輝くもの天より堕ち
放課後の廊下を二人で歩く。隣を歩く榮をの手に握られている変哲もない紙切れ。
この一枚でどれだけのことが変わるのだろうか。榮には分からないだろうが、自分にとっては大きな意味がある。
「ん? なんでそんな深刻な顔してるの」
「してへん」
「嘘つき」
彼にしては珍しい有言実行。
家庭の事情を使って先延ばしにしていたものの、熱血風な担任からせっつかれている部活動をようやく決めるときが来たようだ。
ほぼ二年も渋っていたというから驚きだ。曰く、一人暮らしをしているものの特に生活には支障がないとのこと。
不慣れな日本語、及び方言に引け目を感じ、他人とのコミュニケーションを徹底的に拒み続けてきたのだ。そんな彼が、自分をきっかけに大きな変化を受け入れようとしている。これほど嬉しいことがあろうか。
知らないことが吐き出される度、白石の表情が固くなってゆく。白石はこの醜い感情の理由を、厭というほど知っていた。
「一人暮らししてるん? 初耳なんやけど」
「えっと、ちょっと複雑で言い出せなくて…親は向こう。十分育てたってことで親父の弟さん夫婦に預けられたんだけど、一人暮らししたいって言って逃げてきた。奥さん、お腹に子供いるんだって知ったから。幸せな家族の異物って感じで、耐えられなかったんだ」
「……そら酷い話やな」
「別に困ってないから、大丈夫」
「せやけど」
「お金とか物とかでは困ってないからさ、そんな大したことないって」
そうは言うものの背けられた顔は悲しそうに歪んでいて、つい手を伸ばす。
そっと目尻から顎にかけてなぞれば、手首を掴まれて下ろされた。痛切な目をしている。いつもいいよと言ってくれるが、この時ばかりはいいよとは言わなかった。視線だけで動きを牽制される。
「…それで、榮は寂しない?」
「寂しいよ。ううん、寂しかった。白石が俺を選んでくれるまではね」
素直な返答に、白石は満足そうに微笑んだ。確証を得るのにそれで十分だった。胸の内のもやついた感情は、冷たい廊下に溶けて消えた。
職員室の扉を開けて目的の人物を探す。何と珍しいこともあるものだ。彼は割り振られた自分の席にいた。てっきり校内中を探し回る羽目になると踏んでいたのだが。
「オサムちゃん」
背後から呼びかければ、庭球部の顧問である渡邊オサムが煙草の匂いを漂わせながら振り返った。
「お? 自分、見ない顔やな」
「初めまして、折坂榮です。入部届けを出しに来ました」
「マネージャー希望やそうです」
「おー、確かに受け取ったで。まあぼちぼち頑張りや」
「へ? あ、ありがとうございます」
さらりと受理される入部届け。顧問の適当さに辟易するものの、この段階で揉められても困るので安心する。
軽く頭を下げて職員室を後にした。
「やけにあっさりだな。何かテストとかあるのかと思ってた」
「は? なんでやねん」
「熱狂的な子達がいるのにマネージャーは一人もいないから、凄いふるいわけでもしてるのかなって。俺恨みで殺されそうだなぁ」
「させへんわ」
「さすが白石。イケメンやね」
ふわりと向けられる笑顔、そしてその語尾。なんだかグッとくるものがある。何と言葉を返すべきか。無意味な瞬きを繰り返す。
「な、なんでこういう時だけボケてくれないの」
「えっ、ああ…すまん。めっちゃ可愛くて呆けてもうたわ」
「は? 最近白石のツボが全く分からないんだけど」
「何言うてるん、榮全部やで」
「えっと、ありがとう?」
疑問系で返すのはあかんで。そう白石は笑いながら心の中で呟いた。
新しくマネージャーになった榮を部活開始前に部員に紹介する。少し前に話題になった人物なので一部二年が騒ついたが、お得意の笑顔で押し切った。
庭球部の名物・お笑いダブルスの片割れである金色小春が、お馴染みのロックオン体勢で前に出る。
「折坂榮クン、14歳。×型××日生まれの××座、AB型。あの有名な折坂グループの御曹司。アメリカ・ボストン生まれで、以降小学校六年生まで多忙な両親に連れられ世界各地を転々と過ごしていたのよねぇ。中学校入学のタイミングで帰国。現在一人暮らし中。成績は極めて優秀で、この間のテストの順位はなんと二位〜! それから、めぼしいスポーツ経験はなし。体育の成績は悪くないのにねぇ。そう言えば、髪を切ってイメチェンして話題になったわよねぇ〜。露わになった甘めのフェイスで女子に人気急上昇〜! 間近で見るとほんま可愛ええ顔してるわねぇ〜、ロックオン!」
「う、浮気か、死なすど!!」
「……ちょ、何でそこまで知ってるの」
「申し遅れたけど、アタシ金色小春。気軽にコハルって呼んでねぇ〜! ヨロシクね、榮ちゃん」
「よろしく、コハルちゃん」
「だから浮気かて!! ちゅーか何やねんその漫画みたいな経歴は?!」
「は? 冤罪じゃない?」
次から次へと声をかけられている。初日から庭球部特有のノリに押され気味の榮。如何にも彼等らしい洗礼だと言えよう。
微笑ましい光景に白石は思わず目を細めた。気分は父親のようだ。
「こら白石、見てないで助けろよ! あとちゃんと紹介もして。追いついてない」
「すまんすまん。こっちは金色小春、めっちゃ頭ええねんで。んでこっちは一氏ユウジ、通称モノマネ王子や。ふたりでダブルスと、お笑いコンビ組んでんねん」
「…? よくわかんないけど、改めてよろしく」
「小春に手ェ出したら殺す」
「ほんとに出さないって、信じて」
先程から榮がちらちら救いを求めるような視線を送ってくる。こくりと頷いて彼等の間に割って入った。
「ユウジ、この子はそういうんやないからそこまでにしとき。ほな、さっさと練習始めるでぇ」
部長の声に四天宝寺中学庭球部の面々は各自練習を開始する。
白石の一歩奥でそれを見守っていた榮は、小さく息を吐いた。項垂れた頭を白石の包帯の巻かれた左手が優しく撫でる。
「なんだこれ…今まで避けてたけどこのノリに付き合うのって、すっごく疲れる……」
「お疲れさん。せやけど、こんなんで疲れとったらこの先やってけへんで」
「…ん、わかってる、けど。ちょっと時間かかりそう」
「珍しいこともあるもんやな。慌てとる榮とかレアやん」
「見守る分にはいいけど巻き込まれるのは慣れない。ていうか、あほなこと言ってないで俺に仕事させてよ。まだ何もしてないよ」
「ほな、とりあえず仕事の説明からしよか」
「お願いします、部長」
「アカン。次からその呼び方禁止な」
改まって部長と呼んでみる。余所余所しいと却下されてしまった。笑顔ではあったが目が恐ろしいほど笑っていない。これはまずいことをした。
その後、白石らしい無駄のない説明を受ける。それらを懸命にメモしながら、ちらりと視線を上に向けた。
視線が合う。その瞬間、ふたりは何とも形容しがたい幸福を感じた。
/20140106
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