正門をくぐり、いつもの道を通るとおばけ山が見える。山を通り過ぎてそのまま歩いていくと、海岸沿いに小さな街が見えた。私はジェイドさんにエスコートされるまま、その街に向かう。距離もあるためジェイドさんが休憩しなくてもよいか度々気遣ってくれるけど、自然と足は前に進んだ。街は、商店が両サイドに連なっている賑わった通りがあり、生活に必要なものがそこで揃えられているのだろうと予想できた。子供から老人まで、学園では見られないような人たちが歩いている。
「せっかくのデートですから、まずは服をそろえましょう」
ジェイドさんは制服姿のまま、私は購買で手に入れたワンピースのみだったので、近くの洋品店に入った。そこは男性服も女性服も取り扱っていてどこを見ればいいのかわからず戸惑っていると、「リーチさんですね」と店員さんがジェイドさんに話しかけた。店員さんにフィッティングルームに案内されると、もうコーディネート一式が揃えられていた。ジェイドさんが手配してくれていたらしいその服に、手足をゆっくり通す。姿見に写る自分を見て、生前はこんな姿なのかもしれないと気分を弾ませていると、カーテン越しに「終わりましたか?」とジェイドさんの声が聞こえたのでカーテンを開けた。ジェイドさんも着替えていて、私たちは同系色の、シックなコーディネートに身を包んでいた。パンツスタイルなのは彼の趣味なのだろうか。統一感がカップルらしさを醸し出しているようで、私は照れ臭くなる。店員さんの「おふたりともお似合いですね〜〜」という誉め言葉になおさら恥ずかしくなってしまって、私は顔を斜め下に向けた。
「とても似合っていますよ」
「ジェイドさんも……素敵です」
私たちは店を出ると、商店街に並ぶ雑貨屋や花屋など、一連の店を出たり入ったりした。もの珍しい民芸品があったらそのたびに手を取って、私もジェイドさんももの珍しそうに眺めていた。一通り店散策を終えると昼時だったので、ジェイドさんが予約してくれたおしゃれなカフェに入る。食事をとれるのか不安ではあったが、薬の効果か、食事もできるようになっていた。薬の完成度を恐ろしいと思いつつも、何年ぶりかもわからない食べ物の味や感触を楽しむ。
街を抜けると、目の前には海と山が広がっていて、自然の景色が凝縮されたような空間のように思える。砂浜があって、その反対側には山もあって、麓には一軒の廃屋が見えた。この海のにおいと、山の鳥たちの鳴き声が混ざる感覚に、懐かしい、という言葉もなぜか頭に浮かんだ。
「きれいですね……」
「そうでしょう。僕も最近ここを知って、貴方をぜひ連れてこられたらと思っていました」
「海のにおいが、僕の故郷を思い出させるので」とジェイドさんは微笑む。私の感じる懐かしさと、彼の感じるそれが共有できていることに幸せを感じた。
「それにしても、山じゃなかったんですね今日は」
「ええ。デートと言われましたら、ここしか思い浮かびませんでしたので。それに、山もありますからね。今日はたくさん歩きましょう」
ああ、だから用意された服がスカートではなかったんだ、と合点がいく。「どこが気になりますか」と言われたので、まずはゴーストになってから近づくことすらなかった海に行きたいと伝え、砂浜へと向かった。ふと、今まで来た道を振り返るように見ると、おばけ山がぼんやりと見えている。学園は山の奥にあるために見えなかったが、それにしてもおばけ山の異様な存在感に視線が惹きつけられた。
「すごい存在感ですね」
「ええ、ここの人たちも随分あの山には親しみがあったようです。最近では出入りすることが少なくなってしまったようですが……」
「そうなんですか?」
「ええ、落雷事故が起きて住民が1人被害に遭われたようです」
「そんな事故が……」
話しているうちに海まで辿りついて、私たちは砂浜に腰かけた。昼下がりの海は穏やかで、水面が太陽の光を反射し光り輝いていた。さざ波の音が近づいては遠くなって、それを聞きながらジェイドさんのいた珊瑚の海はどこにあるのだろうとふと考える。ジェイドさんを見ると、海を眺める目は、山にいるときとは違った慣れ親しんだものを見るようだ。
「このように、砂浜から海を眺めるようになったのは、最近です」
「そうですよね。海の中にいたから……きっと、遠いですよね」
「ええ、ここから珊瑚の海は遠くて、より深い場所にあります。ですが、根気よく泳ぎ続ければ帰れるでしょうね」
「かなり苦労しますね」
「ええ、もちろんやる気は起きません」
自然と笑みがこぼれて、私たちは向き合ってクスクスと笑いあう。ジェイドさんの方を向くと、彼の髪の毛がやっぱり海の色みたいで綺麗だなあと見惚れて、手を伸ばしてみた。それに気づいたジェイドさんは、細めていた目を開けて、私の伸ばした手を握る。
「人に触れてみたい、というのは僕の髪のことですか?」
「あ、いえ……その」
ジェイドさんの手は大きくて、私の手はすっぽりと収まった。少し硬い掌の皮膚の感触と、暖かい体温が伝わってくる。
「おや、顔が赤い貴方を見るのは、新鮮ですね」
「こういうの、慣れてないですから……」
意地悪そうにジェイドさんが笑う。自分の好意が透けているのが恥ずかしくてたまらない。ジェイドさんは私の掌や指を確かめるようになぞりながら、言葉を続けた。
「驚きましたよ。貴方がこのような願いをされるなんて思わなかったので」
「な、なんだと思っていたんでしょう?」
「……度胸試しに来る学生をどうにかしてくれ、と言われるのかと」
「そんなの、私が脅かして追い出してやりますから間に合ってます」
「フフ、貴方は見た目よりもタフですからね」
「それ、褒めてるんですか!」
なぞられていた手がくすぐったかったこともあり、私はジェイドさんの手をぎゅっと握り返す。でもジェイドさんの手は大きすぎるから、実際には長い指の何本かを掴めたくらいだ。
「ええ、褒めてますよ。……しかし、相手が僕でよかったんですか」
「……ジェイドさんがよかったんです。今も、夢を見てるみたい」
「それはよかったです」
ジェイドさんは正面の水面を眺めながらそう呟いた。その横顔はいつ見たって綺麗だ。きっともうこうやって隣でお話したり、笑いあったりできないのだろう。これで最後だという実感がとうとう湧いてきて、一瞬一瞬を噛みしめるように過ごした。
気づけば、太陽が傾き始めていた。空に少しオレンジ色が混ざってきて、私のタイムリミットが近づいていることに気づく。
「そろそろ、帰らなければなりませんね」
「はい……」
私たちは手をつないだまま砂浜を後にして、残された時間を気にしつつ山に近づいた。レンガ造りの廃屋が見える。そこに近づくたびに、食べ物の匂いが鼻を刺激した。
「なんだか、すごくいい匂いがしませんか」
「潮の香りはしますが……」
「たぶん、食べ物の匂いだと思うんです」
「行ってみましょう」
ジェイドさんは匂いに気づいていない。でも、この家に近づくたびに匂いが近づいてくる。匂いがする廃屋へたどり着く。廃れきった外観からは、生活感なんて感じられない。家の前に建つと、私は迷わずに玄関の扉を開けた。……すると、中には灯りがともり、壁に掛けられた額縁や、海でとられた大きな貝が私を迎えた。奥からは温かいシチューの優しい匂いがして、聞き覚えのある声が響く。
――おかえりなまえ、今日は貴方の好きなシチューよ!貴方の採ってきたキノコもたくさん入っているからね――
懐かしい声が、私を呼んでいた。私は今すぐ、声のする家の中に飛び込みたくてたまらなくなる。頭の中で、たくさんの言葉が流れて溢れ出しそうになる。
……ずっとここへ帰りたかった。あの時はいつもの山じゃなくて、眺めているばかりのあの大きな山でたくさんキノコとか、山菜とか持って帰って驚かしたいって思ってた。……内緒にしていてごめんなさい。ずっと独りぼっちで寂しくて、たまらなかった。
「……ここで、合っていますか」
ジェイドさんが背後から、まるでもうわかっていたかのように私に問いかけた。私はジェイドさんの手を強く握り返して答える。
「はい。ここです。……ありがとうございます」
振り返って、ジェイドさんに微笑んで見せると、彼も優しい目をして笑っていた。握り返した手を見ると、少しずつ色が失われていき、感覚もなくなっていく。身体が大気に溶けていっているようだった。これがきっとジェイドさんとのお別れだ。私は手を放して、ジェイドさんに背を向け、灯りのついた家の中へ歩みを進める。
「ただいま……」
明るくて、暖かい空気に包み込まれるように、私は身体ごと溶けていった。
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