アンドロイドは電気羊の夢を見るか
目が合った瞬間、心臓が凍るような思いがした。
彼の名前は、遠山金太郎くんという。
いつも元気で底抜けに明るく笑う少年だ。跳ねたい放題の赤い髪から覗く、無邪気な表情。天真爛漫で、誰からも愛されるような存在。――自分には持ち得ないものを持っていて、自分にはできないことができる。
彼のすべてが、榮の劣等感を刺激した。
目眩がするほど強烈で、まるで終わりを告げるような眩しさを感じる。
榮は目を閉じ邪魔にならないようにフェンスのすぐ側にしゃがみ込んだ。4月とはいえ、時たま肌寒い時もある。指先がかすかに震えたのは、寒さのせいか。それとも畏れのせいか。
「どないしたんや、榮はん」
「あ、師範。俺のことは気にせずに放っておいて貰えると助かるんだけど…」
「せやけど、榮はんは無理しはるお人やからなぁ」
「そんなことないよ。ほんとに、ちょっとしんどいだけ」
上向けた視線は、師範を飛び越えて彼の方へ向かう。
顧問から教育係という名の世話役に任命された白石は、今日も大変そうだ。相変わらず嵐のような新人くんに振り回され続けている。
はじめはマネージャーである自分にその役目が降りかかるのではと案じていたけれど、それは杞憂に終わった。
あの顧問――オサムちゃんはかなり部長に丸投げしてると思う。そして、白石のあの腕も実は気付いているけれど、俺は何も言えずにいる。
なんや、全財産って。ふざけてんのか。アホらしい。そう素直に言えたら良かったのに、色々なことが脳裏をよぎってどうしても躊躇してしまう。
ときどき、何もかも嫌になる。すべて壊して終わりにしたいとも思う。
それを師範に見透かされてしまうような気がして、目を合わせられない。暴いてくるようなひとではないけれど、自分の醜い部分が伝わってしまうような気がして怖くなった。
偶々会話を聞いていた謙也くんがジャージを俺に掛けてくれた。浪速のスピードスターは今日もコートを駆け回って、汗を滲ませている。なんだか眩しい。
「なんや寒いんか。たいして変わらへんけど、俺の着とき」
「…みんな、やさしいね」
「と、友達気ィ遣うんは当たり前っちゅー話や!」
みんなの優しさは嬉しい。
それだけではこのぽっかりと空いた穴は埋まらない。足りないのだ。自分の浅ましさに、また吐き気がする。
……いや、待てよ。
いつから自分はこんなに甘ちゃんになった? 欲しいものはあらゆる手段を使って手に入れて、他人の気持ちさえ利用して、すべては 自分の我儘で行動してきた。
なのに、なぜ。
なぜ躊躇い、戸惑い、誰かの優しさに甘んじようとしている。なぜ誰かの優しさを、本当に欲しいものの代用品にしようとしている。
なぜ、なぜ。
自問自答はいつしか自己嫌悪となって、俺の首を絞めてくる。うまく息ができない。
▼△▼
「榮!」
部活帰り、白石が俺の名前を呼ぶ。
振り返ると遠山くんを小脇に抱えた白石がいた。
「どうしたの」
「部室の鍵返してくるから、金ちゃんとここで待っとってや」
「へ? …ああ、鍵なら俺が返してくるけど」
「ええから! 今日榮あんまし体調よくないんやろ? 大人しくしとかなあかん! ちょお待っとりや、すぐ戻ってくるわ」
「お、おう」
早口でまくし立てると、すぐに駆け出していく。遠くなる背中をぽかんとした顔で見送った。
「えっと、遠山くん。うちはどう? 楽しい?」
「金太郎や! みょーじで呼ばれるんイヤや!」
「ごめん、金太郎くん」
「それでええ! あんな、四天宝寺、めっちゃおもろいで!サイコーや!」
なんとなく話しかけると、彼は名前呼びがお望みのようだ。俺が名前で呼んだことに対して、満足そうにへにゃりと笑う姿は、かわいいなと思う。
そうだ、彼は何も悪くない。悪いのは俺だけだ。
眩しいまでの純粋さに目が霞む。彼の口から次々紡がれる「たのしかったこと」に、なるべく優しく相槌をうちながら話を聞いた。
「せやけどな、白石のな、毒手だけは堪忍や」
「金太郎くんなら鍛えていけばいつか勝てるかもよ。ま、頑張りや」
「ほんまに?!榮、ワイもっと強うなるわ!見とってや!」
「うん、楽しみにしてる」
ケモノと大差ない彼を制御するために付加された毒手という謎設定。さすが関西。訳わかんない。なんだそれ。
関西のノリには永遠についていけない可能性が非常に高い。
金太郎くんは、たぶん無害だ。可愛い後輩だ。
俺の心の持ちよう次第でなんとかなる。このどす黒い感情を押し殺せば普段通りに戻って、彼に時間を割かれたって俺は満足できる。いいんだ、これでいいんだ。言い聞かせるように反芻する。
そうこうしてるうちに、白石が戻ってきた。
「お、なんや金ちゃん。嬉しそうやな」
「白石聞いてや、榮がな、もっと強うなったら毒手に勝てるかもしれへんから頑張りや言うてくれたんや!」
「おお、そらええわ。頑張りや」
「榮! ワイ、頑張るさかい、見たってな!」
金太郎くんにはまるで無駄なんだろうけど、寄り道をしないで家に帰るよう念押ししてからお別れした。数歩おきに振り返って手を振ってくれるのが、いじらしい。嬉しくて、その都度小さく手を振って返す。
白石との分かれ道に差し掛かったとき、今までの声色とは全く違う声が俺を呼んだ。
「……榮」
胸の辺りが騒つく。
何かが密かに狂いだした、そんな予感がした。
2016/08/06
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