05:high noon




桐野の住んでいる屋敷は広い。
元は大名屋敷だというのだから当然だ。居住区域だけでなく庭も相当広かった。
東京ドーム○個分ですとか、テレビのキャスターならそんな風に紹介するのかもしれないが、そんな事を言われた所で東京ドームに行った事のないさつきにはピンとこない。
行った事があっても恐らくピンとはこないだろうし、この屋敷よりはさすがに東京ドームの方が大きいと思う。

とにかく広いのに常時住んでいる人数がそんなにはいないのだから、隅々にまでは管理の手が届かないのは当然で。
屋敷で働いている女の子に聞いてみると、幕府があった頃は雨戸を開けて閉めたら一日の仕事が終わるという人もいたそうで。色々な意味で御苦労な仕事だ。
口先に歌を乗せながらそんな事を考えて、さつきはブチブチと雑草を引き抜いている。



今日もお手本の様な天気の良さで、日陰がない所にいるさつきの額からは汗がだらだらと流れている。土で汚れていない手の甲でぐいと汗を拭った。
こんな作業をするのが分かっていて化粧をするなんて本当に無駄だと思う。
でも庭作業の前に桐野や辺見と顔を合わせる事が確定しているのに化粧をサボる事もできず、作業が終わるまでは甘んじて顔がまだらになる方を選んでいる。

(帽子借りなくて良かった)

何日か前の事だ。
外で作業するのに帽子が欲しいと言った時、桐野は、
「俺の使っちょらんのでよかな?」
とあの独特のイントネーションで聞いてくれて、さつきは、
「問題ないです!」
大歓迎したのだが、渡された帽子――黒羅紗地で、金モールの星マークのある軍帽――を見て全力で遠慮したのだ。

この場合の帽子と言えばあれだろう。
キャップとか海賊王になりたいゴムな主人公がかぶっている帽子が相場だろう。
さつきの目の前に置かれた帽子はそれよりもどう見ても上等で、庭作業に似つかわしくない物で。
ああそうか、ないんだ、麦藁帽とかそんなの。
そう思うまでに暫く掛ってしまった。

それにしても汗やら化粧やらでドロドロになるのが分かっているのに、なんでこの人そんな物を渡してくるんだろう。
さつきはそう思った。
それ以前にジーンズ姿に陸軍の軍帽で庭いじりをするのはどう考えてもアンバランスだ。
使っていない帽子だからといってもあんまりなショットだろう。
揶揄われてる?
もしかしてかわいそうな子じゃないか、私?
そう思わない事もないが、桐野は着る物に拘りがある割には意外と無頓着というか、大雑把らしい。

「桐野さん、ちょっといいですか」
と、庭の目立たない一角をいじりたいと言いだしたのはさつき本人だった。

さつきに宛がわれた部屋の縁側から見える風景は雑草が延び放題で、はっきり言って見苦しい。
暑苦しいなぁと思うのだが、人数が少ないから目立たない庭までは手が回らないようだった。
しかし人に頼んでやってもらうというのも違うだろう。第一さつきは居候だ。気になることは自分でやればいいのだ。時間だってあるのだし。
桐野は広い庭は気に入っていても帽子同様庭の細かい造作には無頓着らしく、好きにすればいいと頷いてくれた。


しゃがみ込みながら根っこから雑草を抜いて、掃除用のざるにぽいぽいと放り込んでいく。
暑い。
ぽたぽたと顎から落ちる汗が地面に染みを作っている。

(絶対、絶対日焼けする……それに汗疹ができるかも。困るなあ)

けれど裏腹に口角は上がってしまう。しんどいとも思わないし、寧ろ楽しい。
そう思うのはさつきがひとりきりでしている作業だからだ。
誰に気を使わなくてもいい。

気兼ねしなくていいと言われてはいるが、やはりまだ少し気が張るし疲れるのも確か。
だから朝食を食べて、桐野や辺見を見送ってからの作業は実はさつきの秘かな楽しみだった。
それにここは特に通行がある場所でもないらしく、あまり人が来ない。
そんな解放感も手伝って、初めはお気楽鼻歌混じりの作業だったのだ。
それがいつの間にかメロディが口から零れ、更にそこには言葉が乗っていて。 
ハッとしたものの、はっきり言って大きな声で歌っても気付く人はいないんじゃないかとさつきは思った。
「広いお屋敷ばんざーい!」
という訳で、何日か前から野外ひとりカラオケタイムと化している庭作業だった。

さつきは歌が好きだ。
現代にいた頃はテレビを見るよりも音楽をよく聞いて、好きな曲をウォークマンに入れて持ち歩いて。
ついでに頭の引き出しにも完璧という訳ではないけれども結構な曲数が保存されている。
今日だって良い天気に合わせてリズムのいい歌を選んで、自分が決めた時間までにちゃっちゃと終わる筈だったのだ。

それなのに何故かぽろりと口から零れ落ちたバラードひとつで完全に手が止まってしまった。




(……ん?)

篠原国幹は首を傾げた。
草むしりをしていた目の前の背中が急に動かなくなったからだ。
篠原は実はもう随分前から主人不在の桐野邸に上がり込んでおり、歌いながら勢いよく雑草を抜いている女の様子を縁側に腰掛けて見物していた。
篠原も桐野らと同様に今日は出勤日であったが、所要があり半休を取っていた。用を済ませたその帰りにそう言えばとふと思い立ち、上野まで足を延ばしていたのだった。

暫く桐野の所から出仕したい。
そう辺見が言い出したのは何日か前の事で、もちろん篠原は良い顔をしなかった。
皇居が失火で燃えたのは少し前の事。その際、近衛将校である辺見がよりにもよって登楼していた事が発覚し、腹を切る切らないの大騒動になったばかりであったからだ。

席に座り腕を組んだまま是とも否とも言わない上司に負けたのは辺見。
部下がひとりでに洗い浚い話し始めた内容は、新宿で人を拾って桐野邸に預けたというものだった。
それがまたお誂え向きというか何と言うか、身元を始め全く詳細が分からない女なのだという。

「じゃっどんただの女じゃち俺は思いもす。桐野さァん所に置いちょっても問題は無かち思いもんどん一応様子ば見るちゅう事で」

篠原は笑いそうになった。
あっけらかんとよく言うものだ。
桐野が預っているのなら相手が誰であれそうそう下手な事にはなるまいというのが薩摩人一般の思うところだろう。
妙な人間と最初に接触したのに桐野に預けているという責任も、もちろん辺見は感じているのだろうが。
しかしそれ以上に、
(興味が湧いたか)
篠原はそう思った。責任というより主な理由はこちらだろう。
知らず息を落とす。

わいな」
今の自分の立場を分かっているのか。篠原はそう続けようとしたが、
「分かっちょりもす」
返ってきた応えは簡潔だった。
頼んでいる事が気儘に過ぎ、また我儘に過ぎるという事は辺見自身もよく分かっているらしい。

「勿論ただでとは言いもはん。先日の火事の件でよかです。俺に何でん罰則を付けてくれもはんか。そいで、それは篠原さァにお任せしもす」

だから、とこんな事を言い出して、おやと篠原は片眉を上げた。
まさか本人からそんな事を言い出すとは思っていなかった。しかしながらこれは渡りに船だろう。 
目を細めた上司に辺見は了承されたとホッとしたようであったが、

「早朝出仕。暫く俺の手伝いで書類整理じゃ」

甘い。聞かされた内容に辺見は悲鳴と抗議の声を上げたものの、
「辺見」
その一言でぴたりと静かになる。

「汝、さっき言うたな。そん女に会う前『仲間と酒でん飲み遊郭に行くつもりで』新宿に居ったち」

篠原はいつもの通りの柔らかな笑みを浮かべた。
声もいつも通り落ち着いた響きを持っていたが、辺見は次第に汗をかき出し目を泳がせ始めた。
そして、じり、と扉の方に後ずさりすると引き攣った笑いを浮かべて、
「あー……明日から宜しゅお頼み申します!」
脱兎の様に逃げ去ったのだった。

それから彼は一日もさぼらずに早朝から出仕してくる。
篠原からするとちゃんと次の日から出て来るのでも驚きだったのだが、こうも続くと本気だったのか、と若干辺見と辺見をそんな気持ちにさせた桐野邸の居候を見直さざるを得なかった。
聞いた話を総合すると、その女は妙は妙だが本当に平凡な者らしい。
(……辺見の事ば笑えんな)
自分の中でも少し興味が湧いたというのは秘密だ。


桐野邸に寄り通された庭先に視線を投げると、居候は庭作業中だった。
何やらぶつぶつ言いながら草を抜いていて、案内をしてくれた娘がこっちとあっちを見比べながら困惑している。
彼女に声を掛けようとしたのを篠原が制止して、縁側に腰を下ろした。
暫くすると茶を出してくれたのでありがたく喉を潤して、人の気配に全く気が付かない目の前の背中を篠原は眺めていたのだった。

こちらが身じろぎすれば、普通なら気配の動きで振り向くだろう。
しかしこの女にはそんな素振りは皆無で、夢中になって草をむしっている。
その様子からして「ただの女だと思う」と言った辺見の判断は間違いないだろうし、桐野に預けていても確かに何の問題や不都合も起こらないだろう。
篠原はそう思った。

しかし、だ。
篠原は己が無口であるから、静かであるのも長時間ひとりで過ごすのも全く平気だが、さすがにこの様子にはいつになったら振り向くのだろうと思わざるを得なかった。
しかも初め独り言かと思っていたのはどうやら歌であったらしい。

そしてそれは篠原が耳にした事のない旋律だった。
辺見が『違う東京から来た』とか訳の分からない事を言っていたが、なるほど、これは見た事のない類の人間だ。
しかも見ている内に、「おい大丈夫か?」と声を掛けたくなる程一生懸命歌い出した。
こんな昼日中声を上げて歌うなど、篠原の知っている女性像ではありえない。
辺見が妙と言い、桐野に聞いた時に「変な女」と言っていたのにも、今なら頷けた。

が。
ある曲になった途端、女はぺたんと座り込んで微動だにしなくなってしまったのだった。
打って変って小さな声だ。
だが物音ひとつしない縁側だけに、歌声だけがやけにはっきりと響いた。
それはとても緩やかで滑らか、柔らかな旋律で、そうであるから余計に紡がれる歌詞がはっきりと篠原に届く。

(ああ、これは)
きっと望郷の歌だ。
自分がいるべき場所に戻る、そんな歌。
いい歌詞だと素直に受け取れる曲だった。

そうしている内に声が少し震えて歌声が止まった。
残念だ。まだ途中であったのに。
そのまま様子を見るかと静観のつもりでいたのだが、その肩まで小さく震えているように見えて篠原は立ち上がった。



high noon:真昼の決闘。なんつって(※西部劇です)
辺見の酒でも飲んで遊郭云々は1話の一番初めの話。100611

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