ある日の夕方


「今日も手伝っていただき、ありがとうございます」
「いえ、先輩のお役に立てて嬉しいです」
「本当ですか。それはもっとたくさん仕事をお願いしたくなってしまいますね」
「なんだって、いいですよ」

 今日は、放課後に教室を借りて、次回寮生たちに配るモストロ・ラウンジ新企画のレジュメをまとめる作業を手伝う。机の上にページごとに並べられたA4用紙を、順番にまとめなおして束ねていく。スマホも普及している高校生でありながら、書類が好きという結構アナログなところがあるのは、寮長であるアズール先輩の書類好きからくるのだろうか。毎回書類を束ねながら疑問に思う。

「今日は数が多いですから、適度に休憩をとってくださいね」
「ありがとうございます」

 ジェイド先輩の私を気遣う穏やかな声が、私の心を弾ませる。先輩の私を気遣う優しい笑顔や、柔らかく体の奥に響いてくる声、それを私が独り占めしているというのがたまらない。
 適度な沈黙と、適度な会話。2人きりの時間は居心地がよかった。あまりにも静かだと何か話さないといけないと思ってしまうけれど、ジェイド先輩は私を気遣うようによいタイミングで話しかけてくれる。同じクラスの生徒たちより受け答えしやすくて、近くも遠くもない距離感の会話が安心するし、それがたまにむず痒くもなる。私はもっと先輩のことを知っていきたい。けれど私のことを知ってほしいかと問われると、肯定的には思えず先輩からの質問を受け流すことが多かった。

「学園生活には慣れましたか?」
「はい。ジェイド先輩や、アズール先輩、フロイド先輩のおかげです」
「そうですか。アズールが心配していました。貴方にお友達ができるのかと」
「……勉強とか、お仕事とか、ジェイド先輩のお手伝いが楽しくて」
「それも嬉しいですが……」

 ジェイド先輩が言葉を濁らせるのがあからさまに強くて、私は不安に駆られた。

「あ、迷惑、でしたか?」
「いえ。嬉しいのは本当です。しかし、貴方が遠慮されているのではないかと思いまして」
「それはないです! まあ、お世話になっている分お返ししたいとはいつも思っていますけど……本当にしたくてしていることです」
「それなら、いいんですが」

 ジェイド先輩の近くにいたい。その想いを隠して、手伝いという名目で近づいていた。私の働きは本当に雑用程度ではあったが、ジェイド先輩の手助けを少しでもできているという達成感と、先輩と共に時間を過ごせるというささやかな幸せがある。それさえあればなんとかやっていける気がする。

 お友達、とかそういうのは諦めていた。入学の式典にも顔を出さず、男子校にしれっと紛れ込んだたった1人の女子生徒。それだけで目立ったり特別視されたりするのがいやで、他生徒とのやりとりはラウンジのバイトでの接客や、寮生との業務連絡程度だった。部活動も特に所属することは無く、勉学とアルバイトに専念していれば人間関係で大きな問題が起こることもないし、両親も安心するだろう。本当はジェイド先輩が主催する「山を愛する会」も気になってはいたが、母親から変な名前のところには所属するなと釘を刺されていたため断念した。深入りしない浅い付き合いと優秀な成績、私は結果さえ残していれば、両親の望みにも答えられる。それに私もここに来てよかったと、ちゃんと思えるかもしれない。


「先日の試験では、どの教科が一番よかったんですか」
「……実践魔法です」
「それはすごい。入学したてで実力があるなんて」

 「誇りに思います」と、驚いて感心するジェイド先輩の反応、答えづらい。

「いえ、そんなことはないですから……」
「貴方の素晴らしい能力の1つです。そんな後輩を持ち、僕も鼻が高くなります」

 私は笑って見せた。魔法について褒められるのは好きではない。親譲りの能力をいかして生きてきたけれど、私はそれだけで評価されたいわけではなかった。だからこうやって先輩と一緒にいたら、私も先輩から働きを認めてもらえるかもしれない。魔法を使わない自らの手によって、それを手に入れることができたら……。


 空き教室の窓から差し込んでくる夕陽が、窓際で作業をするジェイド先輩の横顔を照らす。左耳に着けた大きめのピアスがオレンジに照らされている。そのピアスが細かく揺れるたびにきらきらと光るので目を離せずにいると、気づかれたのか、先輩がこちらを向いて目が合った。左右で異なる色の瞳に見つめられ、心臓が跳ねた。咄嗟に視線を逸らす。

「フフ……」
「すみません」
「そうやってじっと見つめられてしまうと、困ってしまいます。僕の顔に何かついていましたか?」
「い、いえ……何も」
「そうですか」

 次の言葉が見つからなくなって、私は作業に集中しようとする。窓際からクツクツと喉から漏れ出たような笑い声が聞こえ、私の顔は熱くなった。紙を順番にまとめて、整えて、ホッチキスで止めて、できたら段ボールに入れて……それを繰り返す。机に並んだ紙も残り数枚になったころだった。


「なまえさん。僕の悩みを聞いていただけませんか」
「は、はい……?」

 まさかジェイド先輩から悩み相談されるなんて、思ってもいなかった。入学してまだ季節も変わっていない短期間で、そこまで信用してもらえた? どう反応していいかわからず、窓際で作業をする先輩を見る。

「僕、とても好奇心旺盛なので、どうしても気になることがあるんです」
「なんでしょうか……?」

 先輩は薄く開いた口から鋭い歯を覗かせた。先輩の口ぶりは非常に落ち着いているのに、今日はなんだか怖いと感じる。上下に生えそろった鋭い歯がゆっくりと開いていく。

「貴方は、何か大きな問題を抱えてはいませんか?」
「大きな、問題?」
「そう。例えば……」


「……貴方の持つ”力”について」

「ぁ……」

 ふいに心臓を掴まれたような気がして、思わず喉から息交じりの声が漏れた。

「僕は貴方のお困りごとを解決してあげたい。力になって差し上げたいのです。それが、僕の悩みです」

 そういうと先輩は私のもとへ少しずつ歩を進めた。コツ、コツという革靴の音が空き教室にいやに反響する。いつもと違う穏やかではない雰囲気。一層明度を増した夕陽が私たちを照らすも、背を向けているジェイド先輩だけ黒く浮き上がって見えた。やけに光って見える先輩の左目が恐ろしくて、目をそらそうとしたとき。

「僕の目を見て。目をそらさないで」

 先輩の手が私の顎に添えられ、そのまま視線が外せなくなる。薄ら笑いを浮かべた先輩の瞳は冷たかった。鼓動が警鐘を鳴らすように響いて呼吸が上がる。それでも先輩の手を払えずにいると、先輩が何かを呟くのが聞こえた。その音は鼓膜を揺さぶり、頭の中を鈍くさせる。ぼんやりとした私の意識は、先輩の左目に吸い込まれていくようだった。

「貴方のユニーク魔法とは、どのようなものなのか教えてください」

 言っちゃだめ。
そう思っているのに、私の意図に反して口が開いていく……。



 バサッと抱えていた段ボールが落ちた音で我に返り、呼吸が止まっていたことに気づく。必死に酸素を取り入れようと、私は口を大きく開けて呼吸した。教室内には私のひゅー、ひゅーという呼吸音が響いている。
 私、いま何を? 今目の前の先輩に魔法をかけられて……詠唱してしまった?慌ててジェイド先輩の顔を確認した。先輩は目を丸くして、私を見つめていた。


「なまえさん? 大丈夫ですか?」

 私は、目を丸くしたまま問いかけてくるジェイド先輩の横から飛び出して、そのまま教室を走り去った。もう、学園生活も終わりだ。一番に信頼していた人に自分の魔法をかけてしまったという信じがたい事実と、なぜこうなってしまったのか理解できない疑問が私の肺の中に黒い煙となって渦巻いているようだった。それを懸命に吐き出して、熱くこみ上げてくる涙や鼻水を必死におさえつつ自分の部屋に駆け込んだ。

 部屋に駆け込むと鍵を閉め、即座にベッドへ飛びこんだ。ベッドはギシ、と一度大きくバネを軋ませて私の身体を受け止めた。そのまま私はうつ伏せで、おさえていた涙を解放する。嗚咽を漏らしながら私は号泣した。しかし自分の泣き声では誤魔化しきれないほど、過去の記憶は私の頭の中で鳴りやまない。

――あり得ない。
――男たらし。
――魔法を使って人の心を手に入れるなんて。
――卑怯者。

 ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません。もう使いません。許してください。


-2-


 

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