23:one word too many




呼んできてくれと桐野に頼まれ、志麻は雪緒の部屋に向かっていた。
雪緒の父が迎えに来る事を知ったのは今朝の事。急な話で驚いたが、それ以上にホッとした。
これでやっと日常が戻ってくる。
女中がこんな感情を顔に出すのは良くないが、ひとりでいると安心感でつい表情が緩んでしまう。
(あ、いけない)
誰に見られているか分からないと、口元を引き締めて角を曲れば、廊下に立ち尽くして雪緒の姿が目に入った。
雪緒様と声をかけようとしたのだがそんな雰囲気ではなく、彼女は部屋に向かって頻りと何事かを叫んでいる。

「……どうしてよ……なんでなの!?あんたなんかのどこがいいのよ!」
「…………、…………」
「嘘!そんな筈ない。見たのよ、昨日!桐野様があんたを背負って部屋に行くところ」

(え、さつきさんがいるの?)

志麻のいる所からだとさつきがいるかどうかは分からなかったけれど、話の内容からすると確実にそうだ。
志麻は今まで雪緒が声を荒げて人を罵倒する場面を見た事がない。
口汚くさつきを罵る姿と、普段の美しい姿が酷くかけ離れていて……
志麻もこの屋敷で色々な女性を見てきたけれど、ここまでの落差を目の当たりにするのは初めてで、思わず立ちすくんでしまった。

しかも耳に入ってくる雪緒の言葉、それは内情を知っている志麻からすれば殆ど言い掛かりだ。
(間に入ろう)
またさつきが怪我などするような事になったら。
何か起ってからでは遅い。そう思うと志麻の足はひとりでに動いた、の、だが。

「百歩譲って私が嘘吐いていたとしても……それをそちらに責められる言われはありませんが」
「私、昨日言いましたよね、…………、…………」
「私の告げ口で追い出される?お門違いよ。自業自得じゃない」

足を止める。確かにさつきの声だった。
長めの言葉は聞き取れなかったけれど、言われっぱなしではなかったらしい。
随分硬質な声、きつい言葉の投げ方で、志麻はさつきがそんな風に話す事もあるのだと初めて知った。

(怒ってるみたい……)

彼女は今までずっと怒る志麻や幸吉を宥めては苦笑していた。
あれだけの事をされてどうして怒らないのか、それが大人の対応なのか。
どうしてと志麻はそちらにも少し腹を立てていたのだが、彼女はそうした内側を見せなかっただけなのだろう。

「何よ……!」
振り被った雪緒を見てハッとし、志麻は雪緒へと歩を進めたが、
「今度も殴るの?」
室の中からの静かな声がかかる。後にはまだ言葉が続きそうだったけれど、

「雪緒様!」

志麻が大きな声で雪緒の名前を呼べば、三人の視線が集中した。

「御前がお呼びです。居間にお越しください」

びくつく心を叱咤して、志麻は言い争いの邪魔をしたのだった。
さつきは若干ホッとしたようだったけれど、雪緒の怒りに油を注いだようで、

「奉公人までこの女の味方をするの」

標的が切り替わる。
今度は志麻自身が言われのない非難を浴びる事になってしまった。
この間にさつきが部屋から出て行ってくれたらいい。そう思ったけれど、志麻の希望通りにはならず、
「止しなさい。この子は仕事でしてるの。その位分かるでしょう」
(あ、あ、あ……さつきさん……余計な事言わないで……)
思わず震えてしまう。

「なんですって!?」
「大声出さなくても聞こえてる。さっきからふたりしてキーキーと喧しい。生理なの?」
「なっ……」
「呼ばれているんでしょう?目上の人待たせてないでさっさと行けば」

さつきはそれだけ言い捨てると、そのまま部屋の奥の廊下へ出るつもりだったのだろう、身を翻したのだが。
「待ちなさいよ!」
雪緒は逃がすまいとさつきの髪を握り込こむと、すぐさま屈み込んだ。
さつきはそれに引っ張られるような形でバランスを崩してよろめいた。咄嗟に雪緒を振り返ろうとしたのだろう、その時、ざくっ、と鈍い音がした。
途端に無数の糸が畳の上に散らばる。

(……糸……?)

見れば雪緒の手中には植木鋏。
「え……あ」
簡単に束ねてあったさつきの髪の一部が短くなっていた。

「きっ、……きゃーーーーー!!」

散らばったのは糸じゃない。
髪の毛だ。




志麻の叫び声にさつきは我に返った。
びっくりしすぎて思わず固まってしまったが、床に散らばる茶髪を見て、あー髪切られたのか、そう思った。結構呑気だ。
髪を掴んでしゃがんだのは鋏を取る為だったのか。
鋏の存在をすっかり忘れていた。
迂闊だった。

鋏はまだ雪緒の手の中にある。
志麻が廊下でカチカチ震えているのも、まさかこんな展開になるとは思っていなかったのだろう顔を真っ青にした藤乃も、きっと案ずる所は同じだ。
刃物を持ったまま逆上している雪緒の状態は、とても危ない。
緊張で固まる周囲を余所に、雪緒の表情かおはどう見ても「してやったり」で、こんなに非常識な事をしておいて悪びれもせず笑っていられる神経がさつきには到底理解できなかった。

「雪緒さん、貴方、本当に何考えてるの?」
「ふふっ、悔しい?桐野様も気に入ってたみたいじゃない、その髪」
「髪?」
「言ったでしょ、見てたって。口付けなんかして。島田も結えないみっともない髪のどこがいいのかしらね」

桐野が髪を気に入ってるから?だから切った?そんな子供みたいな理由で?

「そんな事で人に刃物を向けるの……」
「そんな事ですって?大した事だわ」
「……大した事、ね」

雪緒は人に刃先を向ける事の意味を分かっているのだろうか。
嫉妬だとか悪ふざけだとか、冗談で済まされる事ではない。
緩く握られていたのか、さつきが雪緒の手をパシっと弾くと、鋏は簡単にその手から滑り落ちた。

「何するのよ!」
「…………」

それを拾い上げると髪を片方に寄せ、ひとつに纏めていたゴムを軽く下に引くとそこに鋏を当てる。

「さつき!」
「止めろ!さつき!!」

向こうの方から制止する声と幾つかの慌ただしい足音が聞こえる。
(結構大声で騒いでたもんなー)
人が集まっても仕方ないなんて思いながら、さつきは鋏を動かした。

植木鋏だ。
美容院でカットするようにはいかず、少しずつぶち切っていく感じで思ったよりも手間取った。
髪を横目で見た時に桐野、……とその後ろに見知らぬ初老の男性、別府、書生、あちらの女中たちの姿が視界の端に映り込む。

(あ、辺見さんもいる。帰って来てたんだ)
なんだ。全員いるんじゃない。

本当にどこか他人事のように思いながら鋏を進めた。
無言、無表情で、ただ手を動かすだけ。
集まってきた人々は発する言葉を失って、ただその様子を眺めるばかりだった。

じょきん、と最後まで切ってしまうと、ゴムで束ねられた髪がさつきの手から死んだようにだらりとぶら下がる。

「これで満足?」

それを何の未練もなく、唖然として言葉もなくこちらを見つめている雪緒の足元に投げ捨てた。

「今更何驚いてるの?喜べばいいじゃない。”桐野様お気に入りの島田も結えないみっともない髪”がこうなるの、望んだのは貴方でしょう」




森閑とした空気の中、最初に動いたのは桐野で、部屋に足を踏み入れてきた。
「桐野様……」
縋ろうとしたのか名を呼んだ雪緒をそのまま通り過ぎると桐野はさつきへと手を伸ばす。
「…………」
差し出された手に鋏を乗せれば、
「えらくさっぱりしたな」
桐野はそれを腰に手挟んで少し困ったように微笑した。
「結構似合うと思うんですけど」
何となく目を合わせる事ができなくて、さつきは視線をずらしてそう答えたのだった。

『髪は女の命』をまだ地で行く時代だ。
さつき自身は平気でも(いや決して平気ではないが)、見ていた周りは皆一様に表情が凍りついている。
桐野でさえ困った顔なのだ。
さつきは心中で自分の軽率さを嫌悪した。
(私本当に一言多い。途中までは我慢できるのにどうして最後まで黙ってられないんだろう)
黙って言われるがまま嵐が過ぎるのを待っていれば、きっとこんな騒ぎにはならなかった筈だ。

「……申し訳ありませんが、後はお任せします。私、戻りますから」

この空気に堪えられない。
そう思って今度こそ廊下へ出ようとした時、桐野がさつきを呼び止めた。
「さつき、待て。血が出ちょる」
血?
そう思った時には腕を引かれ、見上げれば驚くほど近くに桐野の顔があって。

(え)

――それは突然過ぎて、さつきには逃げる間もなかった。



one word too many:いつだって一言多い
島田も結えない→島田(髷)も結えない。島田髷は江戸時代の未婚女子の一般的な髪型。この頃でも同じだと思う。 20150123130716

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