07:jealousy




機嫌の悪さに何があったのかと尋ねても辺見は「何でんなか」の一点張りで、後は口を閉じてしまう。
何もないというのなら、そんなに顔に出さなくてもいいものを。
可哀想に辺見に訓練をつけられている兵卒たちは恐々として長の様子を窺っていた。誰だって余計な事をしてこの鬼のような男の機嫌を損ねたくはない。
己が遠巻きにされている事は辺見自身も分かっていて、それで益々機嫌が悪くなっていく。
はっきり言って悪循環だ。その上傍迷惑だ。
(八つ当たりされんだけマシなんじゃろか)
間近でそんな様子を見ていた河野主一郎は、朝から苦笑いの連続だった。

「……朝から?」
そうだ。ふと気がついた。機嫌が悪いのは朝からだ。
確か辺見はどう上司――篠原国幹と取引をしたのか、朝の書類整理と引き換えに池之端にある桐野利秋邸から通っている。
朝、顔を合わせた時からの仏頂面であるから、何かあったのだとしたらそこだろうか。
そう言えば、と河野は更に思う。
篠原の姿を認めれば、辺見本人は知ってか知らずか、ちらちらとその様子を窺っていたのだ。
(原因は篠原さァか)
やっぱりと言うか、何と言うか。



「で、如何いけんした?篠原さァと何があった」
帰りに少し飲みに行こうと誘うと相手は一も二もなく頷いて、河野は久々に辺見と酒を酌み交わす事になった。
「…………」
良い具合に飲ませて口を割らせるつもりだったのだが、そう簡単には問屋が卸さないらしい。
はあ、と溜息がひとつ落ちる。
「これからそのまま過ごすつもりか」
言外に仕事に支障が出るではないかとの意を滲ませると、辺見は渋々ながら口端を切ったのだった。
「絶対に笑うなよ」
「ああ」
それは話によるという言葉は喉の奥で留めておいた。

「桐野さァの所に女がおる。ちっと縁があってな、そいでおいも池之端から来ちょる」
「女?……汝、自分の女を桐野さァの所に預けちょるんか」

驚きを隠さず顔を覗き込んできた河野に否定をくれると、辺見はさつきの事情を掻い摘んで説明し始めた。
新宿で辺見が女を拾った事、その行き場がない女を桐野邸が預かってくれている事、そんな事を。
しかし、と河野は首を傾げる。

「そいが何故ないごて篠原さァと関係あるんじゃ」
「……」
「辺見」
「昨日な、篠原さァが屋敷に来とった」


屋敷に帰りつき、さつきは外にいると聞いた辺見は庭に探しに出たのだ。
木陰にさつきともうひとりいると気付いたものの、恐らく桐野だろうと見当をつけて目の当たりにしたのは ――
仰向きで、軍帽を顔に被せて両腕を枕にして寝ている篠原。
その隣で軍服を腰元に掛けて、篠原にすり寄って寝ているさつき。

「………」
酷く顔が引き攣ったのが辺見は自分でも分かった。
何故早くに帰った上司がここにいる。と言うより、何故さつきと。
さつきと篠原は面識はない筈だ。それなのに何故いつの間にこんな距離を許す関係になっている?

辺見の心中には色々なものが綯い交ぜになって渦巻いた。
声を掛けるべきどうかと立ち尽くしていると、その気配に篠原が目を覚まし、次いでさつきもそれに気が付いて体を起こした。
さつきはいつの間にか目の前にいた辺見にお帰りを告げて、そして篠原に何事かを言いながら照れたように笑い掛けたのだ。安心しきった様子で。
恐らくふたりは今日が初対面の筈で。そうであるのにさつきの警戒心のなさに腹が立ったのもあるのだが、それよりも。


「……なぁ、……」
そいは、と心底呆れ返った声音で河野が辺見に声を掛ける。
「煩い!分かっちょる!」
「嫉……ぶっ、あは、……」
「っ、笑うな!……くそっ……〜〜〜じゃっで嫌じゃったんじゃ!!」
「あっははは」

耐えきれないといった風情で河野は笑い出した。
話を聞きながら、まさかまさかとは思っていたが。
今日一日の不機嫌の原因がまさか嫉妬だっただなんて。いや嫉妬なんてもんじゃない。もっとかわいらしい子供じみたやきもちだ。
己が介在しないと知り合う筈のないふたりが、己の知らない所で仲良くなっていた事が気に入らないだけなのだ。要するにあれだ。

辺見十郎太は拗ねている。

「くっ、は!ははははは!」
篠原もその辺を分かっていたから辺見の視線を感じても何も言わなかったのだろう。
周囲が河野の笑声の大きさに振り返る。
その中にはちらほら近衛の軍服が混じっていて、知り合いがいそうだとは思ったが、笑いは止まらなかった。

「そげんよか女か?」
「は?」
キョトンとこちらを見返した辺見の様子に、恋慕の情は混じっていない様子が見て取れる。
「ヨカちゅうより面白か。女じゃち思う舐めて掛かると痛い目に遭う」
「女傑か」
「んにゃ。そういうんとはちっと違う(ちご)。普通の女じゃが……なんちゅうか」
う〜ん、と辺見は視線を宙に彷徨わせるが、適当な言葉が見つからないようだった。
「うん。会うた方が早い。帰るか」
「確かに会うた方が早かな。俺も行く」
「へ?」
「うわっ」

いきなりの第三者の乱入にふたりは勢いよく背後を振り返った。





桐野邸に女が転がり込んだらしい。
そんな話をどこからか伝え聞いて、別府晋介はまたかと息を吐いた。
勤務を終えてからひとりで飲みに来ていたので、その中に少々の苛立ちが紛れていたのは本人以外誰も知らない。

桐野の兄は男から見ても、親族だという贔屓目を引いても良い男だ。
顔立ちも整った方だったが、それ以上に芯の通った強い生き方が桐野の自信と包容力、求心力を生んでいて、それが酷く魅力的に映る。
男としてはそう感じるのだが、女は必ずしもそうではないらしい。

別府が知っている従兄の女遍歴では、女はほぼ大抵の場合がその見目、そして政府高官という地位と経済力、特に金離れの良さに魅力を感じて近付いて来ていたようだった。
宴席や茶屋で優しくされて見当違いを起こし、上野の屋敷に上がり込んできた猛者もひとりやふたりではない。
甲斐甲斐しく世話をして、それを桐野も何も言わないから調子に乗ってあれこれと口を出す。
幸吉や下働きの娘を邪険に扱う。
しかしそうなって暫くすると、決まって女はいなくなるのだ。
それは特段不思議なことではなかったが、何故従兄が同じ事を繰り返すのか。
それだけは不可解で不愉快だった。

ここ暫くはそうした面倒事はご無沙汰だったのだが、下手な事が起る前に一度本人に奈辺に思うところがあるのかを質した方がいいのではないか。
「桐野邸に女」の噂を聞いたのは、そう思っていた矢先だったのだ。

さて、どう切り出すか。女が屋敷にいるのなら渡りに船だろう。
そう思いメシでも食いながら考えるつもりがいつものように酒を頼んでしまい、別府はひとりで手酌する羽目になっていたのだった。

体を酷使した後、固形物も摂らずに飲んでいるのだから酒精が回るのも早い。
それに酒が入ると少しだけ不愉快さが腹の中で頭をもたげ、幼少の頃から慕う従兄とはいえ何故自分がこんな心配をせねばならぬのか、そう思うと少々苛ついた。
そこで、だ。よく知る声が耳に入ったのは。
給仕の娘に一声掛けると、別府は辺見と河野に気付かれないように後ろの席に移動して、ふたりの話を聞いていたのだった。

辺見を誑かして、桐野邸に住んで、篠原さぁとも、か。
随分と上手くやっているようではないか。

浮かんだ感想はそれで、嘲笑が洩れた。
そんな女この世に山程いるだろうに、自分の従兄や同僚らと関わっていると思うだに虫唾が走る。
杯を早い速度で重ねている内に、辺見がどんな女なのかは実際に会った方が早い、帰るか等と言い出した。
これは本当に渡りに船だ。別府は立ち上がった。



「確かに会うた方が早かな。俺も行く」
「へ?」
「うわっ」

まさか親しい知り合いがいるとは思っていなかったのか、酷く驚いた表情かおがふたつ別府を見上げた。

「……別府、珍しかな。酔うちょるか?随分飲んじょるな?」
「聞いちょったんか」
「辺見。うん、聞いちょった。あにょんとこ行くんじゃろ、俺も行く」

ぐいぐいと腕を引っ張る別府に、辺見と河野は半ば引き摺られながら顔を見合わせて首を傾げた。
どれだけ飲んだのか、別府の目が据わり掛けている。
穏やかな男で、こんな風になる事など滅多にないのに。
会話の流れからさつきが関係あるようではあったが、それ以上はふたりには分からなかった。
たださつきの話をしていただけだ。確かに彼の従兄――桐野とは無関係ではないが。

別府の足元がふらついていたのを見て人力車を呼び、桐野邸に向かう。
着けば幸吉がふたりの客人を慣れた様子で屋敷に迎え入れてくれて、玄関先でがやがやしていると更に屋敷の主その人までがやって来た。
如何いけんしたんじゃ、晋介」
普段は見せないような従弟の様子。桐野の顔にやや驚きが浮かんだが、それもすぐに苦笑に変わった。
別府は酔って半分寝掛っている。
「明日は休みじゃ、このままゆっくり寝かせてやれ」
そう指示を出されると、ひとつ返事をして幸吉が別府を支えるようにして別室へと誘導していく。

よろよろしながら奥に進んでいくふたつの背中と分かれて室に入ると、桐野は声をかけた。
「すまんやったな。何があった?」
「そいがよう分かりもはんで」
「じゃっどん、さつきに関係バしちょるようで」

さつき?と辺見の言葉に片眉を上げると、桐野は「ああ、そうか」と呟き一言、
「巻き込んで悪かった」
とそれだけを告げた。
「は?はぁ……」
巻き込む?
ふたりからすればよく訳が分からない。しかし桐野には別府の様子に何らかの心当たりがあるようだ。
だがそのまま話を流されてしまったので、結局聞けず終い終わった。



Jealousy:やきもち(食べられない方)
へ ん みwwwww まあジェラシーは別府もなんです。ろくでもない女に大好きな従兄を取られることが許せないっちゅう。要するにうちの別府くんはブラコン(笑) 110126110107

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