| その疵だけがぼくらの証明 |
ある朝、ボーダー本部の入り口付近の廊下で目的の人物を待つ。いつもの時間通りに周はやってきた。
「おはよう」
「おはよ、迅さん」
いつもの朝、いつもの時間、前にも見たような気がするいつも通りの私服。いつも通りの髪型、いつも通り耳元に嵌められたピアス。そして、いつも通りの涼しげな顔。唯一いつもと違う部分は、周の頬にあった。
そこには大きな青痣があった。よく見たらうっすら唇も切れている。見るからに痛そうだった。
道中すれ違う通行人にぎょっとされそうだが、彼はバイクに乗ってやって来るので移動のほとんどはヘルメットで隠れてしまう。ということは、多くの他人に見られた訳ではなさそうだ。少しだけ安堵した。
まだ少年らしさの残る丸みを帯びた白い肌に青黒く巣食うその痣は、きっと彼が思っている以上に周囲をざわつかせてしまうだろう。彼はこういった類のことについて、とても無頓着なのだ。
ああ、なんて痛々しい。できることなら避けて欲しかった。自然と眉が寄ってしまう。
そんな俺の挙動に不思議がっている周を手招きして通路の隅に寄せた。皆の視界から逸らすように、人目のつかないところまで追いやったところで、やっと話を切り出した。
「随分と派手にやったな」
「あれ、痣は読み逃したんだ?」
「そういう時もあるさ」
珍しく周と太刀川さんが派手に喧嘩する未来が見えたので、数日前周に忠告したのに。せっかくの俺の親切心は完全に仇となって、未来視したものよりもひどい現実を突き返してくる。
「けっこう長く残るぜ、それ」
「ふーん、そうなんだ」
俺の言葉に、周は興味なさげに視線を逸らした。この話をもう終わりにしたいらしい。それを咎めるように、青痣にそっと手を伸ばす。触れた瞬間肩がびくんと跳ねた。
「っ…!」
「まだ痛いのか。ちゃんと冷やした?」
「うーん、まあまあ」
「ダメじゃん」
「……迅さん、おれ、駄目…だったかな」
周が俺の手を優しく跳ね除ける。一夜明けてもまだ痛みが残っているらしい。
「おれ、そんなに悪いこと言ったかなあ。ねえ、どう思う?」
見つめてくるその目は、笑っているけど笑っていない。色素の薄いひとみの奥底に潜む、どろついた昏いなにかがちらちらと見え隠れしていた。
「太刀川さんになんて言ったの」
周は一瞬迷ったように瞬きを繰り返し、しかし諦めたのか、それとも腹を括ったのかおずおずと語り出した。
ーーいつでも別れていい、そう彼は言い放ったらしい。
周らしいといえばらしい発言だが、当然相手からは許される訳もなく。頭が痛くなってきた。
「おれは本気だよ。もし捨てられたら悲しくて死にたくなるかもしれないけど、それも後々引きずる元だから無関係に生きるフリして、無関係装って死ぬ」
「そっか」
きつく結ばれた唇の端から、じわりと血が滲んだ。それに気付いた周がちろりと舌で舐め取る。余計乾いちゃうのに。ああ、言いたいことが多すぎて困る。
これ以上の議論は延々と平行線を辿るだけ。今回は俺が譲歩したほうがよさそうだった。
「それでも周、殴った太刀川さんが悪いんだよ」
「……」
「なんで殴られた側が不服そうなの」
「おれが、悪いんじゃないの」
震える小さな声で、そう零した。
周はへんなところで自罰的だ。それはもう、呆れて声も出なくなってしまうほどに。自覚はあるけれど、自制はできない。その未熟さを周は理解しているようだ。だから、誰かに自分が悪いと言ってほしいのだろう。でも言ってあげない。
「たとえ周に悪い要素があっても。手を出したほうがもっと悪い。そういうものさ」
周の頭をポンと撫でる。ゆっくりでいいから、どうか届いてほしいと思う。周は長い沈黙の後、そっかと呟いた。
「ちゃんと換装してから行きなよ」
「…うん、ありがと。すっかり忘れてた。おれ、結構ショックだったんだなって。医務室で湿布もらってから行くね」
「うん、気を付けて」
張り詰めていた雰囲気がやっと緩む。ふわりと笑って軽やかに歩き出した周の背中を手を振って見送った。その背中が見えなくなったところで、大きく息を吐く。
「……でも、暫くは直らないんだよなあ。アレ」
俺の願いが届くのは、まだまだ先の未来らしい。
2020/06/14
いらんこと言って地雷踏んで殴られて、周囲を無駄に心配させて欲しい
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