:: 世界は冷たいままでいい
※原作軸より数年前(あやふや)
その扉をくぐれば、微かに薬用アルコールの匂いがした。思わず顔をしかめてしまう。部屋の主は未成年者なのだから飲用であって欲しくはないが、かといって薬用もどうかと思う。奥へ歩を進めるうちに異変に気付いた。
「……罪重?」
無機質な白い部屋。白いシーツ。白い床。丸まっている細くて白い体躯。散らばった白い髪。――白い視界を巣食うような、赤茶けた斑模様。乾きかけの血が、ぽつぽつと白い空間に浮かんでいた。
眠っている彼はなにやら喉元を掻き毟ったようで、抉れたような痛々しい傷が無数にあった。いったいなにがあったのやら。いまは穏やかに眠っているようだが、残された痕は痛々しい。
彼の少ない所有物である清掃機能メインの家庭用ドローンは、彼が意図的に電源を落としていた。機動してやればモーター音が唸りだす。
狡噛はぐったりした織の体を抱き上げた。はらりと落ちたシーツをドローンが回収する。
「はぁ、まったく朝から」
「おはようございます。取り敢えず下ろしてください」
ぼやけば、いつの間にか意識を取り戻した織がもぞもぞ動く。唐之杜のラボまであと少しだ。
「で、大丈夫なのか?」
「若干ふらつくくらいですかね」
「じゃあ駄目だな」
「……」
そこで会話は途切れ、いまは大人しく担がれている。
「なにがしたかったんだ?」
「……汚れ、取れなくてつい」
「は?」
「なら、毟ればいいかな…とその時は思ったんですよ」
織は狡噛が呆れているのを察しつつ、何も補足する気にはならなかった。言っても理解されない潜在犯の身の上だからだ。
「そうか」
その言葉は、酷く空回りした。ふわりと宙に浮かび、あちこちぶつかってやがて消えた。
何も感情を呈さない、不思議な感覚だった。
その後、織はラボできちんとした治療を受けた。
今後自傷行為は控えるようにと言われてしまったが、残念ながらそんな約束は出来ない。えも云われぬ嫌悪感が突き動かすのだ。それは、意識の下に植え付けられた本能なようなものだ。
治った傷を見た彼は同じ事を言う。繰り返し訴える。
「罪重」
「はい、狡噛さん。僕に何か?」
「もうしないと、約束してくれないか」
「ええ、嫌です」
彼は何故か悲しそうな顔をしていた。心の隅に、意味のない罪悪感だけが残る。そんなもの抱いたところで、何の解決にもならないというのに。
織は思わず顔をしかめた。……こんな筈じゃない。
今日も、明日も――死ぬか見棄てられるまで自分は汚れ続ける。汚れた社会システムによりその自由を奪われ、汚れたモノを狩る卑しい獣と成り果てる。それでよかった。少しでもこの世の悪を濯ぐことができたのなら。
それは、自ら望んだことだ。
なのにこんなにも世界は息苦しく、そして冷たい。いや、冷たいままでいてくれなければ。
暖かさに心地よく眠ってしまわぬように、そして人間らしく思考できるように。
/20130515
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