20:happening




「きッ」

大声で叫びそうになった途端、一足飛びにやって来た侵入者がとっさにさつきの口元を押さえた。
相手を押しのけようとしたが、余りに力が強くて太刀打ちできない。
パニックになって暴れようとしたら、「さつき!」、大きな声で名を呼ばれて思わず息を飲む。

「さつき、落ち付け、俺じゃ」
「きっ、きぃさん……?」
「ああ」

確認するように言葉が紡がれ、口を塞いだ手がゆっくりと離れていく。
桐野だった。

目の前の見知った顔に、ぼろっと涙が零れた。
さっきの延長もあってか、一度滴が落ちるとびっくりするくらいぼろぼろと流れていく。
まさかそこまでの反応が返ってくるとは思わなかったのだろう、桐野は顔に驚きを浮かべたがやがて苦笑した。

「驚かせて悪いな」
「ちが、これは違、うんです、大丈夫」
「そうは見えんが」

そう言いながらも少し笑っていた……の、だが。

「……汝、こりゃ何じゃ」
「あっ」

眉を顰めた桐野に、ぐい、と泡だらけの腕を引かれた。
突然の事で、さつきは桐野にもたれかかるような姿勢になる。
とっさに片腕で胸を覆ったのだが、さつきを抱きかかえるような格好になっている桐野はそんな事全くお構いなしだ。
というか、お互い裸だ。ダイレクトに体温を感じてさつきはぎょっとした。
素肌が触れ合っている。

(ぎゃあああああちょっとちょっと、これ、は、これはまずいまずいまずいまずい)

「や、や、きぃさんちょっと、は、離して」
「これは何じゃっち聞いちょる」
「おね、お願い、取りあえず手、」
「さつき」
「何か着て!!」
「…………」
「……何でもいいから……お願いします……」



(確かに何でもいいって言ったけど、これって……!)
桐野は腰に手拭いを巻いただけ、しかしさつきは今その手拭いすら手元になかった。
この状態で手足をまじまじと検分されるのは女子でなくても辛いだろう。しかも桐野は無言。どんな羞恥プレイだと思う。
はっきり言おう。

(泣きたい)

「私もう出ます……」
さつきは実際に半泣きでそう伝えたのだが。
「遠慮せず浸かって行け。体が冷えちょる」
(だ、誰のせいーー!!)
さつきの困った顔が余程おかしかったのか、桐野が軽く笑う。
「別に取って食いやせん。後ば向くでその間に入れ」
恣意的ではないのだろうが、その一言は完全にさつきの逃げ道を塞いでしまった。

ちゃぷんと湯に体を沈める。
桐野のあまりにもいつも通りの態度に、初めはオロオロしていたさつきも頭が次第に冷めてきて、
(もーいいや)
終いにはそう思った。
ある意味対象外宣言までされているのに意識し過ぎるのも変な気がする。
何か大事な所を間違っている気がしないでもないが、相手が拘っていないのにこれ以上考えるのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。

「きーさん、おかえりなさい」
「ん、どうした」
「そう言えば言ってなかったなと思って」
「いや」
今のこの態度の事だったか。
「もう開き直りました」
あっけらかんと答えれば桐野は声を上げて笑った。

雪緒は「私の前で笑わない」と言っていたけれど、桐野はよく笑う人だとさつきは思う。
さつきが”笑われている”の間違いかもしれないが……

しかし、今思えば、雪緒の前での桐野の笑顔は確かに営業スマイルみたいだった。
彼女がどう桐野と知り合って恋に落ちたかは知らないが、ここに来るまでに変に策を弄し過ぎたのじゃないか。
方向は間違っているけれど、雪緒にはあれだけの逞しさがある。
何となくだが、桐野は度胸がある女性は嫌いじゃない気がする。
初めからストレートにぶつかれば、色好い答えは返って来なくても普通に笑う位はしてもらえたのじゃないかと思うのだ。
少し離れて湯船に浸かる気遣いを見せてくれた桐野を見て、さつきはそう思った。


「きぃさんは身を固める気はないんですか?」
「今の所はな」
「近くに女がいると迷惑?」
「煩わしければ」
そりゃそうか。

「私は迷惑じゃないですか?」
「……何故な」
「私がいつまでもこちらに甘えてるから……雪緒さんが来た時に完全に身を引いてれば、ややこしい事にならずに済んだのかなって」
風呂の枠に腕を組み、その上に顔を寝かせると少しだけ視界が滲んだ。
今日はちょっと涙腺が緩くなっている気がする。
「そう思うのか」
「……分からない。私のした事、良かれと思ってだったけど、それが間違ってたんじゃないかって」

桐野が来るまで考えていた事だ。
何が最善手だったのか、どうすれば良かったのか、分からなくなってしまった。
自分のした事が無用にあちらを煽り、人に迷惑をかけただけじゃないか。
そう思うと自分した行動に目を逸らしたくなるような嫌悪が湧いてくる。

「桐野様」

いつもと違い過ぎる呼びかけに、どうしたのかというような桐野の表情。
「……って呼んだ方がいいですか。言葉遣いも……ちゃんと敬語使って、お屋敷でもあまり顔を合わせないようにして、」
「そう言われたか」
誰になんて、主語がなくても分かる。
「分不相応で図々しいって。ホントにそうだなって」
物珍しくて飼われているとは、さすがに口にできなかったけれど。

「本当にそう思うか?」
「……………………」
「俺がそう思うちょったら、風呂で汝を見た時点で引き返しちょるが」
「……そうなんですか?」
「初めに言うたじゃろう。呼び方も言葉遣いも汝の普通でよか。今まで通りで、否、今まで通りがよか

小さく肯首すれば笑い声が頭を撫ぜた。

「皺寄せが全部すっぱい汝にいっちょるのに、今まで放っておいて悪かった。じゃっどんもう終わる」

やっぱり桐野は気がついてたし、何か事情があったんだろう。
そんな言い方だった。
そうだろうとは思っていたけれど、本人の口から実際に聞くとホッとしてしまう。
(良かった……)
小さく息をつけば改めて謝られてしまった。

「何か美味しいもの食べさせて下さい。それでいいですから」
「は、はっははは」
「え、な、何ですか」
「聞くじゃろうが、普通は理由を」
「そうだけど。きぃさんも色々事情があるんだろうし……今までずっと良くして貰っていたから、今度の事と足して二で割ったら丁度いいです」
それで帳尻が合うように神様がしたんだろう。
だから理由は別にいいかなって。
「ソーカ」
「でもちょっと頑張ったから、何か美味しいものでも食べられたら嬉しいなー……なんて……」
「そいでヨカな。もっと他にあるじゃろうが」
他にと言われましても。
(他に……他にねえ……)
うんうん考え込んでいたら、

「汝、男はおらんのか」

噎せた。

「い、いきなり何言い出すんですか……いませんよ」
「好きな男は」
「いませんねえ……なんてゆーか私ちょっと男性不信なんですよ」

驚かれてしまったけれど、本当だから仕方ない。
そんな風に見えないのだろう。屋敷にいる異性とは普通に接しているし、桐野と一緒に風呂に入っているくらいだから仕方ないとは、自分でも思うのだけれど。

「ん〜……まあ……引っ掛った男が悪かったんですね。すったもんだの挙句捨てられまして」
それが少し尾を引いていて、今は特定の誰かとあまり深い中になりたくないという気持ちがある。
「でもここで会った男の人はみんな男らしい男っていうか。こういう人たちに会ってたらまた違ってたんだろうなーとは……」

「さつき、俺の隣に来るか」

思わず桐野を二度見してしまった。

「…………」
「…………」
「…………隣……に座ってますけど……」

そういう意味じゃないと言うのは、何となく分かっていたのだけれど。
答えれば桐野はそうだなと言ってまた笑って、多分、誤魔化された事にしてくれた。


「出るか」
先に出るから後から来いと言われて頷いた。
暫くして桐野が脱衣場から出た音を聞いて、湯からそろっと出る。

(……びっくりした……)

対象外じゃなかったのか。
まさかそんな話の流れになるなんて思っていなかったから、本当に心臓が跳ねた。
のろのろと体を拭いて、のろのろと服を着る。
(のぼせたかな)
きっと湯に長い時間浸かり過ぎたのだ。
原因はそれだけではないような気もするけれど、そういう事にしておく。

ぼんやりしながら歩を進めたら濡れた床板に簡単に躓いて、脱衣所の引き戸に大きな音を立ててぶつかった。
桐野は既に部屋に戻ったと思っていたのだが、派手な音に驚いたようですぐに戻って来てくれた。
台所で水を飲んでいたらしい。

「湯疲れしたみたいで」
「水を持ってくる。そこにおれ」

その場にへたり込んで、床に両手をついて項垂れた。軽く眩暈がするが、じっとしていたらその内治まるだろう。
桐野は水を湯呑みに汲むとすぐに戻って来て、台所から持ってきたのだろう団扇で軽く煽ってくれた。
「……スイマセン……」
「いや、長湯させて悪かったな」
「も、大丈夫なんで、先に戻って下さい」
「馬鹿言うな。部屋まで連れて行く」
「えー」
「えーじゃナカ。ほら、来い」
来いって。そのカッコ。もしかして。もしかしなくても、
「……だっこ?」
「他に何があるんじゃ」
「ぎゃあああああダメですダメですダメ!何でだっこ!?肩貸せば済む話じゃないですか!」
「嫌か」
「え!?い、イヤって訳じゃ……」
「肩貸せ?面倒じゃなあ。なら負ぶさるか。ヨシ」
答えを聞く前に勝手に背中に乗せられてしまった。


桐野と話していると諦めも大事だと思う。色々と。
「きーさん、私の事からかって遊んでるんでしょ」
「汝は面白いからな」
「ひどーい……って、こっち進んだらきぃさんの部屋じゃないですか」
「ばれたか」
「ちょっとー取って食わないって言ってた癖にー」
くすくす笑えば、桐野もおかしそうに空気を震わせた。すぐに来た廊下を引き返す。

「あのね、中途半端に女の人煽るような事言っちゃだめですよ。気があるんじゃないかって誤解するから」
「ん?」
「切るつもりなら早い段階ではっきりさせないと後が面倒です。覚えがありません?」
「……あるな」
「でも別府さんから聞いた話からすると、きぃさんの場合は大体女の人の勘違いっぽいね」
「そうか」
「もてる男は辛いねえ。……あ」
抱え直された反動で夜会巻きにしていたコームが床に落ちた。巻きが大分緩くなっていたらしい。

「俺が取ろう」
すっと桐野が屈んでコームを掴んだ拍子にさつきの髪がその頬にかかり、
「さらさらしとるな。それにいい香りがする」
一房摘まむと、口元に持っていってそう言った。
(この人全然人の話聞いてなーい)
思わず笑ってしまった。
「私の事口説いてどーすんですか。お触り禁止ですよ。めっ」
髪に触れる手をぺちんとはじくと、桐野がぶはっと吹き出す。
「俺にそげん事言うのは汝だけじゃ」
「えーそんな事ないでしょ〜」
「ほら、着いたぞ」

「先に寝てって言ったんだけど起きてるかな……志麻ちゃん、開けてー」
呑気に名前を呼べば、出てきた志麻が酷く慌てていた。
「御前!?」
それはそうだろう。もう日付が変わっているのだ。こんな時間にまさか桐野が来るとは普通思わないだろう。
しかも桐野はさつきを背負っていた。

「のぼせてな、ここまで連れてきた」
「……さつきさん……(なんて格好で……!)」

既に用意されていた蒲団の側にさつきを下ろす。
「さつきを待っちょったのか、志麻。悪か事したな。俺が長湯させてしもうた」
「い、いえ…………」
「さつき、もう大丈夫か」
「大丈夫です。御足労おかけしました……」
「どういたしまして」

(…………)

志麻は首を傾げてしまった。
どうして桐野がさつきを室まで送って来たのか。しかも「俺が長湯させて」って。
随分親しげに話す桐野とさつきの様子を見て、あ、と思った。

「あの、違うお部屋を用意しましょうか」
「何言ってんの志麻ちゃん……あ?あー……そういうのじゃないからね」
「いや、志麻、隣に蒲団敷いてもらえるか」
「ちょっと何言ってんですか」
慌てて止めれば桐野がげらげら笑った。
「俺がそっちで休む」
御前がですか、と聞き返した志麻に桐野が肯定を返す。
「自室は落ち着かん」
ああ。なんかそんな話あったな……
志麻とふたりでなんだか遠い目になってしまう。

さつきが移って来た時に外した襖を入れ直して、部屋を仕切る。
向こうで寝具を整えて帰ってきた志麻を労れば、

「さつきさん、本当にお蒲団あっちじゃなくていいんですか?」
「……イーンデスヨ……こっちで寝かせて下さいお願いします……」

確かに風呂からこの格好、ショートパンツにキャミソールの上にシャツで、しかも桐野に背負われて帰って来たのだから誤解されても仕方ないとは思うけど。

「でも何もなかった訳じゃないですよね?」
「ご期待に添えず申し訳ありませんが何もありませんでした(棒)」
「どうにかなっちゃえば良かったのに……」

何言いだすのこの子。

「大人をからかってないで早く寝なさい!」
「はーい」

志麻もゴシップ好きの普通の女の子だった。



happening:ハプニング 141012130708

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