:: 26:サヨナラの代価
部屋にはコーヒーのいい香りが充満している。ホロもドローンも一切ない、素材のままの部屋だ。
ソファに座った狡噛の計測器をちらりと覗き見れば、苦笑が返ってきた。
「本当に泥みたいになったな」
「……見れば分かるよ」
「織は不思議だな」
これを不思議で片付けていいものなのか。自分では判断出来なかった。なんせ現在の色相はほぼ白というクリアカラー、犯罪係数はアンダー20。
色相は昔から何があってもクリアだったが、小学校入学を境に跳ね上がった犯罪係数は最近まで十分に高かった。不安定だった感情が昂ったせいで300近くまで上がったこともある。ノナタワーで全てを知り、藤間に振り回されているうちに何故か下がりきってしまった。これなら素晴らしく善良なサイコパスだと言えよう。
「……初めて知った時から不思議な奴だと思ったよ」
「そりゃあ僕はイレギュラーな因子だもの」
「……織」
「どう転がったって弾かれるんだ」
今だって、自分が何者なのか分からない。なんと言い表し、なんと称したらいいのか全く分からないのだ。正直な話、不安でたまらなかった。
「……そんな顔するな」
「どんな?」
「哀しそうな顔だ」
自分を哀しそうだというこの人こそ、哀しそうな顔をしている。何故彼はこんなことを言うのだろう。
雑賀はぼんやりと外を見つめる織を顎でしゃくって言った。織とは初対面の雑賀だったが、心配そうな顔をしている。
「……大丈夫か、彼は」
「分かりません」
「分からないってお前なぁ」
「分からないことだけは、初めから知っています」
戯れ言のような理由で、狡噛は織を評した。
出会ってから今に至るまで、織のことは分からないままだ。寧ろ彼が分からせないようにしているのではないかと疑いたくなる。
織様子からして、本人でさえ理解できていないのだろう。
「でも、出来ればあいつを巻き込みたくはありません」
「じゃあなんで連れてきた」
「あいつ自身の意志ですから」
「……俺からしたらお前らもよく分からんぞ」
狡噛が手渡した資料に目を通しながら雑賀は溜め息をついた。それに狡噛は苦笑で返し、コーヒーを啜る。
「俺もそう思います」
指先から窓へと視線をずらし、外の自然を見つめる。冷めているコーヒーからはいまだに深い香りが漂っている。口を付けたが、やはり苦い。
色々考えようとしても、何故だか思考回路が上手く回らない。
考えろ、思考しろ。そうしなければ保てない。何のために今まで押し殺してきた? 誰のために自分を追い詰めてまで隠し通してきた? だから、考えろ、思考しろ――僕が僕のままでいられるように。
狡噛に名前を呼ばれた。振り返ると荷物を纏めた姿で立っていた。
「……行き先が決まった」
「行くよ、止められても行く」
「止めないぜ」
「……いいよ」
上着を羽織って立ち上がる。雑賀教授にお礼を言ってお別れをした。それ以外はお互いに何も口にしない。
外の風は冷たい。多少冷えても自分の色素の抜けた肌色なら寒さを誤魔化せる気がして、今日ばかりはそれが有り難かった。
/20130825
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