愚神礼賛
榮がマネージャーを始めて数日。今日も今日とて変わりなく、ファンの女子達の嫉妬と憧憬を一身に受けながら仕事をする。
彼女達がどんなに足掻こうとも、彼の立ち位置に成り変わることは決して出来ない。絶対的な優位性を榮は十分なほど分かっている。だから何も言わないし、彼女たちに対して何もしない。
好きの反対は無関心だとヒトは言うが、好きの反対は普通に嫌いでいい。嫌いだからこそ関わらないし、何もして来ない限り何もしない。無関心を装って、視界になんて入りませんって顔をしていれば良いのだ。
世の中それが一番穏便に済む。
てきぱきと効率的に、仕事の質は落とさずに、一番いいパフォーマンスで。妥協は一切しない。
そんな彼を四天宝寺中庭球部は快く受け入れ、部員の信用を得るのに時間はかからなかった。
榮は部室で備品の手入れをしながら、呑気に夕飯の献立を考えていた。節約も兼ねて自炊をしているが、ついつい簡単なメニューばかり作ってしまうのは悪い癖だろう。今日こそは何か手の込んだものを作ろうと頭の中であれこれ模索する。
「うーん、ハンバーグ? いやミートボール? …なんか違う……あ、つくねだな。生姜多めで」
「先輩」
「おわ、何?!」
とりとめなく考えていたことをぶつぶつ口に出していたら、急に背後から声が飛んできた。
吃驚しながら振り返れば、部室の入り口にジャージを着た見覚えのあるような、ないような少年が立っていた。誰だと訪ねる前に、少年の腕からダラダラと流れる赤色にぎょっとする。
怪我をしているのは明白。そもそも何か用がなければ部活動中に部室に行くことはないのだろうが、先程までよそ事に意識を飛ばしていた榮にそんなことを考える余裕はなかった。
とりあえず傷の程度を確認する。
「派手に血が出てんね。けっこう痛い? 指先痺れるとか、麻痺ってるとかは?」
「まったく無痛な訳あらへんやろ。けど、大したことないっすわ。周りが手当てせえ煩くてしゃーないんで仕方なく」
「そう、偉いね。次からは周りに言われなくても自発的に来てよ。そしたらもっと偉くなるから。…ほら、手出して」
不服そうな後輩の肩を押して無理やり蛇口まで歩かせ、流水で綺麗に洗い流す。見た目より傷は酷くない。浅いところを運悪く掠ってしまったための流血だと分かり安心する。深い部分は無事なようだ。
清潔なタオルで水分を拭き取り、白石から聞いていた棚から救急箱を取った。
「痛かったら言って」
「はい」
顔色一つ変えない後輩。痩せ我慢している様子も見られないのでそのままガーゼで圧迫止血し、テーピングで留める。
彼は動きに違和感がないか確かめたいのか、ぶんぶん腕を振っている。スポーツマンってそういうところあるよね、とどこか遠い目をしてしまう。
「ありがとうございます。ええ感じですわ」
「大丈夫? あんまりすぐ動かさない方がいいんじゃないの?」
「平気っすわ。それよか、先輩」
「ん?」
「つくねって渋いっすね」
「俺が夕飯に何作ろうが勝手だろ」
無愛想な後輩に本日の晩御飯というどうでもいいことを聞かれていた。気が抜けすぎていた。
しかしなんと言われようとメニューを変えるつもりはない。負けてやんないからな。半笑いでバカにしやがって。生意気な。
「そうだ、名前は」
「名前?」
「君から名前聞いてない」
「まあ俺は知っとりますけどね」
――財前光言います。榮さん、よろしゅう。
可愛げのない簡潔な自己紹介によろしくと返して、ちらりと時計を見る。無駄な時間を使いすぎた。白石が知ったらきっと怒るだろう。榮じゃなくて、彼を。
「もう戻ったら? 白石に怒られるぞ」
「俺怪我人なんで。ゆっくりしますわ」
「ここに来るの渋ってたくせに。…まあいいや、次からもちゃんと来いよ」
「考えときます」
「あは、可愛くないの」
作業に戻るため、パイプ椅子に座り直す。背後に立っている後輩は、まだ出て行く気配はない。サボりたいのか? まあ個人の自由だし、ここの方針からしてサボり如きで進退が決まったりする訳でもないだろうし。一応忠告はしたしいいかと、ネットの解れを補強する。地味な作業は嫌いじゃない。
作業が終わり顔を上げると、背後でくすりと笑われた気がした。
「…榮さん」
「なーに、財前くん」
「手当助かりましたわ。じゃあ戻りますんで、頑張ってください」
「うん、程々にね。気をつけて」
名前を呼ぶ声は心なしか柔らかいように感じた。無愛想で生意気なはずの後輩をコートへ送り返してひと息つく。
「ええ…お礼とか言えるんだな 」
つーか最初とキャラ違くない?
▼△▼
財前光の周囲からの評価はあまり良くない。無気力で、無愛想で、しかも大阪人のイメージとしてありがちである気さくな雰囲気や人懐っこい態度を欠片も感じさせない。
実力はある。いいか悪いかで言えば限りなくまずいことをやっている自覚はある。しかし自分の言動を改めるつもりはない。やりたくないことはやらないし、したくないことはしない。集団からどれだけ浮こうと関係ない。周囲からのやっかみも全部把握した上で流している。
全国有力候補の四天宝寺中学庭球部に年功序列という概念は適応されない。それでも妬み嫉みというものを向けられるのは仕方のないこと。
けれどあの人は、気持ち悪いくらいに平等だった。等しく手を差し伸べ、人の良さそうな笑みを浮かべて、優しく話しかけてくれる。年相応に拗ねたり、心配そうな顔をするけど、それは誰にでも見せるものだ。必要な会話が終わればとことん無言だった。
ここまで割り切っている奴は見たことがない。
ああ、でも部長にだけは違う。
あの白石蔵之介に対しては少し対応が違う気がする。断定的にしか分かり得ないほどの差異だったが、何かを感じる。そして、この中途半端な時期での入部だ。白石と少なからず何かあったに違いない。
二人はどんな世界にいるのだろうか。そこに自分は入れるのだろうか。
折坂榮という存在はいとも簡単に財前光の心へ浸透した。瞳が礼賛の色を見せ始めたことを、きっと彼は知らないだろう。
/20150215
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