愛と幻想のファシズム
顎を伝い落ちる汗を手の甲で拭い、天を仰いだ。もう夏が近い。梅雨が明けて、日に日に増して行く陽射しの強さに目を眇めた。そのうちしたら蝉が鳴き出して煩くなるのだろう。
コートが陽射しに照らされて熱気を帯び、それぞれの思いを胸に選手たちがしのぎを削って闘う季節になる。
夏が来る。夏が、夏の大舞台がやって来る。
我ら四天宝寺中は順当に地方大会を勝ち進め、ついには全国への切符を手にした。
過酷さを増す練習に榮も必死になってあれこれとサポートに奔走する。緊迫感を伴ってコートを駆ける姿を視界に捉え、小さく笑みを作った。
▲▽▲
綻びを直すにはその綻びが小さければ小さいほどいい。当たり前だ。誰が考えたって同じ結論に行き着くだろう。
最近、特にここ数ヶ月は白石の調子がいい。――いや、彼は想像できないほどの努力を重ねてこのベストコンディションを作り上げたのだろうけど、完璧すぎて怖いくらいに仕上がっているのが素人目でも感じられた。
これがいきなり途切れてしまったら。もし彼が負けなくても、学校として負けてしまったら。
続きを紡ぐことができなくなってしまったその時、彼は一体どうなってしまうのだろう。
俺の杞憂ならそれでいい。後からいくらでも笑えばいいのだ。
相変わらずこういう風に後ろ向きな考え方しかできない自分に苛立つ。やはりスポーツに向いていないのだと改めて思い知らされる。無意識に手のひらに爪を立てていた。
それを二人掛けの座席の隣に座っていた白石に見咎められてしまい、手のひらを開かされてしまった。追求しようとする視線から目を逸らし、曖昧に笑いながら流れていく景色を追った。あ、富士山。
「金太郎さんがおらんのや!」
「なんやて?!」
俺たちは新幹線で東京へ向かったのだが、なんと金太郎くんが途中下車していなくなってしまった。みんなは大騒ぎ。まさか途中で降りるなんて……。
数日後に会場の下見をして、そこでやっと金太郎くんを回収した。今は大会のために若干ケチられたと思しき古いホテルに向かっている。
起こったアクシデントについてのコメントは控えさせてもらおう。
まったく恐ろしい。本当に人間なのか疑わしい。まさか富士山から走ってもう到着するなんて。大阪の野生児怖い。
振り返ると、またどこかに行こうとしているところだった。危ない。慌てて引き止める。
「金太郎くん、今度こそはぐれないようにどっか掴んでて」
「おん!」
天賦の身体能力を持つ金太郎くん。
俺としては鞄のどこかを掴んでくれ、という意図だったのだが、彼はどうやら違ったらしい。何故か手を繋がれている。
確かにこれだと確実にはぐれないと思うけど。
正直怖い。ちょっと力を込めただけで、こんなひょろっちい腕なんか一捻りなんだろうね。アイアン曲げたって言ってたし。
ふと白石と視線が合う。
――ああ、これはダメだ。
何も言えずに目を伏せた。鋭い視線が追撃して来る。今夜の惨状を想像して、思わず乾いた笑いがこぼれた。
経費削減のため二人部屋以上なことは決定している。
有無を言わせず部長権限により同室にさせられた俺は、あてがわれた部屋で無言でこちらを睨みつけてくる白石と向き合っていた。
「…あの、や、はぐれないように、だよ。何の意味もなくて、その」
「知っとる」
気まずさに耐えかねて、ぼそぼそと弁解を試みた。拙い言葉は無慈悲に叩き落とされてしまう。
かつては俺が金太郎くんに嫉妬していたのに、今は逆だ。
手首を捕まれた。引き寄せられるがまま、白石の肩口に飛び込む。その顔を伺うことはできない。
「あんな、榮」
「うん」
「勝ったら、ひとつ聞いて欲しいことがあるんやけど」
「ん、いいよ。なんでも聞いてあげる」
答えは一つしかない。何だって、どんなことだって、現実的に不可能なことじゃなければ俺はいつだって何だって聞くのに。
ただ白石が自分を賭けてまで、俺に何かを求めているという事実に酷く興奮した。
頬を手のひらで挟むようにして視線を合わせる。確かめたかった彼の表情は、困ったような笑顔だった。
「ね、白石」
日頃の努力を知っているからこそ、無責任に頑張ってねとは言えなかった。
じゃあ代わりになんて言おうか。少し考えてみたけれどさっぱり分からない。
その代わり、彼の形の良い唇に指を伸ばした。形をゆるりとなぞって、半開きのそこに差し込む。口角を無理に釣り上げて、笑わせてみた。当たり前だけど、歪な笑顔ができた。
「っ、榮?」
「楽しんできてね」
「……おおきに」
その日は布団に侵入された。するりと腕が回されて、抱き寄せられる。気付かないふりして、腕の中でなんとか寝返りを打つ。
寝息が聞こえてきたので、そっと目を開けて様子を伺ってみた。穏やかな寝顔に口元が緩む。
引きずり落としたくせに、こちらに連れ込んで錯覚に錯覚を重ねて、つけこんで、散々掻き乱したくせに。彼が自分のことを思って表情を歪めるのが嬉しいくせに。
それでも最後には笑っていて欲しいと思ってしまう。
完全な俺のエゴ。それを笑って許してくれるのか、図りかねている。
彼はどこまで俺と同調していくのだろう。未来を想像するのは、はじめからずっと怖いままだ。
2016/12/29
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