| ハートブレイクな世界よくたばれ |
※太刀川さん高校時代
抱えていた劣情が爆ぜた瞬間のことは、いまだにはっきりと思い出せる。
――それはある日、突然決壊した。
その日の放課後、太刀川はクラスメイトの女子といい雰囲気になった。元から密かに可愛いなと思っていた女子だった。
悪い気はしなかった。むしろ有頂天だった。そっと彼女との距離を縮めた。向こうも特別抵抗する素振りはない。このまま触れようとした。
つやつやで柔らかい唇。サラサラの髪。上気した丸い頬。甘ったるい声。すべて、男の理想に近いと言っても過言ではないだろう。
しかしあと少しというところになって、好ましいと思っていたソレが一瞬にして歪んだ。同級生の間で可愛いと囁き合っていたはずの顔が、別の人物と重なってはブレる。自分の名前を呼ぶ声さえ、ぐちゃぐちゃに混ざり、反響し、彼女の声がひび割れたノイズになる。
思わず彼女を突き飛ばした。
あまりにも動悸が激しい。この締め付けは一体なんだ。とてもじゃないが、もうこの場にはいられなかった。
「…太刀川くん? ちょっと、太刀川くん!」
彼女の引き止める声を振り切って走り出す。伸ばされた手が虚空を切ったのを見て見ない振りをして。
頭の中でぐるぐると思考が渦巻き、ある一点に帰結する。――そうだ、周。あまね、ああ、周に会いたい。
周の声で呼んでほしい。あの女の声を塗り替えてほしい。周の温度に触れたい。全部、ぜんぶ、周じゃなきゃダメだ。
なぜ? なぜ自分はこんなに焦っている?
そんなのは簡単、自分は周のことが好きなのだ。
答えはあっさりと腑に落ちる。
きっと、自覚しなかっただけ。ずっと前から彼とそういうことがしたいと思ったし、どうか彼にそういう経験がありませんようにとみっともなく願った。
醜い執着心が心臓を締め付ける。送り出された血液が沸騰する。全身を駆け巡って、さらに足を加速させた。
無意識のうちに抑えていた劣情は、気付いた頃には止められないほどに肥大していた。
◇
「周!」
玄関のドア越しに名前を呼ばれた。この声は、間違いなく太刀川さんだ。
いつもと違って声色がめちゃくちゃに怖くて、開けるのを躊躇ってしまう。
近界民関連なら渡されたデバイスの方に連絡が来てるだろうし、連絡が間に合わないレベルで暴れてるにしては周りが静かすぎる。
すぐに思いついた可能性は、どちらもハズレ。では何故こんなに逼迫した声なのか。
…この間2秒。考えても分からなかったので大人しくドアを開けた。
「なんですか太刀川さ…」
「あまね!」
ドアが開ききる前に体が滑り込んでくる。そのままの勢いで、おれは受け身をとる余裕のないまま玄関のフローリングに叩きつけられた。
「っえ、は? …痛ッ!」
「あまね、周…!」
「太刀川さん…?」
後頭部の鈍痛に耐えられず顔をしかめた。文句を言いたかったけれど、あまりにも真剣な表情になにも言えなくなってしまう。
それ以上に、おれの名前しか言葉を発していないのがさらに恐怖を煽る。さんざんこの人の面倒を見てきたけど、こんな太刀川さんは知らない。
どう接すればいいのか分からずに途方にくれていると、悩ましげな顔が急に接近した。
避ける暇なく――いや、本気で避けれなくはなかったと思うがおれが甘いせいで逃げきれなかった――くちびるが急接近し、やさしく触れた。
その動作が意図することは、わかるようなわからないような。知ってはいるけど、認識が追いつかないというか。
どうして。どうして。
「……すきだ、周」
その告白は、ひどく目眩がした。
羞恥に頬が燃えそうだ。
このひとは今なんと言った? 聞き間違えてなければ、自分のことを好きだと言ったのだ。
好きか嫌いかのどちらなのかと問われれば、間違いなく好きだと答えるだろう。
当然だ。好きじゃなきゃ身の回りの世話なんか焼いたりしない。忍田さんの次に剣さばきがかっこいいし、尊敬している。
性的な目で見たことは、勿論ない。……ない筈だ。太刀川さんに限らず他人にそんな類の感情を向けたことなどなかったのに。
おかしい。なにもかもおかしい。
熱い視線に射抜かれて、心臓が過剰に収縮する。いつもの自分が保っていられなくなってしまう。
それが怖かった。自分が未知の領域に踏み込んだのかと錯覚するほど強烈な感覚に、くらくらした。
「周、お願い」
駄目押しとばかりの一言に、おれはあっさりと陥落した。その声に頷かされたと言ってもいい。
目を閉じて小さく首を縦に振る。おれは、この人にとても弱い。改めて思い知らされた。
とても嬉しそうに笑った太刀川さんに、おれは喉元まで来ていてた文句を飲み込むしかなくなる。
このひとはいつでもそうだ。無邪気に、そして貪欲に、欲しいものだけを手に入れようとする。
それがまさか、自分だとは思っていなかったけれど。
2019/05/03
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