25:pull up




「さつき、待て」
追いかけてきた辺見に捕まってしまった。
ぐっと腕を掴まれ思わず「痛い」と声を上げれば過剰反応に驚いたのか、パッと手を離される。
「悪い」
「ご、ごめんなさい。痣ができてて」
「痣?何故そげん所に」
言いかけて辺見は言葉を切った。
恐らく別府から話を聞いていたのだろう。それに故意でなければ痣などできる場所ではなかったから。
「あの女か」
今となってはもう隠す必要もないだろう、そう思いさつきは小さく頷いた。

適当な一室に入り促されて座る。 
「ごめんなさい」
ん、と首を傾けた辺見にさつきは言葉を続けた。
「色々と聞いてくれたのに黙ってた事一杯ある。それにさっきの見て……きぃさんが言ってた事聞いて、……軽蔑したでしょ?」
その問いに辺見は暫く黙っていたけれど、
「お前が望んで取った行動なら軽蔑などしない」
薩音でそう答えてくれた。

「じゃっどんさっきの様子じゃ”汝が望んで”の事ではないんじゃろう?桐野さぁの言は半分本当で半分嘘と言う所か」
さつきは、特にこの屋敷の人間に対しては、馬鹿が付くほど人がいい。
何か考えがあったにせよ、雪緒たちにまで様々な事を譲っていたのだ。
ましてや桐野に押し切られた時、さつきが彼に強く抵抗できるとは到底思えない。
先程桐野が言っていた事は事実としてはあったのだろう。しかし詳細を聞けば内情は想像とは随分異なるのではないか。
「違うか?」

そう言ってくれた辺見をさつきは驚いて見返し、そうしてホッとした。
身近な人が分かってくれるならそれでいい。
でも同じくあの場にいた志麻や幸吉はどうだろう。特に昨日あんな話を聞いてくれた別府は。

「私、ずっときぃさんとは何でもないって言ってたのに」
「うん」
「本当だよ?」
本当に何でもない。何にもない。
別府は苦笑いしていたけれど、あんな事を聞かされて、あんな場面を目の当たりにして、彼は一体どう思っただろう。
「……さっきのあれは、あんまりだよ……」
体育座りして膝に顔を埋めれば、辺見の手がぽすんと頭に乗った。

「別府もあんふたりも、そげん事思うちょらんち思う。そいよりさつき、今まで気付いてやれんで悪かった。髪もこげになってしもうて」
「ん、平気……自分で切ったんだし、髪はまた伸びるし。それに黙ってたのは私だから辺見さんは」
「首は大丈夫か」
遮るように言われて、ふと先程の事を思い出してしまい口をへの字にして黙り込む。

「鋏、怖かったじゃろう」
辺見は苦笑しながらも労わるようにそう言ってくれた。
相手は逆上していた。
大事には至らなかったものの、大怪我をしていた可能性は否定できないのだ。

(……あ、)

そう思うと、今さらながらさつきは小さく震えた。
普通の状態ではない人間に刃物で傷付けられて怖くなかった筈が無い。
あの時は怒りに背中を押されてそうは思わなかったのだけれど……と言うよりその後の桐野の行動でそんな事全く忘れていた。
そう、忘れていたのだ。
(…………)
そこで、ふと気付く。

「ねえ辺見さん……きぃさんの……さっきの行動って、」
もしかして、わざと?そう続けようとした所で、
「さつきさん!」
突然飛び込んできた志麻の声に遮られてしまった。



「志麻ちゃん、……別府さん」
「怪我……」

志麻はさつきの側に座るなり持ってきた薬箱の蓋を開けたのだけれど。
短くなってしまった髪、そして真新しい切り傷。
それを目の当たりにした志麻の瞳にじんわりと涙が浮くのが別府と辺見の目にも見えてしまった。

「だ、大丈夫、ちょっとかすっただけ。大した事、なかったから。髪も……、その、平気だから」

さつきはさつきで先程の桐野との遣り取りの事もある、こちらも酷く困った顔でオロオロとしていて。

(……おい辺見)
これは一体どういう状況なのだろう。
訳が分からないといった風に別府が耳打ちすれば、辺見が笑い出しそうになった。
女ふたりがやや気拙げな雰囲気でぽつりぽつり言葉を交わしているのを横目に、男ふたりは少しだけ距離を取って座り直す。

「さっきの、気にしちょる」
「髪か?」
「否、桐野さぁの事じゃ」
「あー……」
別府は辺見の肩越しにさつきと志麻へと視線を遣ると、首筋をかりかりと掻いた。
「やり過ぎじゃっち釘は刺したんじゃがな」
「ありゃどれくらい本気じゃったんじゃ」

その問いに別府はただ口の端を上げただけで明確には答えなかった。
しかし辺見もそう感じたのかと思う。
あの桐野の様子では完全なる冗談という訳ではないだろうが、それはそれで面倒な気がする。
(全く、あの人は)


「さつき」
声をかければ視線がぶつかる。それがいかにも困ってますといった風で、別府は思わず笑いそうになった。
が、顔を辛うじて引き締める。
笑えばさつきは拗ねるだろう。事態をややこしくしたい訳ではないのだ。

「兄が悪か事した。謝る」
「別に……別府さんが謝る事じゃないし」
「否、幾らわざとじゃち言うてんありゃやり過ぎじゃ」
「…………」
別府の言に口を噤んだかと思いきや、さつきはそのまま顔を逸らしてしまった。
「……さつき?」

「あれ、やっぱり……わざとだったんだよね?」
「ん?」
「鋏、怖くなるのを紛らわせる為に、わざとあんな事したんだよね?」

彼女の言いたい事は分かる。
桐野がさつきに手を伸ばしたのは、彼女がまだ怒りの中にいて気を張っていた時だ。
そんな時の衆人環視の中でのあの桐野の行動、衝撃が大き過ぎて刃物への恐怖など感じる間もなかっただろう。
だが、あのまま桐野に引き止められず室を出たらどうなっていたか。
ひとりになった時に突きつけられた刀先を思い出し、恐ろしさに彼女は震えていただろう。
さつきの推測は間違ってはいない、が。

「それに……昨日も真面目な顔で揶揄われたの。さっきのもそれと同じだったんでしょ?」
揶揄って紛らわそうとしてくれたんだって、ちょっと考えたら分かる事なのに。

「……は、」
「え」
「何?」
「ね、もしかして分かってなかったのって私だけ?……しかもきぃさんの顔までぶって」

本当に少し泣きそうになっているさつきを見て、三人は目を丸くしてしまった。

(ちょっと待て)
(昨日も真面目な顔で揶揄われた?)
(それって、)

さっきのアレはわざとだ。
しかし、女相手にあんな中途半端な事をすれば余計にコトがややこしくなるのが分かっているから、いつもの桐野ならあんな真似はしない。
それに三人が知っている桐野は、あんな場で質の悪い冗談を言ったり行動を取るような男でもなかった。
だからこそ別府も辺見もさつきに触れた桐野の”本気”の度合いを計りかねて首を傾げているのだが。

さつきの気を紛らわす為。確かにそれもあったのだろう。
しかし屋敷の人間全員がいる前で見せつけるような行動を取ったのは、今後さつきの身に同様の事態が起らないようにという配慮があったからだ。そのやり方が良いか悪いかは別として。
確かにあんな桐野の様子を見せられて、それでもまださつきに手を出そうとする人間はこの屋敷にはいないだろう。
さつきとの会話時の様子、そして彼女と辺見が去った後にした桐野の言動をひっくるめて考えれば……
内情を知らない外野から見ればさつきは完全に桐野の片想いの相手だった。

ただ、三人は今聞いたさつきの話と先程の桐野の様子を思い出して考えてしまう。
さつきの立場を守るという思慮も、確かにあったのだろうけど。

(((案外真剣に口説いていたのでは……)))

さつきはそんなに鈍い女ではない。
言い方が冗談めかしていても、相手の言葉が嘘か否か位は分かりそうなものだ。

(((……………………)))

が。
三人とも、さつきの今までの桐野への対し方を思い浮かべて、何となく分かってしまった。
その手の話をちらっとした事のある志麻は、特に。

彼女にとって桐野は初めから”対象外”なのだ。
桐野とどうこうなるなんて事、可能性だって考えた事がない。
その上自分が桐野から恋慕の情を向けられる事はないと思っているのだろう。
揶揄われる事はあっても自分に粉がかけられるとは考えた事もなさそうだった。
そんな中での、いきなりの桐野のあの態度。
それが例え演技や冗談であったとしても、前触れもなくいきなりあんな風に触れられて……
そりゃ驚くなという方が無理か。
うん。無理だろう。

苦笑交じりの溜息を飲み込んだ別府が裾を払って立ち上がった。

「昨日も今日も災難じゃったな」
別府はさつきの前に陣取ると軽く口端を上げた。
「どげな理由があったにせよ、さっきのアレはほんのこてやり過ぎじゃ。汝も驚いたじゃろう。兄が悪かった」
「…………」
「汝らが部屋を出た後にな、昨日の事は偶然で、しかも無理矢理じゃったち兄が説明しちょったでそげん気にせんでヨカ」
「説明した?」
「ああ。じゃっで汝からどうしたこうしたとおかしな勘繰りする輩はおらんからな」
「……………………」
「如何した」

「……さっきのは、た、確かにやり過ぎだったけど……ここでの私の立場守るためっていうのもあったんでしょ?それなのに真に受けて、ふざけてるとか言った挙句平手打ちして。私きぃさんがしてくれた事台無しにしたんだね……その上みんなの前で恥までかかせて」
「……………………」
「……最低……」

悪い方へ悪い方へと落ち込んでいく彼女の様子に別府がどうしたものかと首を傾げた時、
「考え過ぎじゃ」
辺見が口を開いた。視線が集まる。

「それに女に叩かれた位で恥になんぞなるか」
「…………平気?」
「笑い話じゃろ」
どちらかと言うと。
その即答に少し安心したのか、さつきの唇からはほっと安堵の息が漏れた。


辺見が立ち上がれば、別府も心得たものでさつきの正面を開けた。
そこに座ると辺見がさつきの顔を覗き込んでくる。

「汝はもう少し人を頼る事を覚えた方がヨカ」
「…………」
返事をせずやや不満げに眼を逸らしたさつきに軽く溜息をつくと、辺見は目の前にある頭をかしゃかしゃと掻き混ぜた。
「さつきのような強い女は好きじゃ。けんど男としては頼られた方が嬉しい」
そこで言葉を切った辺見の空気が少し変わった。

「汝は自分が我慢しちょれば済む話じゃち思うたんじゃろ。そいでひとりで何でんかんでん抱え込んで」
「…………」
「我慢しすぎじゃ」
「……そんな事ない」
「口答えするな。それに知らん間にあちこち怪我まで作りおって。見せてみろ」
「あ、」
辺見はさつきの顎に指をかけると有無を言わさず顔を上げさせた。
首の傷を見た後、顔に掛る髪をかき上げると赤みの残る頬にそっと指を這わせ、額の傷に軽く触れる。
「痛いか」
「少し……」
次いでシャツの袖を躊躇無く二の腕まで捲り上げられれば、そこには数多くの傷や痣が広がっていて。
知ってはいても見慣れる類のものではないのだろう、志麻が小さく息を飲んだ。初見であった辺見と別府は顔を酷く顰めた。

「さつき」
「…………」
「これが汝の言う”骨休め”か」

辺見は静かに、だが確かに怒っていた。
見た事のない辺見のピリッとした雰囲気にさつきは黙り込んでしまう。
どこで彼の怒りのスイッチが入ったのか、それが分からなくて戸惑うばかりだったのだけれど。

「こげな目に遭うて、一緒に住んじょるんに一言の相談もなしか」
「…………」
「後悔しちょる。部屋に行った時に無理矢理にでも聞き出せば良かった」

袖を戻しながら吐き出すように言われた言葉に、さつきは何も言えなくなってしまった。

――後から知らされる者の気持ちも考えろ

別府はそう言ったけれど、本当にそうだ。
もし立場が逆だったなら、きっと自分だって辺見と同じように……――― そこまで思ってさつきはハッとした。

(私、何やってるんだろう……)
心配してくれた人たちに、受けた仕打ちを隠していた事で余計に心配させて。
「こんなに側にいたのに何もしてやれなかった」としなくていい後悔までさせて。
(…………)
目の前にある辺見の肩に額を寄せれば、背にそっと腕が回された。
怒っている筈なのに、さつきの背中で軽く弾む辺見の手は酷く優しくて泣きたくなった。

「強情もよかがこげな時は素直に人に助けば求めろ。何でんかんでんひとりで解決する必要はない」
「……ごめんなさい……」
「謝らんでよか。ただ二度とこげん事するな」
「……うん……」
揺れた声が少し湿っていたのに気が付いたのか、辺見は一端言葉を切り、何かを考える風に少し間を置いた後、

「それに汝は笑ろうちょる方が可愛むぞかぞ」

笑いを含んだ声で、突然そんな事を言い出した。

……。
…………。
…………え?
今そういう話の流れだった?

さつきは首を傾げてしまった。聞き間違えたのかと思ったのだが、

「そうじゃな。汝は笑ろうちょる方がよか。昨日んごたる泣くんを我慢する姿もヨカち思うが」

え?
側にいた別府の言葉に思わず顔を上げれば、ばちーんと目が合う。

「……あれはあれで男としてはぐっとくる」
「真面目な顔して何言ってんの?」

さつきは盛大に狼狽えた。
(別府さんだったよね?今の、間違いなく別府さんだったよね?)
だってさつきが知っている別府は大凡そんな事を言いそうにない男だった。
本当に別府だったのかとその顔を見つめれば、

「汝は可愛かな」

そのままふわりと柔らかく微笑まれた。

(……っ!)

自分でもそれと分かるほどの熱が顔に集まったのが分かる。今、顔は真っ赤だ、多分。
「な、何言ってんの!?ね、辺見さん、別府さんどうし」
たの、と助けを求めるべく目の前の辺見を見上げたのだけれど、突然ぎゅうと体を抱きしめられた上、
「汝は他の女と違うてヨカ匂いがするな」
襟足の辺りに辺見の鼻が当たり、

「ああ、確かに可愛か女じゃな」

耳元で囁くように言われて、さつきは反射的に両手で辺見を押しのけた。

「ちょ、ふたりともどうしたの!?いきなり何、かわいいとか、き、きぃさんも……昨日からみんなおかしいよ!」
「ソーカ?」
「至って正常じゃが」

意味が分からない。
これが正常な訳が無い。

「……な、何か悪い物でも食べた、の……?」

耳まで赤くした顔を困惑で一杯にして真面目に尋ねた時、

「さつきさん可愛いー」

傍らにいた志麻が小さく笑い出した。
見れば顔を背けて、堪え切れないといった風にくすくす笑っている。
それに釣られたかのように辺見も別府も笑い出し、そこでさつきは漸く自分がふたりに揶揄われて事に気付いたのだった。

「……うっそ……しんっじらんない!!ふたりとも質悪すぎるよ!」

大きな声で怒ってもしかし真っ赤な顔では全く通用せず、それどころか照れ隠しだと正確に見抜かれて、三人が三人とも笑うばかりで。
「ちょっと笑ってないで話聞きなさいよ!」
なんて、ひとりでムキになっている自分が何だかおかしくなってしまって、終いにはさつきも笑い出してしまった。

「ん。やはり笑ろうちょる方がいいな」
「ああ」
まだ言うかと視線を上げたのだけれど、辺見と別府の笑顔は穏やかで、そこには揶揄いや冗談などはもう含まれてはいない。
「……ずるい……」

こんな優しさで落ち込みから引き上げられると、文句なんか言えなくなってしまう。
いい年して甘やかされている事が気恥かしくて、ぽすっと辺見に凭れかかると同時に両腕を回して抱きついた。
辺見も、別府も志麻も驚いていたけれど、子供が親に抱きつくのと同じようなものだと受け取ったのだろう、特に咎めもせずさつきの好きなままにさせてくれた。
脇から伸ばされた別府の手が軽く髪を整える感触に目を閉じる。

「私、ここで何もできないのに、なんでこんなに良くしてくれるの?」
「何バ言うか、こん働きモンが」
「志麻と幸吉の仕事奪って色々やっちょるの、知らんとでも思っちょったんか」
「ほんとそうですよ……」
苦笑いされながら呆れたように言い返されて、さつきは「そっか」とだけ返すと、

「辺見さん、別府さんも、」
「ん?」
「アリガト……助けてくれて」
「ああ」
「志麻ちゃんも、ごめんね」
「いいえ」

辺見に抱きつく力を少しだけ強くした。



pull up:ひっぱりあげられる
いい匂いがするのは夢主が日本髪ではないから(=頭を頻繁に洗う)+ほんのり香水の香り。
 2015411130921

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