10: blessing in disguise




「え、同い年?」
「嘘じゃろ」

連れ立ってぶらぶらとまちを歩きながら、何となくそういう会話の流れになったのだ。
思わぬところで互いが同じ年だと知って驚愕する。同い年。その割には、

(幼いっちゅうか)
(十は年上に見える……)

感じ方はまちまちである。


志麻が姉のようだと笑い、辺見が「会ってみれば分かる」と評した女。
屋敷での様子から、別府は如月さつきという女をそれほど悪い人間だとは感じなかった。
正義感はある、そこそこ親切でもある。
しかし志麻の話と別府が実見した事を合わせて思えば、さつきは妙にちぐはぐな女だった。
年相応の大人のようで、しかし子供でも知っている一般常識が欠落している。おかしな話だ。

一言で言えば奇異で、奇妙だった。
悪い人間ではない。確かにそうだろう。
しかしさつきの持つ奇妙さの為に従兄に何かしらの不都合が生じるというのなら話は別だ。
だがこの奇異な存在が従兄に害をなすものでないのかどうか、それは別府にも即断できなかった。
痛いところだ。それゆえ今はさつきへの警戒心を完全に捨て去る事はできない。
そんな事を思いながら、あちらこちらの店を覗き歩くさつきの隣で別府もゆるゆると歩を運ぶ。


買物へという事だった為別府としては代わりの反物を買う心積りでいたのだが、それは「反物もらっても縫えない」とやんわり断られた。
それならばと女が好みそうな物をふたつみっつと勧めたのだがそれも全て断られ、最終的にさつきから「コレ」と差し出されたものを見て別府は無言になった。
板紅だ。ふたつ。しかもこんな小さなもので着物の代わりになるとは思えない。
別府の無言をどう捉えたのかさつきが言葉を付け足した。

「幸吉くんと志麻ちゃんの」
だからふたつ。
「幸吉?……こいは紅差しじゃぞ」
「紅差し?これ口紅なの?そうなんだ……でもこれがいい。この入れ物がいいの」
入れ物がいい?それをどうするつもりなのか別府には想像がつかない。
しかしそれよりも、
「汝のは」
「私は今から別府さんにご馳走になるのでいいんです。葛切りでいいですよ。なんならみたらし団子も付けて下さい」
「……はは」
苦笑い。



入った茶店で注文した品を待つ間、さつきは先程の板紅に自分のハンドクリームを詰めた。
物珍しそうに手元を覗き込んでくる別府の様子に、小さく笑いが洩れる。
「ハンドクリーム」
「はんど……?」
「別府さん、手貸して」
ハンドクリームの説明をしながら、差し出された手の甲にクリームを付け両手で揉み込むように塗り広げる。
「……傷だらけ」
「ん?」
「剣ダコと潰れた肉刺のあと。桐野さんも凄かったけど」
同じ傷でも従兄とはその重みが違うだろう。別府がそう言うと、
「そうなの?でも私にとっては頑張る人の手だなあ」

桐野にしても辺見にしても篠原にしても、手は一様に傷だらけだった。
もっと他になすべき事があるのだと、しなければならない事があるのだと主張しているような手であったが、彼らはその手でさつきを守ろうとしてくれている。別府も同じで幸吉や志麻をその手で守ろうとしている。
ここでは男が弱い者や女を守るという事が自然に行われているように思え、今はそのベクトルが自分にも向けられているという自覚があるさつきは、それにこそばゆい恥ずかしさを感じてしまう。

(頑張る人の手というより、男の人の手っていう感じ)

そう思わずにはいられない。
別府は年相応だと思う事はあれど、全体的に同い年とは思えない落ち着いた男の雰囲気があるし、辺見は子供っぽいところがあっても、年下とは思えない程頼り甲斐がある様に思える。桐野については言わずもがなだ。
この人たちは、そこに辿り着くまでにどれほどの苦労を重ねてきたんだろう。
その積み重ねが手に出ている気がする。

「うん。『男』の手だ……」

別府の手を見つめながらそう零すとスッと引き抜かれる。
少し図々しすぎたかと目の前の男を見やると、すいっと顔を逸らされてしまった。

(て、照れてるー!)

笑い出しそうになったのを無理やり飲み込み、誤魔化すようにしてさつきは言葉を繋げた。
「これ、別府さんから渡してあげて下さい。その方がふたりはきっと喜ぶから」
ふたつの板紅を前に別府が物言いたげに口を開いたが、
「幸吉くんにお礼をしないと」
そう言われてしまうと別府もそれ以上は何も言えないようだった。


やって来た甘味に手を伸ばしぽつぽつ話をしていたが、店が混んできたのを見計らって席を立つ。
(ん?)
勘定を済ませている別府の袖をツイと引き、ちらっと視線を流すと別府もさつきの視線の先を追った。

「ね、あれ桐野さんじゃないかなあ」
あにょじゃな」
「もしかしてデート中?すっごい美人ー。さすがレベル高いわ……」

向こうはこちらに気がついていないようで、ふたりで和やかに話している様子が筒抜けだ。見る限り幸吉もいない。
「いい雰囲気じゃん。……って別府さん、何その顔」
「………………」
はああああと長い溜息を落とした別府にさつきは苦笑いしてしまった。
苦虫を噛み潰したような別府の表情の理由が、おおよそ分かってしまったから。
「次から次へと苦労が絶えませんな別府殿」
「……そいは汝にゃ言われたくナカ」
ぷっと吹き出したさつきを横目に、別府はさっさと店を出てしまった。

さつきは別府が自分に対する警戒を完全には拭い去っていないのを肌で感じていたが、それでも別府が結構普通に接してくれる事が嬉しかった。
初対面はお互い最悪であった筈なのに、それが却って良かったのかもしれない。
さつきはそう思う。
幸吉や志麻の話を通し少しさつきの事を理解してくれたのか、別府の態度はやや砕けてきているし、それに合わせてこちらも少し言葉が砕けてきている。
今だって「別府さん」と呼びかけると返事をして、ちゃんと顔を見てくれる。

「別府さん、私本当に幸吉くんと志麻ちゃんに酷い事なんてしない。桐野さんにも。それだけは信じて」
突然だったから何を言うのかと言いたげに少しキョトンとしてさつきを見ていたが、
「……変な女」
それだけ言うと別府はさつきを前にして初めて普通に笑った。


歩いている内に屋敷が見え、門を潜って玄関に入ると幸吉と志麻が迎えに出て来る。
別府は彼らと一言二言交した後笑いながら板紅を渡し、さつきはその仲の良さにほっこりしながら邪魔しないようにとそっと奥へと入ったのだった。が。

「おい」

呼び止められて振り向く。
どうしたのかなと小首を傾げるさつきを余所に、別府は無言で手を差し出しさつきの掌中にあるものを落した。
桜をあしらった黒い螺鈿細工の板紅。
それはさつきが幸吉と志麻の為に選んだものとはまた違うデザインで。
いつの間に。というか、良かったのに……
そう言いかけてさつきは口を噤んだ。そうじゃないだろう。こういう時は……

「ありがとう、大切にします」
「ああ」

こういう事に慣れていないのか桐野ほどスマートではないのか、別府は目は合わせてくれなかったのだけれど。

「……頼む」
「え?」

突然の一言に「何を?」と問い返そうとして――、見上げた男が真剣な顔であったので、さつきは思わずひとつ頷いてしまった。

「俺は汝を悪い奴じゃとは思わん。じゃっどんまだ全面的に信用しちょる訳でんナカ」
「うん」
分かる。別府はただ慎重で、心配なだけだ。
「じゃがな、ここで何かあったら」
「あなたに知らせたらいい?」
「ああ。そいでな、汝も何か困った事があれば言うてこい」
「………………」
「何じゃ」
「ね、別府さん。私たちきっといい友達になれるよ」
「……調子に乗るな」
「あはは」

さつきの腕を軽く小突いて奥へと足を進めた別府の後ろ姿を(本当に仲良くなれると思うんだけど)なんて思いながら見送った。

しかし彼は何故いきなり「頼む」等と言ったのか。
その心が奈辺にあったのか、ヒントは幾つか転がっていたのだけれど、今のさつきには分からなかった。





知らぬ間にさつきが別府とも仲良く(?)なっていた事を知った辺見の様子に、河野主一郎は笑った。

「いや辺見さんそれは不可抗力って言うか。そんな事言われても……ねえ……?河野さんこの子どうすればいい?」
「こ の 子!!」

拗ねている。辺見が甚く拗ねている。
こんな大男を捕まえてこの子はさすがにないかと思っていると、河野が更に爆笑した。同席する桐野と別府も声を殺して笑っている。
河野が言うには篠原の時もそうだったらしい。
篠原の隣で顔を合わせた時、辺見は微妙な表情をしていたけれど、あれはそういう事だったのか。
面白くないなと思う位には、気に入ってくれているらしい。

聞けば辺見はそれなりの立場で多くの部下がいるというのだから、こんな姿を見せるのは本当に気の置けない人間の前だけなのだろう。
それはそれで微笑ましいのだが、だからと言って大男が目の前で拗ねているこの状況、どうしろというのだ。
苦笑いして視線を向けたさつきに、河野が柔らかく笑い返した。
「放っておけ」
河野と辺見は幼馴染だそうで、それだけに容赦がない。

「うん。でも……」
辺見はさつきの交流が自分が知らない所で広がるのが少し妬けるくらいには、さつきの事を気に入ってくれているらしい。どうしろとと思うけれども、それがちょっと嬉しいのも本当で。
拗ねた恩人の機嫌取りくらい、しても罰は当たらないと思う。

「ね、辺見さん。これから一週間お酒のおつまみ作るよ。それで機嫌直して?」

ね?とちょっとかわいく見えるかなという角度で上目遣い、首を軽く傾げて両手を合わせてお願いしてみる。
他の三人が苦笑いでこちらを見ているけれど、さつきだって内心大苦笑だ。キャラが違い過ぎる。
辺見だってまさかこんな古からの見え透いた手ひとつで頷かないだろう。
さつきも、その場にいた男たちもそう思ったのだが。

「……分かった」

「え、チョロ過ぎない……?」

ぼそっと吐いた一言に、辺見以外の三人が爆笑した。
いや、それでいいと言ってくれたのはいいのだけれど、悪い女に騙されないかちょっと心配になってしまう。




それからというもの河野も辺見を訪れるようになり、それに伴い見知らぬ近衛士官もちょこちょこ顔を出すようになった。
気にしてくれているのか、偶に篠原国幹も水果等の土産を持って様子を見に来る。
自然志麻や幸吉の仕事が増えたが、さつきはそれを手伝ったり、呼ばれて士官らに交じって酒を飲んだり。
簡単なものであればほつれた軍服の裾を縫ったり、ボタンを付け直してやったりもした。
気を遣ってもらわないとさつきには彼らのお国言葉は全然分からなかったが、そこは辺見や別府など気が付いた人間がフォローしてくれる。
訛りの特徴なのか、彼らが桐野を呼ぶと決まって「きぃの」と聞こえ、さつきもふざけて「きぃのさん」と呼んだのを切欠に、桐野の呼び方が「きぃさん」に変わった。

「幸吉さん、私最近さつきさんが本当にお姉ちゃんみたいに思えてきたんだけど」
「志麻さんも?」
「うん。一回間違えて呼んだ」

あははと笑う志麻に釣られて幸吉も笑う。

さつきは以前に増してよく笑うようになり、よく動くようになった。
楽になった事は嬉しいものの、志麻としては「お給金頂いてるのに」とちょっと困ってしまう所もあったのだが、
「その辺りはちゃんときぃさんにも伝えてあるから心配しないで大丈夫だよ」
こういう所はさすがに大人だ。

さつきは幸吉や志麻から教わる事が多かったし、逆にふたりがさつきから教わる事も多かった。
三人集まってやいのやいの言いながら用事を済ませる様子も珍しくなくなり、桐野邸にさつきも違和感なく溶け込んできて、こういう賑やかな日が続くのだろうと思っていた矢先だった。
ある客人がやって来たのは。



a blessing in disguise:塞翁が馬でした
紅板はリップパレットです。110410110131

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