数日後、授業が終わるとなまえとグリム、エースとデュースの4人は図書館に集まった。今日は計画していた偵察の日である。モストロ・ラウンジは授業が終わった1時間後にオープンする。オープン直後は人の出入りもまばらだと予想されるので、あえて賑やかになる時間帯を選び、入店することとなった。なまえたちは一般客として目立たないよう過ごしながら、店員や店内の動きを観察するつもりだ。
入店までの空き時間は、図書館で各自宿題を進めていく。なまえは自身の宿題を進め、たまにエースと共にグリムやデュースに勉強を教えつつ過ごした。しかしその中で、自分が働くための条件に付いても思い返していた。こんな事情だと、わがままを言っていられないかもしれないが、職場を選ぶ権利はある。
4人の宿題が片付いて空腹を感じ始めるころには、夕食時にもなりモストロ・ラウンジも繁盛し始める時間帯となっていた。
「そろそろ行くかー? おい見ろよ。さっそくケイト先輩がマジカメ更新してるぜ」
エースに小声で話しかけられるまま監督生がエースのスマホをのぞき込むと、ケイトがモストロ・ラウンジ内で撮った写真を投稿していた。水槽をバックにした自撮りには、ケイトと、彼が持ち上げたグラス2つを挟んで少し困り笑いのトレイが映っている。
「よっしゃあっ、突撃するぞ」
気合が入って妙にワルが混じったデュースの掛け声で4人は立ち上がり、オクタヴィネル寮へ向かった。
なまえたちは寮の入り口を抜け、廊下に沿いに設置されている案内表示を確認しながら、歩いていく。この時間はやはり繁盛するのであろう。周りにいた数名の学生たちも同じ方向へと歩いて行った。モストロ・ラウンジへ到着すると、なまえは立ち止まって入り口を凝視する。
「なーに固くなってんの、店の中見にきただけなんだし、気楽にいこーぜ」
「そうだね。入ろう」
店内に入ると、緩やかなジャズが流れており、夜の水族館のような空間にのまれる。なまえとしては、高校生には不釣り合いなのではないかと感じられるほど、その雰囲気は大人っぽい。
「いらっしゃいませ。4名様ですね。お席へご案内いたします」
オクタヴィネル寮生が非常に丁寧な口ぶりで4人を出迎えた。彼ら特有の、ストールをなびかせた漆黒の寮服を揺らしながら、ボックス席へと案内される。なまえたちはソファにそれぞれ腰をかけると、メニュー表を渡され、おすすめメニューを口にして店員は席を後にした。なまえは、こんな上品な店を学生の時分でどのようにしてオープンさせたのだろうとたびたび疑問に思うが、それが彼らの優秀で狡猾であることの証明でもあると感覚で理解していた。
「グリムも、今日は好きなもの頼んでいいよ」
「ホントかー! ラッキー、オレ様は……」
なまえはドリンク一杯で居座ると口には出していたものの、いざ席に座ると気も引けてしまって、いつも節約している分のご褒美も兼ね、店員おすすめのディナーセットを注文する。主食主菜副菜汁物……と栄養バランスが優れていて、空腹も満たされそうなメニューだ。近くにいた店員を呼び注文を終えると、改めてなまえは周りを見回した。学生服の腕章を見るに、オクタヴィネル以外の寮生も働いている様子がうかがえる。たまに寮服で働いているものもいて、彼らはレジ周りやアルバイト指導など、店を任されているベテランのようだ。この時間帯のため店員は忙しなく動いているが、特に違和感を抱くことは無い。
「なんだか、僕たちが働いていたころとはまた違うな……」
「動きが洗練されてるみてぇだし……」
「いや、でもオレ様みたいに裏で泡だらけになっているヤツがいるに違いないんだゾ……」
「そうだねグリム。確かに厨房回りも気になるかも」
このボックス席は、厨房とは反対側にある。遠い分周りは見渡しやすいが、働く上で気になるのは店の裏側だ。少しだけでも見られないかと観察していると、厨房手前のカウンター近くのボックス席に、ケイトたちが座っているように見えた。
「ねえあれ、ケイト先輩たちかな?」
「そうだな、写真の感じもあそこの席っぽいし」
「これはいいチャンスだな。なまえ、話しかけてくるか?」
「うん。行ってみる」
「オレも行くわ。デュースとグリムは席でお利口さんにしてて」
なまえ1人だと動きにくそうだとエースが機転を利かせ、席移動を促す。2人が席へ近づくと、話しかける前にケイトが気づいた。
「あーっ、なまえちゃんと、エースちゃん! もしかして、デート?」
「デュースとグリムも一緒っすよ先輩。さっきマジカメ見ました! やっぱりそのドリンク気になりますよねー」
「そうそう、これホントマジカメ映えじゃん!? と思って駆け付けたんだ。この席は後ろの水槽も映るからけーくん的映えスポットってわけ。ほらほら! 記念に一枚撮ろ」
「おいおいケイト、ドリンクがこぼれるぞ」
微笑ましく様子を眺めていたトレイが、あきれたような表情で注意した。しかし、ケイトのテンションに押されるがままソファ席になまえとエースも引き込まれる。ソファの端に座っていたトレイが腰をずらしたことで2人は収まったが、雪崩のように座ったため、3人がトレイにもたれかかっているような姿勢になった。
「はーい、ポーズ!」
パシャッとカメラ音が鳴り、撮影が終わる。4人が席に座りなおすと、ケイトはすかさずマジカメの更新を始めた。
「すまないな2人とも。ちゃんといい顔で写ったか?」
トレイが眉をひそめて笑った。その雰囲気に飛び込む気持ちでエースも会話を続ける。
「もう慣れたもんっすよ。そういえば、トレイ先輩もここによくいらっしゃるんですか?」
「たまに来るよ。ケイトがここの新メニューが出るたびに俺を誘うから、次のパーティのミーティングも兼ねてるんだ。ほら、このドリンク海みたいな色で綺麗だろ? 2パターンあってセットで撮るのがいいんだとさ。俺はあまり写りたくはないんだがな……」
「はは、さすがケイト先輩。マジカメ映えに抜かりなしっすねー」
「よし更新完了―! 2人ともありがと」
「はい! あ、そうだ、オレ次の新入生向けの課題のことで先輩たちに聞きたいことがあったんですけど……」
エースが2人と話をしている隙を見て、なまえは厨房を何度かちらちらと覗いてみた。さすがにバックヤードすべてを見ることは難しい。見えない厨房からは「3番のドリンク……」「フードオーダーいただきました……」など業務連絡が飛び交っている。もう少し店内を動いてみてみたいと考え、なまえは「私は失礼します」と言い残して席を立つ。
この店はイベント等で学外の客も入ることが見込まれているためか、手洗いも共用で作られている。なまえは手洗いに行くようにしつつもあえて遠回りをして、店を散策することにした。ボックス席が続き、壁は水槽のような作りになっている。行き届いた指導のおかげか、店員たちも仕草が丁寧でサービスが行き届いているように感じられた。なまえは偵察と言いつつも結局ガラス越しに見えるサンゴや心地よい音楽に浮かされながら歩いている。すると、頭の上に影がかかった感覚があり、視線を前に戻す。
「あ」
「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。随分お席から離れているように見えますが、何かお探しでしょうか?」
真正面に寮服姿のジェイドがいた。なまえは驚いて瞬きを2、3度繰り返し、答えた。
「あ、あのお手洗いに行きたくて……」
「先ほど通り過ぎていましたよ。振り向いて、左側に扉があります」
ジェイドに言われるがままなまえが振り返ると、案内の通り左側に手洗いの看板が見えた。
「あっ……ありがとうございます。き、今日は、ジェイド先輩も出勤なんですね」
「ええ。今日はフロイドがホール担当のはずなのですが、姿を消してしまいまして。手伝いをしつつ巡回しております」
「巡回だなんて、落ち着いた雰囲気に不釣り合いな言葉ですね」
「フフ、そうでしょうか。こうやって店内で迷ってしまう方がいらっしゃるのに?」
「えへへ……」
ジェイドは非常に周りがよく見えるのか、なまえの遠回りな動きにも気づいていたようだった。なまえは声も上ずり、間が持たないあまり笑うしかなかったが、ジェイドはそのまま言葉を続けた。
「失礼ですが、スタッフに何か失礼を働いたものがいましたか?」
「え」
「いえ、先ほどから、うちのスタッフをよく観察しておられるようでしたので……」
なまえは一瞬ぎくりとしたが、客に失礼がないかを気にするジェイドの様子を見て、店の運営に対する律儀な態度に関心も起こった。
「あ、いや、すごく丁寧な接客をされてるからいいなあと思って」
「それは光栄です。接客も当店のこだわりの一つです。なまえさんも愛想がよいので、当店でも非常に活躍していただけると――」
「気になってます……」
なまえは、ジェイドの言葉をさえぎって、半ば無意識にそう答えていた。ジェイドは目を見開いて驚き、2秒ほど黙った。
「すみません、驚いてしまいました。前回のように流されてしまうものかと」
「ちょっといろいろあって……あ、でもまだ悩んでるんです。だから、アズール先輩たちには」
「わかりました。内緒にしておきますから、いつでもご相談ください。お待ちしております」
「引き留めてしまい、申し訳ありません」と言い残して、ジェイドは去っていった。なまえは一種の達成感と、この勢いでよかったのかという不安が入り混じった興奮のまま、結局手洗いも行くことなく席へ戻ろうとする。ちょうど頼んだメニューが到着したようで、エースも元の席へ戻っていた。
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