ちがわからなかった。皆揃いも揃って狂気の最中にいるのだと、架空の何かに縋らなくては生きて行けないような心の弱い人間ばかりなのだと心底軽蔑していた。荒れる自分に見向きもせず理解するということを放棄して、ひたすら神とやらに祈りを捧げる母親の気持ちがこれっぽっちもわからなかった。
けれど柴大寿に出会ってはじめて、理屈でなく本能で信仰というものを理解できたような気がしたのだ。
▽
罪が欲しいと男は言った。至って真剣な瞳で、大寿のことをまっすぐ射抜く。罪悪感を感じるようなことがしたい、大寿の罪を全て自分が被りたいと。
「……何故だ?」
「それがオレにできる、最大限の敬意だと思ったから」
「フン」
だから自分を使って欲しいと膝を折り、首を垂れる男に手を伸ばす。哀れな男に偽りの天啓を授けてやった。
「せいぜい励むことだな」
▽
神に等しいと思っていた存在は、力とは縁遠いような少年によって膝をついた。勝敗を決したのは東京卍會総長・佐野万次郎ではあったが、精神的に大寿を斃したのはあのハナガキタケミチという少年だ。
あのよる、あの教会で。聖夜に行われた決戦で。男にとっての神は死んだ。
乾が、九井が、弟と妹が、それぞれ大寿に声を掛けて教会を後にする。その場に唯一残った男は黙ったまま、膝をついて動かない大寿の旋毛を見つめていた。大男の頭を見下ろすのは今日がはじめてだった。まさかこんな日が来るなんて、出会った時には思いもしなかったのに。
ちょっとした好奇心で無防備な旋毛に手を伸ばす。あと少しで触れそうになった瞬間、大寿から話しかけられたので断念した。
「……お前は、行かないのか」
「大寿くん」
困ったような顔で男は視線を彷徨わせたのち、ゆっくりと大寿の隣に腰を下ろした。子供のように膝を抱えた姿は情けなく、ぽつりと溢した声は微かに震えていた。
「オレ、大寿くんが神様だったんだ」
男の言葉の意味を理解して大寿は静かに瞠目する。そっと盗み見た横顔は今にも泣きそうに見えた。
「オレは負けた。宗旨替えしなくていいのか?」
「アンタを沈めたマイキーに? それとも外の百人ひとりで倒したドラケンに? ……それともハナガキに?」
「好きに選べばいい」
彼にとっての神は死んだのだ。次の神を探すのは不思議ではない。
「……あは!やっぱりオレ、大寿くんがいいなァ」
男は泣きそうな顔のまま笑って、大寿の肩――体格差でもはや腕になる部分に頭を預けた。大寿はその頭をゆっくりと撫でる。ぐす、と鼻をすする音がするのは聞かなかったふりをしてやる。
「大寿くん」
「……ああ」
「オレの、オレだけのかみさま」
その言葉には返事をしない。肯定は出来なかった。しかし、否定してやる気も起きなくて沈黙を保つ。
ふたりで肩を並べて座ってどれだけの時間が経過しただろうか。白い息を吐き出して、また口をつぐむ。何度も何度も繰り返し、ようやく決心がついたのか男はまたひとつ懺悔をこぼした。
「大寿くんの罪を被れば、その分だけオレが救われるんだって思ってた。エゴでしかないって分かってても他の方法が思い付かなくて、ずっと大寿くんを利用してた」
ひたすらごめんなさいと繰り返しながらはらはらと涙を散らす。特攻服の袖口で無理矢理涙を拭い、男はようやく顔を上げた。この男と視線が合うのは、いつぶりだろうか。
「でも、今日でやめるから。ごめんなさい。今までありがとう」
そう言って男は立ち上がろうとする。すかさず大寿は自分より遥かに細い腕を掴んで引き止める。戸惑いながら見上げてくる男を睨みつけた。
「オレが良いと言っておきながら離れるつもりか?」
「だって、オレなんて居ても邪魔じゃん」
「そんなことはない。これからは隣にいればいいだろう」
「……っ、ウン」
くしゃくしゃの顔がより一層歪んだ。大寿はまた見て見ぬふりを決め込んで、男の腕を掴んだまま歩き出す。ちくはぐな歩幅で、寄り添うように肩を並べて。星夜の夜、ふたりは新たな道を歩き始めたのだった。
2022/05/02
書きたいところだけ書いたので飛び飛びですみません…
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