:: 9:這い寄る悼み
無言で狡噛の部屋に侵入する。鍵なんてセキュリティは一部を除いてこの時代には存在しない。あるのは、自分のようなシビュラの爪弾き者を隔離する監獄だけだ。
トレーニング中だと判断して、冷蔵庫から水のボトルを一本取り出しておく。戻ってきた狡噛がちょうどソファに座ったタイミングでボトルを差し出した。
「狡噛さん、なにしたの」
「何がだ?」
織は狡噛を見下ろしながらぽつりと問う。黙ってやってきたことは咎められなかった。
「宜野座さんが、狡噛さんのデータを常守さんに見せてた。探ってるみたいだよ」
「それを俺に言うか?」
「佐々山さんのアレも知られるよ?」
「そうだな。だがそれは実際に起こったことだからな。隠すも何もないだろう」
「……そうだね」
狡噛は気にしていないようでただペットボトルの水を煽っている。そんな態度に諦めたのか嘆息する織。もう言うことはないらしく、ため息をひとつ吐いて、大人しく閉口した。
「お前は覚えているか、織」
「なにを?」
「執行官になりたての頃さ」
「?……それは、勿論」
「俺もそうそう忘れられそうにない」
その言葉に珍しく不快感を露にした織は、珍しく低く暗く冷たい言葉を吐いた。彼にとってはあまりいいものではないらしい。
まるで自分に言い聞かせるように呟く。
「忘れていいんだよ、そんなこと」
▼
「こんな奴が執行官? ないだろ、すぐ死ぬぞ」
「局長とシビュラの判定だ。俺たちに決定権はない」
「とは言ってもなぁ……」
また新しい執行官が来ると局長から通告があった。データを見てみればまだ未成年。未成年の登用なんて聞いたことがない。この時点で、彼は十分に異質だった。
小学校入学直前に犯罪係数が急激に上昇し、それからは施設で教育を受けている。成績自体は極めて優秀。早々に歳相応のレベルを遥かに超えた教育プログラムを終了している。そのうえ身体能力もけして悪くはない。
しかしあまりにも若く、そしてあまりにも細い。
そして目を引くのはその容姿だ。色素がほとんどないのか髪から肌まで異常なほど白かった。これは執行官としての適正云々とはまったく関係ないのだが、とても印象的だった。
今日も佐々山が喚いている。来るなら女、女と煩い。いい加減諦めたらいいものを。取り敢えず黙らせるために頭部に手刀を叩き込んだ。
確かにシビュラを疑うわけではないが、狡噛の目から見ても向いているとは思えなかった。身の回りに佐々山のような執行官もいるのだから執行官に関する明確な基準も分からないのだが。すべてはシビュラの御意志だ、仕方がない。
「罪重織、か」
色相はクリアカラー、彼の髪や肌と同じように真っ白だ。しかし犯罪係数は規定値を優に越している。こんな事は本来ならばありえないはずだ。
犯罪係数が上昇すれば色相は濁る。当然だ。このふたつに因果関係があるのは周知のことで、揺るぎのない事実だった。
犯罪係数は本格的で絶対的なシビュラシステムによる測定値、色相は簡易的で表面的な計測の指標に過ぎない。とはいえ、色相をずっとクリアに保っていることでさえ十分難しいことだ。
色相と犯罪係数の著しい乖離。一体、彼は何者なのか。
「潜在犯で色相だけはクリアカラーなんてありえるのか?」
「さあな。俺にはさっぱり理解できん」
施設まで車を走らせる。未成年なうえ、色相や犯罪係数に関して特殊なケースな執行官なので、きちんとした顔合わせをしておくべきだと判断した。
施設の職員に部屋に通してもらい、そこで大人しく待っていたのは写真通りの白い少年だった。色素のない髪と肌。どこを見ているのか分からない瞳。固く結ばれた唇。浮きすぎた骨。
部屋に人が入ってきても特に反応を示さなかった。ただ黙って正面を見つめている。
「監視官の狡噛だ。近々よろしくな」
織は頷いて此方を見やる。その日関心を示したのは、たったそれきりだった。視線は頑として動かず、言葉を発する事は一切なかった。
その数日後織は正式に執行官としてやってきた。
――結論から言えば、彼は極めて優秀だった。
猟犬としての仕事を素早く的確にこなしていた。やや仕留めるのに固執している節だけは感じられたが、その程度のことは誰も気にしない。
佐々山も優秀さを認めつつ、つまらない奴だと言っていた。彼が言葉を発するのは指示を仰ぐときか許可を請うときぐらいだった。
施設内での運動用に与えられた白いジャージしか持っていないということが判明したので非番の日に服を買いに行った。そこから、黒い服を着るようになった。仮にも刑事だ。着るならば黒がいいだろう。
幼い顔立ちのせいかスーツが驚くほど似合わなかった。人目につく髪を隠すため、ラフなパーカーを上から羽織るのが常になっていた。
暫くは少し代わっているだけのただの優秀な執行官だった筈だ。これからだ、"織"と言う存在を魅せ付けられたのは。
/2013020
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