「お客さん?」
玄関先で見慣れぬ女物の履物を整理していた志麻に尋ねると彼女は少し困った風に微笑した。
「違うの?」
「普通のお客さんだったらいいんですけど……」
ああ、あれか。
何かを含んだ志麻の口振りにピンときた。
「志麻ちゃん、困った事があったら何でも言ってね。頼りないかもしれないけど」
言うや、ぱあっと志麻に笑顔が戻る。
(うん。やっぱりこの子はかわいい)
釣られて笑顔になり志麻の頭を撫でると「もう!子供じゃないんですから」なんてぷりぷり怒るものだから、益々かわいく思ってさつきは声を上げて笑った。
「うーん、挨拶とか……顔出さない方が良いよね」
幸いな事にさつきは自分の履物を裏口に置いている。出入りは常に裏からだ。
こちらからアピールしない限り客人はさつきの存在に気付く事はないだろうし、さつきだって顔を出す事で起こるかもしれない面倒事に巻き込まれたくはない。
無難な選択だろう。
しかしそう思う間にも客人は帰ったようで、相手をしていた志麻もすぐに戻って来、さつきの心配は全くの杞憂に終わったのだった。
彼女の滞在時間はごく僅か。
「何しに来たのあの人?てゆーか今日平日だし、この時間にきぃさんいないの知ってて来てるよね?」
今はまだ日中。桐野は陸軍裁判所にいる時間だ。
「そうですよねぇ」
志麻も首を傾げた。
しかしその行動はその日に止まらず、その女性は間を空けず桐野邸を訪問するようになったのだった。
志麻に出されたお茶を飲んで、偶に住み込みの書生と言葉を交わして、桐野が帰って来る前に帰る。
(よく分からない……)
しかもいつ来るか分からないから、さつきだって不用意に屋敷内をうろつけない。
正直うざい。と言うより、
(めんどくさっ!)
「はい?」
「あーいやいや。違うの独り言」
リズムよく斧を振り下ろして薪を割る幸吉の隣でさつきは苦笑いした。
ひとつふたつと割れたそれを腕に抱えて立ち上がる。
「んー……いつまで通うのかな、あの人って思って」
「ほんまにね。かなんわぁ……先生がおらん時に来て帰るんやろ?家の中の様子見てって……なんや白波物かいな」
白波物?と復唱したさつきに、
「盗賊の話でっせ」
「あ、泥棒の事……」
さすがにそれはないだろう。
「先生が何も言いはらへんのやったら、私はそれでええんやけど」
けど。
微妙な含みを残す答えにやはり不安と言うか、彼女の行動を不審に思う心が拭い去れない様子が現れている。
「大丈夫だよ、幸吉くん」
「え?」
「だってきぃさんがいるじゃん」
「……そーですよね」
さつきが笑うと幸吉も笑った。
しかし、あの人いつまで通うんだろうというやきもきした思いは余所に、現状は幸か不幸か突然打ち切られる事になったのだった。
自室で机に向かい、さつきはペラペラと本のページをめくる。
長い時間同じ姿勢でいたのに倦んでぐーっと腕を天に伸ばすや、廊下から志麻の声とぱたぱたと聞き慣れない足音が耳に飛び込んで来た。
志麻の声が焦っていたから何かあったのかと立ち上がろうとした時、
「ここ!この部屋がいいわ!」
「ああっもう!ここはダメです!ちょっと!!」
いきなりスパーンと襖が開いた。
「……………………」
「……………………」
ばちっと目が合う。
向こうは思わず黙ってしまったようだが、こちらだってびっくりとしか形容のしようがない。
思わず凝視してしまったのは、この女性をさつきが知っていたからだ。
あの時、別府と見た美人だ。桐野と一緒にいる所を見かけた、あの。
「…………どういったご用件でしょうか」
声を掛けると美人ははっとして、上から下まで舐めるようにしてさつきを見た後にっこりと笑った。
「あなたこの部屋空けて下さる?今日から私がここを使うわ」
……は?
釣られて浮かべた笑顔が引き攣った。一体どういう状況なのか教えて欲しい。
「私、今日からここに住むの」
何だこの女王様。というか今なんつった。
「……住む?」
無意識に零れた一言に美人の後ろにいる志麻の表情が僅かに歪んだのを見て、ハッとした。
「……じゃあ、準備しますから少し待ってもらえます?志麻ちゃん手伝ってもらっていい?」
「あ、はいっ」
反射的に返事をした少女の腕を取り部屋へ引き入れると、さつきは美人の目の前でたんっと襖を閉めた。
閉めた向こうから何か聞こえたがそれは後でも構わない。
とりあえずは、物凄く凹んでいる志麻だ。
「大丈夫?」
「……止めたのに止められなくて」
そして消え入りそうな声でごめんなさいと続く。
「なーに言ってるの!部屋変わるだけじゃない!大袈裟だなあ」
さつきは殊更に明るく言った。
「広過ぎるなって思ってたからちょうどいいよ。あ、今日から志麻ちゃんの部屋で寝ようかなあ私」
「えっ?」
「え?嫌?酷いなあ志麻ちゃん。傷付いた!ブロークンハートだわー」
「え?え?ぶろ……?」
さつきがへらへら笑っているから終いには志麻も笑い出した。
「そうそう。笑ってる方がいいよ。ホントにさ、部屋変わるくらい何ともないんだし」
「でも……」
やっぱり頭を撫でてしまう。
「それよりあの人どう?大丈夫そう?」
答えずにふるふると頭を左右する志麻によく分からないのだと察する。
あの時見た桐野との様子を思い出すに、それ程悪い雰囲気ではなかったし悪い印象を持たなかったのも確かだ。
ただ、ここ数日の突飛な行動を見て首を傾げてしまいたくはなるが。
というかあれはこの家の様子や雰囲気を見に来ていたのだろう。
(つーか別府あんにゃろ。こうなる事が分かってたのか)
苦笑いだ。確かに長嘆息したくなるのも分かる。
しかし恋愛は個人の自由だと思うし、桐野の恋人が誰であってもさつきは構わない。それに桐野のプライベートに口を挟む権利は誰にもないだろう。
ただ、桐野には同じ屋根の下に住んでいる人間の事も若干は気遣って欲しいとは、思うけれども。
(うーん……暫くは様子見かな)
だって今の状態で判断なんかできないから。
「さつき」
台所で膳の後片付けをしていたさつきに声を掛けたのはもうひとりの居候だった。
「どうしたの」
辺見がこんな所にまで顔を出すなんて珍しい。
「何じゃあれ」
夕食の際、いつもはさつきが座っている席に見知らぬ女がいたから辺見も驚いたのだろう。
桐野は眉を少し上げただけで何も発言しなかったので辺見も黙っていたが、あれではさつきが下座になってしまう。
「……おかしいじゃろう」
「いやいや。おかしくないって」
彼女が桐野の好い人というのなら、あの席に自分がいるのもちょっとどうかと思ってしまうのだし。
と言うかそもそもあの部屋で一緒に食事をするのもどうかと思う。
「あー……もしかして心配してくれてる?」
「…………」
「やっだー。辺見さんいいとこあるじゃん!ありがとう」
ばんっと近寄って来た辺見の背中を叩く。
「汝なそいでヨカな」
「いーのいーの」
さつきは明治六年にはいない筈で、その上何時いなくなるのか分からない存在だ。
さつきよりも元からここにいる人々の都合を優先するのは当然の事だと思う。
そりゃあむっとしない事はない。不快に感じない事はないのだが、しかし。
「本当にいいの」
もしさつきが意地を張ってあの美人と揉めたら、恐らく志麻と幸吉はさつきの味方をしてくれるだろう。
でも、そんな時にもしもさつきが姿を消すような事になったら……
桐野がいれば大丈夫だろうが、少しでも不安要素は減らしておきたいのも事実。
「ほんのこて大丈夫か?」
「ん、大丈夫」
少し考えて俯いた顔を覗き込んできた辺見にさつきは口角を上げた。
「あのさ、本当に平気。だから心配ご無用。それより辺見さん、あの人綺麗だからって手なんて出したら駄目だよ?」
「出すか」
「だってきれいじゃない、あの人。男の人好きでしょ。あんな感じの人」
そういうと辺見はニヤニヤしながら言った。
「嫉妬かさつき」
「ないわー」
「汝な……」
間髪いれず即答したさつきに辺見も苦笑いだ。
「ま、でもさ、本当に大丈夫だから。揉め事を起こさないように気を付けるからね」
真顔で返したさつきに苦笑いすると、「そいならよか」と辺見は話を打ち切った。
「お茶飲む?」
「ん。……出涸らしか」
「まあまあ、えへへ。あ、沢庵あるよ。ハイ」
差し出した皿の沢庵を一切れ摘まみ上げ、ぱりぱりと音を立てながら食べる辺見をじっと見つめる。
視線が煩かったのか、ちらりとこちらを見てきた辺見にさつきは小さく笑った。
「ねえ、薩摩隼人ってみんなそうなの?」
そう?と辺見が首を捻る。
「みんなさりげな〜く優しいよね」
篠原もそうだし、別府にしてもなんだかんだ言いつつ気を配ってくれる。桐野を訪ねて来る薩摩系の士官にしても一様に親切だ。
桐野の世話になっている事が大きいのだろうとは、思うのだけれども。
「何バ言うちょっか。女子供や弱いもんを守るんは当たり前じゃろうが」
「………………」
「何じゃ」
「男前で危うく惚れそうになった」
言うやニヤニヤし出す辺見に「あ、でも」とさつきは声を被せる。
「おかずがないと白米食べられないお子様はお断り!好き嫌いなくさないと大きくなった時困るよ十郎太くん!」
ぷぷっと口元を指で押さえて笑う女に辺見は黙って腕を回すと脇で頭を締め始めた。
「ちょっとちょっとヘッドロックはダメだって!ギブギブ!あははは!」
「は、はっははは!」
「な、何してるんですか?」
「お。志麻」
「好き嫌いする子は大人になれないって話ー」
「え?」
「さつき!」
「あははっ!志麻ちゃんもおいで。お茶しよ?」
「はーい」
「汝ら……志麻は大丈夫か?なんぞ困っちょる
「困っている事ですか……おかずがないとご飯を食べられない人がいる事ですかねぇ……」
「…………」
「……ぷ、ぷはっ……あーはっはっはっは!」
笑いながらばんばん背中を叩くさつきにされるがままになりながら、辺見はそっと志麻の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ、本当に」
「……ソーカ」
志麻が笑っているものだから、辺見も笑った。
(それにしても……)
ちらんと辺見は視線を背後に流す。
辺見の背中にぺったりへばり付くようにして笑い上戸になってしまったさつき。
「な、何してはりますのん……」
距離の近さにそろそろ困惑してきた時に、顔を出した幸吉に辺見は慌てて助けを求めたのだった。
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