12:girls talk




はふ、と知らず息が漏れた。
何となく気詰まりな気がして外に繋がる障子を開けると日の光と初夏の風が飛び込んでくる。
それが部屋の淀みと自分の中の小さな気鬱を一緒に吹き飛ばしてくれたような気がして、
「気持ちい〜……」
読んでいた本を手にしたまま、さつきは畳の上に寝転がった。


この部屋は前いた所よりも随分とこじんまりとしている。
しかし向こうよりこちらにいる方が落ち着くような気がするのは、現代にいた時の自分の家が1LDKだったからだ、きっと。
(前の部屋、高級旅館みたいだったもんな)
あそこは「私ここにいていいの?」とちょっと躊躇ってしまう程良い客間だった。
今更だけれど桐野が自分を良く扱ってくれているのがよく分かる。

「客間、ね」
そうひとりごちると、(お客さんかあ……)、さつきは桐野があの美人に自分を紹介してくれた時の事を思い出したのだった。
「俺の客人じゃ」
そう桐野は言ってくれた。
(お客さんなんて、そんな上等なものじゃないんだけどな)
良く言って居候、その実態は穀潰しだと思う。
ただ救われるのは桐野に頼って寄食しているのが自分だけではない事で、この屋敷には複数の書生がいた。
で、その書生たちが今は小さな気鬱の元だったりする。

客人扱いされている事、性別を考慮された事があるのだろう、さつきの部屋は書生たちの部屋からは随分離れた所にあった。
彼らとは辺見程親しくはなかったけれど、顔を合わせば挨拶もしたし軽い世話話だってした。
素性は聞かれてもさすがに話せなかったけれど。

さつきからすれば書生たちは”男”と言うより完全に”年下の男の子”で、そうであったから割と接しやすく、それなりに仲良くなったつもりでいたのだ。
それなのに。

(私がそう思ってただけなのかなー……おねーさんは寂しいぞー)
ふう、とやっぱり息が漏れる。ここ数日で彼らの態度は急によそよそしくなってしまった。
その原因は大体見当がついていて、
(雪緒さんが来てからよねえ)
あの美人 ―― 雪緒がここに来てからだ。



雪緒は割と大きな商家の一人娘で年は二十歳を出たばかりらしい。
若い。
確かに若いのだけれど十代後半で結婚するのがこの時代の普通だと聞けばちょっと首を傾げてしまうし、そんな家なら幾つであっても大事な娘だろうに、男ばかりの家に住み込むのを許す親もどうなんだろうとさつきは思ってしまう。
(でもなあ……)

さつきの感覚からすると二十歳は大人で、もう「人に迷惑をかけないのなら自己責任でお好きにどうぞ」の世界だと思う。
ここは大人になる年齢が低いけれども、そういった点は現代と違いがあるのだろうか。
それに男ならまだしも女、それも現代風に言えば大きな企業の社長の娘の場合はどうなんだろう……
(『嫁入り前の娘が』的なものはないのかしら)
近代は貞操観念に厳しそうなイメージがあるのだけれど。

(でも明治六年ならまだ江戸時代の延長みたいなものなのかな)
現に屋敷の内も外もさつきがイメージする近代とはほど遠くて、幾つかの例外を除けばほぼテレビで見る時代劇の世界だった。
目に見える所さえそうなのだ。
ましてや長い間続いてきた習俗習慣や考え方なんて五、六年では中々切り変わらないだろう。
それに江戸時代は性におおらかだったと聞いた事があったから、そういう事もあるのかな、なんて思いもしたのだけれど。

(――ま、そういうのはどうでもいいんだけどさ)

さつきがどう思おうと結局は雪緒とその家族の問題だし。
周りの人間も何も言わないし、桐野も何も言わないし。
たださつきにとって問題なのは、向こうが明らかにこちらを良く思っていない事で。

気持ちは分からないでもないのだ。
雪緒からすればこの屋敷で紅一点になる筈だったのだろう。お女中さんたちを除けば。
わざわざ日数をかけ屋敷に通ってまで調べたのに、まさか桐野の”対象”になりそうな女がいるとは思わなかったに違いない。
(あの子、書生ちゃんたちにどういう聞き方したんだろう)
寧ろ彼らの内誰ひとりとして彼女にさつきの存在を知らせていなかったのが不思議な位だ。
本当に一体どんな聞き方をしたのだか。

何と言うか、酷く間が抜けている。
彼女にとっては女の存在の確認は一番肝心な所だろうに。
思わず苦笑いし、さつきを「客人」と桐野が言い放った時雪緒の顔が小さく歪んだのを思い出して、更に苦笑した。
客人。
確かに微妙な響きだと思う。
事情を知らない人間からすれば、さつきはきっと”桐野の女”に見えるだろうから。
「きぃさんの女、ねえ……」
それはそれで光栄な気もするけれど本当に違うし、雪緒が面白くないと思うのも分かるのだけれど。


「分かるんだけどー雪緒さん八つ当たりは止めて欲しー……」
「……ごめんなさい……」

突然の声にさつきは「うわっ」と声を上げて飛び起きてしまった。
「(び、びっくりした……)どうして志麻ちゃんが謝るの」
「いつもなら私の所に来るんです、ああいうの」

……ああいうの。ああいう。ああいう、嫌がらせ……
嫌がらせ。

雪緒は書生たちにさつきに不利益になる事、要するに悪口を、話の合間合間に吹き込んでいる。……多分。
それが書生の微妙なよそよそしさとなって現れていると、さつきはそう見ている。
とは言え、今はまだ彼らの雰囲気がほんのちょっと変わっただけなのだ。
それなのに志麻はさつきを取り巻く空気が少し変わりつつある事にもう気が付いていた。
(この子、敏い)
そう思うや、ふっと先日の別府の言葉が頭に浮かんだ。

――幸吉や志麻を気に入らんちゅうて手を上げる奴もおった

(………………) 
この手の空気を察する敏感さ、それは志麻が今までこの屋敷で似たような目に遭ってきたというのもあるのだろう。
しかし、いきなり核心を突かれて驚きはしたものの、困った顔で項垂れる志麻を見て、さつきは少なからずホッとしたのだ。
矛先は自分に向いていて、ターゲットは志麻じゃない。
それだけでも随分救われる気がした。



「こっちに座らない?」
柔らかい声音で休憩しに戻ってきたのかと問いかけると、志麻は頷きながら腰を落ち着けた。
「この前篠原さんに頂いたの。一緒に食べよ。種類があるけど、どれにする?」
言うや抽斗から取り出した袋を志麻の前で広げた。

「え?」
「榮太郎の飴。飴だよ?ほんと篠原さん、私の事幾つだと思ってるのかな」
「………………」
「でもおいしいんだよね。悔しいけど」

ふふっと笑顔を見せた志麻にさつきも口角を上げる。
そしてニ、三個自分の分を取ると、後は袋に戻して志麻に握らせたのだった。

「これ幸吉くんと分けてね」
「え、でも……」
「いーの。ほら、遠慮しない!」
押し切られて礼を口にした少女に話しかける。

「私さ、志麻ちゃんと同じ部屋になれて嬉しいの。もっと早くに移ってきたら良かったよ〜」

雪緒と入れ替わりに客間を出たさつきは志麻の部屋の隣に移っていた。
元々別室だった小部屋、壁ではなく襖で仕切られていたのを幸いとしてそれを取り払った。
さつきには志麻に教えてもらいたい事や聞きたい事が沢山あったし、志麻は志麻で居住区の違いから深い話ができる女中がいない為、話相手ができた事を喜んでいて、「利害一致」なんて笑いあったのだけれど、その志麻の顔には少し影があった事をさつきは知っている。

(本当にいい子)
優しい子だ。
上等の客間から遥かに格の下がる部屋に移るさつきの立場を、彼女は案じている。
桐野や彼に近い人間はとにかく、彼らほどさつきと接触のない書生や女中がそれをどう思うのか。その態度がどう変わるのか……
恐らく屋敷の主の見えない所での対応や待遇が悪くなる。それを。

でも、
(悪くなるって言ってもそもそもスタートから恵まれ過ぎだったし)

さつきには今までが過分に良く扱われていたという意識があるから、部屋を変わる事についてなんて悪く取りようがなかった。
確かに追い出されたような形で部屋を出たけれど、寧ろ適正な扱いを受けるいい切欠になったかも、とまで思うし……
自分のこの時代とこの屋敷での立ち位置を思うと、それはそれでいいんじゃない?と思うのだ。
それは辺見に話した時と変わらない。

「それにね志麻ちゃん、雪緒さんはきぃさんとお付き合いしているんでしょう?」
「……はい」
もしかしたら桐野の奥さんになる人かもしれない。
「なら尚更向こうを立てないと。それに恋人の家に女がいたら誰だって面白くないよ」
だから気にしないでね。
小さく笑ってそう付け加えると、「でも」、志麻は不満そうな声を上げた。

「あと雪緒さんの前で私を庇うような事するのもダメ。これが一番大事かな……あ〜……そんな顔しないで志麻ちゃん」
下手に庇うと志麻が巻き込まれてしまうから。……とまでは言わなかったけれど。それに、
「私もこういうの初めてじゃないんだよねー」
「さつきさんも?」

今まで学校や職場で少なからずあった。
自分だけに限らず誰だって多かれ少なかれ経験はあるだろうとさつきは思う。
特に職場での女同士のいびりは子供かと叫びたくなるほど下らないものばかりだったけれど、あれは地味に効く。
ひとりひとり話してみたら大して悪い人ではなさそうなのに、集団になるとどうしてあんな事になるのだろう。
集団ではなくても、悪意をもってしか接して来ない人もいたし……
(自分がされて嫌な事は人にしたらだめって子供の頃に習わなかったのかって思うよ……)

「うん。だから大丈夫だからさ。でもあんまり大変だったら泣きつくからね!それまで待ってて!」

さつきの言い草に釣られて志麻が笑った。
「ならこれからさつきさんの愚痴を聞く事にします。同じ部屋ですもんね」
「そうしてそうして〜」
この部屋に移ってきて本当に良かった。
そう思うと同時に絶対にこの子を巻き込んでなるものかともさつきは思ったのだった。
別府とのやり取りの事もあるし。

(でもビミョーに抜けてるんだよね、雪緒さん)

いきなり家に乗り込むのではなく、様子を見てから行動に出たのは中々いい作戦だと思う。
主のいない時に家に乗り込んでくるのは、さすがにどうかと思うけど。加えて屋敷に来てから先はやり方がまず過ぎる。

「射る所が違う」

大きな独り言にえ?と首を傾げた志麻をさつきは見つめた。
そうだ。
将を射んとすればまず馬を射よ、桐野を射たいならまず従弟の別府、従僕の幸吉、親しい後輩の辺見。
そして女中で一番桐野に近い所にいる志麻だろう。
なのになんで書生なんだと思う。

(ホント、射るとこ間違ってる)

間違うどころか目の前にいる志麻は雪緒に軽い反感を持ち始めているし、幸吉にしても辺見にしても既に彼女にはあまり良い印象を持ってはいない雰囲気だ。

それに浅はかだと思う。
(私が本当にきぃさんの女だったらどうするのよ)
「屋敷にいる女」という時点で、さつきが桐野の中で高いポジションにいる可能性がある事を彼女は思わなかったのだろうか。
もちろん実際には違うけれど、もしさつきが本当に桐野の恋人だったら雪緒たちの行動はやっぱり問題だろう。
それに……
雪緒にしても、彼女が桐野にとって特別ならばとっくの昔にこの屋敷に呼ばれていたのではないか、なーんても思う訳で。
(まあ推測だけどさ)

問題は桐野がこれから雪緒をどう扱うのかだけれど、

「御前はあの通りの方ですし」

女中としては最古参の志麻に苦笑いと共にそう言われて、妙に納得してしまった。
今までこの屋敷にまで来た女性は、淡泊にしか扱われていなかったのだろう。
好きで攫って来たとかならまだしも、押しかけ女房なら扱いは今のさつきときっと似たようなもので、書生や客人と同レベル、酷ければその末席だろう。
「彼女よ」という顔で(多分)張り切って屋敷まで来たのに……
(女からすればそりゃ腹も立つっつーか)
屋敷での自分の位置を計り兼ねてしまう。

そこまで思いを巡らせると、
(……あ?あー……そうか)
何となく分かったような気がした。
歴代の彼女さん?たちが志麻に辛く当たったのは嫉妬よりも焦りからだ。多分。

「でも墓穴じゃん……」
「は?」
「あーうん。それ相応に扱われたいんなら相応の振る舞いがいるなって思っただけ」
「?」

桐野がかわいがっている志麻にきつくあたってどうする。

例えば桐野が本丸なら別府は出城、辺見や幸吉は石垣とか、そんなところだろう。
本丸に攻め入るならその周りからというのが常套以前の常識だと思う。
いやらしい言い方だが、別府や辺見、幸吉や志麻を自分の側に取り込んでおくのは重要だし、彼らから良く思われておくというのは桐野の側にいたいのなら必須事項だ。

「……私が雪緒さんだったら、まず志麻ちゃんや幸吉くんに親切にして好印象を植え付けるな〜」
それで桐野に「良い人よ」って報告してもらえる方向に持っていく。

そう口にすると、ぽかんとした表情になった志麻にさつきは笑った。
「あら、意外?私だってそれ位の計算はするよ。志麻ちゃんと仲良くしてるのももしかしたらその為かもよ〜?」
「あは、あはは」
声を上げて笑い出した志麻に、いやいや笑うけどね、とさつきが突っ込めば。

「だって私、さつきさんがこのお屋敷に来た日から知ってるもの。それにここに来た経緯も初めから全部聞いています」
そこからして桐野目的で屋敷に上がり込んだ訳ではないという事は分かる。
それに桐野に頼んでまで志麻や幸吉の仕事の負担を減らしたりなんて、下心から来る計算でできるものではないと思う。
しかもさつきが手伝ってくれるのは桐野からは全然見えない裏方の部分ばかりで、人から聞かれても「私は傍で見てるだけー」とかそんな事ばかりを言っているのを志麻は知っている。

「……さつきさんだったら良かったのに」
「ん、何?」
「雪緒様じゃなくてさつきさんだったら喜んで手伝うのに」
「あは、は」
思わず笑ってしまう。手伝うって。なんてかわいい事を言ってくれるのか。

「そういうのじゃないって知ってるでしょ」
「そういう気にはならないんですか」
「全くならない……って言ったら嘘になるかなあ」

奥歯でがりっと小さくなった飴を噛む。
桐野はトータルして男前だと思う。カッコいいし。
ただ今の関係はあまりにも大家と居候で、年の離れた近所のお兄さん的な存在で、恋愛の対象というよりは憧れとか頼れる人とか、そういう感じだと思う。
何より歴史上の人物だし。

「まあ……ね。なんてゆーか畏れ多いよ。そっちこそどうなの。きぃさん、志麻ちゃんの事凄くかわいがってるじゃない。そーゆー気にはならないの?」
「なりません。畏れ多すぎます」
「私と一緒じゃないの」

志麻のあまりの即答ぶりにさつきは笑ってしまった。



girls talk:一種のガールズトーク(笑) 130921130519

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