:: 29:さざめきで満ち満ちる
勢いよく槙島を切り裂こうとした狡噛の刃は、虚しく空を切った。しかしその直後に繰り出された織の刃は、深く槙島の体を捉えた。鮮血が散る。
「……くっ」
槙島が飛び退いてカミソリを捨てた。止血を優先すべきだと判断したのだろう。さらに追い討ちをかけようとした狡噛を織が牽制する。
織は、けして狡噛の味方ではないのだ。
そのとき、公安局のスタングレネードが転がってきた。槙島はそれを農耕機の下へと蹴り込む。閃光と衝撃波。その隙をついて槙島は逃げ出した。
「くそっ」
「……そこまでです、狡噛さん」
ドミネーターを構えた常守がふたりに近付いてきた。
狡噛も織も武器を捨てて手を頭の後ろで組む。狡噛のリボルバーを拾い上げるが、銃口は狡噛に向けたまま。
「槙島も近くにいる、とうとう逃げ出した」
「わかってます。あの男も捕まえます」
「ここで俺らに手錠をかけて、あんた一人で槙島を追う気か?」
「そこまで無謀じゃありませんよ」
そこで常守は狡噛にドミネーターを投げ渡した。狡噛は咄嗟に受けとったが、彼女の意図が分からないようだ。
「パラライザーで固定されています。今の貴方にも使えるはずです。手伝ってください」
そのかわり、常守はリボルバーを構えた。
「……常守さん、僕を野放しにするの?」
「織くんは、どちらも生かす気でいる。私と同じでしょう?」
「生死に関しては一致してるね」
「なら、構わないわ。今はそれだけで十分よ」
揺るぎない瞳を見つめる。彼女は強い。
あれから何かあったのだろう。
シビュラの支配下にあるドミネーターをパラライザーで固定できたということは、彼女はすでにあの部屋に招かれたということか。シビュラに接触されていて、かつ交渉に勝っている。流石としか言いようがない。
「なら僕もドミネーターを使おうか」
「っ?!」
ならば、織も彼女に合わせるべきだろう。腰に差していたドミネーターに持ち変える。宜野座か征陸のものを途中で拾ってきた。試しに起動させたら認証された。まだ使えるようだ。ならば使うだけ。
「どうして?!」
「登録がまだ残ってたみたい。普通に起動したから、そういうことだと思う」
「……いいわ、細かいことは後にしましょう」
「了解です、監視官」
後回しにしてくれて助かった。彼女も薄々感付いているのだろう。織がシビュラに接触されたことを。
しかし、織は彼女に偽装したままでいなければならない。気を緩めたらそこでおわりだ。
▼
対する槙島は、偽装する余裕もないようだ。点々と続く血痕を辿るとバスターミナルに到着した。
「あんたが、俺に槙島を殺させないのは……」
「違法だからです。犯罪を見過ごせないからです」
小声で交わされる常守と狡噛の会話に耳を傾ける。久しぶりのドミネーターの青い光に目を細めた。この光だけは、いつだって綺麗だった。
「悪人を裁けず、人を守れない法律を、なんでそうまでして守り通そうとするんだ?」
「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです」
織はその言葉に目を見開き、そしてきつく唇を噛んだ。やっと常守の思いを理解した。そして、簡単には相容れないことを知った。
「……たぶん、僕には無理だな」
残念だが、彼女の望む世界に自分は居られない。何人がそれを望み、造り上げたとしても、その世界では、織は呼吸すら出来ない。生きていけない。
とうの昔に、交わる前から違えてしまったのだ。
「っ!」
一台のトラックが急発進する。運転席には槙島の姿。
ドミネーターを向けても、速度的に狙うのは困難だ。パラライザーならまず不可能だろう。リボルバーでは距離が足りない。
「あれ…? っ、狡噛さん?!」
「朱っ!」
駆け出してふたりの姿を確認する。狡噛はいるが、常守はいない。――まさか。いた。車両にしがみついている。
「行くぞ、織!」
「……無茶するよ、全く」
ふたりは顔を見合わせて走り出した。
/20130929
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